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多様性の人

ああするなこうするなと人は言う
ああしろこうしろと人は言う
人に言うことは自分もやっているかもしれない
人に言えることは自分が言われてきたからかもしれない
人に嫌気がさすのは自分とは違うからなんだろう
それでいて人に嫌気がさすのはきっと似ているからなんだろう

成功も失敗も正解も不正解も
ひとつのようでひとつでなくて
事実があって人の数だけ真実があって
それでいて1人ひとり違った正義があって
何が正しいとしても一歩外へ出てみれば
いくらでも覆されて
変わる時間
変わる場所
変わる人の中で
思考とか価値観がグラデーションしている
迷いとか何かが暈されるのが気持ち悪くて
全ての事柄をはっきりさせたがる
結局とか
すればいいじゃんとか
やればいいじゃんとか
簡単に言う
それぞれの行動の中に過程があって
人の数、1人ひとりの思考の数だけ
なにか「する」という行為に対する「抵抗」がある
優先順位とか好みとか人間関係とか
色んな事情がある
それでもやはり人間は結果とか結論とか求めがちになって
複数あるものはカテゴリー分けしたいし
陰キャとか陽キャとか
他人と比べて
自分を守ろうとする、卑下しようとする
複雑なのは面倒だから
利便性とか簡単とかを追求する
それでいて
人は多様性を求めるけど
同じ価値観を持っている人間同士とか
大衆が分かる範囲のものしか理解されなくて
言語化されなければ
分かりやすくなければ
多様性という枠組みですら仲間にいれて貰えない

そんな人もいるのではないだろうか

多様性を多様性として見ている人がいる
多様性は理解するものだという人がいる
多様性は多様性の人をサポートするものだという人がいる
多様性、たようせいと言われるけれど
例えば、「多様性を認めよう」と掲げたとして
多様性を認めるということがどういうことか
具体的に説明できる人はいるだろうか
もちろん、自分自身も多様性という言葉を聞くことがあっても
授業でそういったことを学んでいるくらいで
具体的に何か手段とか目標をもって働きがけをしているか
と問われると自信をもってそう言うことは出来ない
それでも分かることは差別も軽蔑も誹謗中傷も
決してしてはならないということだ

初めましての関係から人1人の存在を認識するまでに
多くの時間と情報を要する
1つのコミュニケーションにしても
対面して言葉を交わすもの、
電話やメールなどの機器を使うものまでそれぞれで
人と人の1番最初の関わりにして多様な手段がある
第一印象からある程度の素性を把握し、
コミュニケーションを通して別の一面を知る
人が人を知るという行為には
見た目、言葉、表情、ファッション、感情など
様々な情報を関わりの中で獲得する必要がある
ただ人はそこに様々な感情が入り混じり
自分との共通点や相違点を照合する
そこに好感や嫌悪感を持ったり共感したりする
しかし、人が人を見るという行為には
シンプルに人それぞれだと認識することが重要で
どんな人に出会い、どう思ったとしても
それを受け止める姿勢が必要となる
人種も国籍も性別を
分けて分けて考えて
自分とは違うと他者を否定したり
逆に人との違いに自己否定始めては
夢とか目標、やりたいこと
自分を見失うようになる
多様性=〇〇だと勘違いしている人もいるが
人の数だけ多様性は存在する
そして、人の数だけ悩みや葛藤がある
身長や体型、肌だって外見についてもそうだし
アレルギーだって疾患だって障がいだって
ジェンダーだって
すべて多様性の一員なのだから自分と異なる人を
多様性の人として見てはならない
たまに多様性を認めようと掲げては
多様性は理解するものだと勘違いする人もいるが
そうではない
国、数、英、社、理のように専門的知識を
単に理解するのと違って
人が人を理解することは到底できない
簡単に人を理解すると言うとそれは安易になる
理解すると分かった気になるということ同意であり
人は分かっているようで分かっていない
分かった気になっていると
多様性に共感しようとしたり
頼まれてもないのにまるで慰めるかのように
多様性の人として、被害者として見て
優しい人を演じる危険性がある
人を理解したところでその理解に終わりはない
1人ひとり、生きていく時間の中で時代の流れの中で
様々な困難を更新していく
人を理解するということはその人と全く同じ方向を見るということ
過去も今もこれからも他人という存在を共有するなんてことは出来ない
理解するのではなく
こういう人もいるのだと知ること、認知すること
人それぞれだということを認めること
そして、自分自身も人それぞれのひとりだということ心にとめておくこと
この人は多様性だ
ジェンダーの人だと思うのではなく
自分も多様性であるということも同時に認める必要がある

別に何を思ったっていいと私は思う
自分とは違うと思うことは悪ではない
思うことは罪にはならない
でも人を傷つけてはいけない
差別してはいけない
無理せず否定せず
自分も他人も孤立させず
もしきっとそうして自分との違いを嫌ってしまうなら
少し立ち止まって考えた方が良い
どんなに他人に違いを感じたとしても
結局誰だってどこか似ているだろうから
本当にどうでも良い人は目に入らない
好きも嫌いも感じてしまうのは
きっとどこか自分に似ているところがあるのだろうから

#多様性を考える

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