見出し画像

天秤


時々ふと思う時がある。

嫌いになることよりも、好きで居続けることや好きになることの方が、苦しいのではないかと。




いつだったか、誰かさんが好きな事を見付けて、「それをやりたいんだ」と啖呵を切っている様子を見た時、私は苦しくて仕方なかった。

今思えば、ずいぶん青くさくてムズムズする。

近しいものを感じた。
揃いの気持ちのように思えた。
こうだったらいいなということをいくつも抱える胸の重たさ、私にも身に覚えがある。
合わせて、あれもこれも思う通りにはならずにいるもどかしい気持ちも、頭の中でぎしぎし摩擦を起こすその感覚も、よく知っていた。
大抵の思い描いたことは、当然ながら容易に手が届かない。

思っているよりずっと、気持ちなんて届けたいところに限って、届きやしないの。

なんだか、巷でよく聞く、片思いのようでしょう。

君は、知らないんだよ。
まだ、傷付く気持ちを知らない。
だから、そんな風に堂々と好きだなんて言えるんだよ。手に入れることばかり願って考えて、失った時のことまで頭が回っていない。それはでもね、自然な心の働きだよ。そうやって願うことで、保とうと奮い立とうとしていることまで、否定する必要なんて少しだってないけれど。



自戒を込めて言う。覚えておくといい。



好きになったって、幸せなことばかりとは限らない。

好きな気持ちがあるからこそ、傷付くことだってある。

好きで焦がれてそれがもうどうしようもなく、苦しくなることだってあるよ。近付いても近付いても、それでも足りなくてもどかしくて苦しい時だってある。

好きと何かを天秤にかけて、どちらか選ばざるを得ない時だっていつか。

私は、私にも君にも他の誰かにも、きっと共通していつか訪れるその瞬間が恐ろしかった。好きな気持ちがある故に、どこにも行けずに苦しんでもがくこと。

嫌いになることと、好きで居続けることや好きになることとは、一体どちらの方が。



天秤。あるいは、弥次郎兵衛。



いつでも何かと何かを双方にかけて、重さをはかっている。私の体の中にも、似たような形のモノがある。ろくに機能してくれない天秤が。

ぎしぎしと、時折気配を感じる。

そして構わず私の服の裾を引っ張り、目を合わせてくる。

受け入れられないものがあって、好きとは自信を持って言えないものがあって、だけどやっぱり気になってしまって、目の前にいれば目で追ってしまう。

もうすっかり別の存在のように、懐かしいともなんとも思わなくなった。いつからこんな風だった?そんな風に気付いた時にはもう否定するしかなくて、受け入れられないソレも自分もなんだか恐ろしくなった。

どうしてこんなに受け継いだモノを、手放したくなってしまうのか。どうしてこんなにまで、夢で誰かも自分自身すらも手に掛けてしまうのか。消えたいなんて思い過ぎて、まるでなんだか病気のようで、果てはどんな考えに呪われては、誰を恨んでしまったろう。

受け入れるには、あとどれくらいの時間がかかる。気が遠くなるばかりでいけない。待ち切れはしないなら、待っているべきじゃない、振り切っていかねばならない。

苦手なのは。苦手が化けてしまうのは。

理由を洗い出してみたいのに、頭の中でストッパーがかかる。影響を及ぼすものであると認識するものから、身を守らねばなるまい。その人がその人であるためには。



嫌いの反対が何であるなら?  

好きの反対が何であるなら?  

私は、懲りずに、壊れるということについてずっと想像している。



上手く大事にできないなら、かくなる上は、それならば。いつか他でもない自分の意思で手で傷付けてしまうなら、好きなのに好きだったのになんてキーワードで、苦しみたくも苦しめたくもないもんな。


魔法の言葉がある。

"キライだよ"
"ニガテだよ"

そう心の中で唱えて遠退けておけば、最初から悪者になることだって。

だけど。


指先で私達またあれやこれや綴って流す。

時折チクっと身体の奥の奥の方を刺す痛みで、いつだって騙し切れない。いつか見聞きした、電子の海なんてよく表したもんだと思う。

人を騙す、紙一重の言葉。
人を騙す、紙一重の言葉。


柔らかくって、"キライ"だよ。


すぐに壊れてしまいそうで、なんだかもう危うすぎて危うすぎて。

何気ない、言葉でも指先でも眼差しでも。
もう何もかもに真新しく立ち向かうことしかできない。少し目を離した隙に簡単に離れていって、もしかすれば攫われて、抵抗もできずに傷付くことしかできない。一体、どんな気持ちでそれらを受け止めるの?そこから、どんな風に歪んでしまう?

最初は、そんなつもりじゃなかった知っているよ。私もそうだったな。いつのまにか時間が経ってしまったんだよ、その間に沢山のことが積み重なっていった。本当は、どんなつもりだったの?いつのまに、そんなにこわい顔、そんな笑い方、内緒の話を。




ねえ、あの"子ども"はどこに吸い込まれて消えていったの。

傷付く度に、大丈夫と強がる度に、そのおまじないの分だけ、立ち直る分だけ。
あの子どもはどこでひしゃげてしまったの。

ねえ、私達は結局、守りきれないで年老いていくしかないだろうか。

一度握りつぶしたものは、欠けてしまったものは、元通りになることはないよ。
それを知っているはずじゃないか。

それなのに私達、懲りずにまた指先を伸ばしてあの天秤を揺らす。あの天秤の元を目指して。この衝動になんて名前をつけられそうだ?ぐらぐらぐらぐら、いつまでも揺れて、泣いて、声をあげて、それでもそれでも懲りない、落ち着けないんだ。

繰り返していく、繰り返して逝く。

柔らかすぎて、純粋すぎて、何も知らなさすぎて、なんて恐ろしいんだろう。なんて無防備なんだろう。いっつも泣いてばっかり。少し目を離せば、簡単に壊れてしまう。困っちゃうよ、勘弁してよ。泣いてしまいたいのは、こちらだって同じだったりして。  

ねえ、"ニガテダヨ"。"キライダヨ"。  

どうしたらいいかわからない。

それでも目で追ってしまうな、
それでも、それでも、騙しきれないな。

おかしな話だろう。

「こんにちは」って、「遊ぼ」って。

私が私じゃない別の人だったらなんて、きっとキミにはわかりっこないね。そんなの知らなくてもいいよ。そのまんまで、まだなるべくそのまんまで。

本当は、そうやって、ふわふわしたままで生きていけたらどんなに。

もう遠い昔に、聴いたある話に、どうしてあんな気分になっただろうか。
悲しかっただろうか。
苦しかっただろうか。
腹立たしかっただろうか。
それとも、安心したことが淋しかったんだろうか。一体、何を予感して、貴女はあんな顔をしたの。

嫌いって、苦手って、興味ないって。
モヤモヤするから、あの時。
本当は、「なんでもない」と返したあの時、私は泣いたんだ。貴女のことなんて知らないことにした。だけどそんなの、墓場まで知らないままでいればいいんだ。

そのままで良いんだ。






時々ふと、思う時がある。





嫌いになることよりも、好きで居続けることや好きになることの方が、苦しいのではないかと。

嫌いになることと、好きで居続けることや好きになることとは、どちらがより苦しくて、どちらがどれほど楽で、それでいて。

だけどそんなの、会えはしない君には、永遠に伝わらなくていい。  

知らないままで、それでいいんだ。




画像1

(2018/03/05)

#テキスト #随筆 #散文 #エッセイ #アート #智乃 #智乃_essay #心象
#エッセイ #詩画 #絵画 #アート #自由詩 #口語自由詩 #詩
#art #statement #exhibition #poem #poetry #essay
.

綴られた言葉が気に入った貴方様、思い当たる気持ちがあった貴方様。もしよろしければ、サポートして頂けますと今後の励みになります。いただいたサポートは、引き続きアーティストとしての活動費に使わせていただきます。