ベリーダンスと私
2009年 私はプロになった。
プロと言ってもまだまだだったけど
でも ダンサーネームももらい
ソロで何分という枠をもらった。
ダンスを習い始めてから
ずっとあこがれ続けた
スワロスキーやらフリンジやら
キラキラ光るベリーダンスの衣装に
身にまとい
光輝く舞台の袖で
先生に 緊張しますと言った。
何言ってるの。何年やってきたの?
と叱咤激励された。
もう何百回と踊った
私の持ち曲のイントロが流れた。
自然と足は舞台に向かう。
さっきまでの緊張はどこかに吹き飛んだ。
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そこまでたどり着くには
どれくらいの時間がかかったのだろう?
初めての体験レッスンでは
ドキドキして
誰も自分なんぞ見てないのに
間違えると自己嫌悪。
振付を覚えるのも時間がかかる。
だから 普通なら1週間に2度でいいのに
3度レッスンに通う。
毎朝筋トレ、習っている曲の復習。
しかし、仕事が超多忙になり
レッスンにいけなくなって
2年で挫折。
早すぎませんか。
習うにしては。。。
そして それから数年たち
やはりどうしてもまたベリーダンスが
習いたくなった。
次はなるべく家から通いやすい場所にした。
そこで2年半続けるけど
嫉妬やらなにやら面倒になってやめた。
ここでは中級クラスまであがった。
だから テクニカル的なことは
ここで十分学んだが
しかし プロへの道はなかった。
もう5年も6年もやり続けていると
どうしてもソロで踊りたいし
習っている振付じゃなくて
自分で探した曲、作った振付をやりたくなる。
そこで出会ったのが今所属しているDance Nefertari。
先生には集中レッスン3か月という約束で
週に3回も4回も通った。
筋トレも強化したし
自作振付の曲も5曲くらい作った。
結局 プロへの道というのは
こう簡単に書いているけど
厳しい。
私には子供が2人いて
シングルマザーである。
レッスンがある日は
子供たちの夜ご飯は
朝早く起きて作り冷蔵庫に入れておく。
彼らが帰ってきてすぐに食べられるように。
二人とも男児なので
年頃になったら
母親から離れていき
家を出たら もう二度と帰ってこない。
そういう覚悟は当時私には既にあった。
だから、子供たちが小さいうちから
自分の好きなこと
自分が楽しいこと
それが幸せだと感じることを
少しずつ 自分なりに積み上げてきた。
もう彼らはいない。
どこかにいってしまった。
彼らが一人ずつ去っていくたび
がらんどうになった部屋をみるたび
一抹の寂しさで涙が流れたが
でも 私にはダンスがある。
ダンスがあるから子供たちには依存しない。
子供のことを考えそうになったら
すぐにダンスの曲をかけて忘れる。
彼らに母は既に必要ないのだから。
そうして 私はまた今日も筋トレし、部屋で踊る。
明日必ず同じことができるとは限らない。
あるのは 今この瞬間だけ。
そして
ショーやスタジオの自粛があるけど
自分の中の芸術はなくならない。
自分の脳の中だけは本当に自由だ。
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