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中山道 妻籠宿への再訪
今年の8月に気温36℃の中、岐阜県中津川市の馬籠宿から長野県南木曽町の妻籠宿まで完歩しました。その道のりは、片道7.7kmになります。
その時は、往復したので15.4kmになりますでしょうか。
当時、とにかくアーチーチーアーチーだった道のりは、己の体力を蝕み、妻籠宿に到着した頃にはリング角に座る矢吹丈のようにぐったりしてしまい、持参した握り飯も飲み込むことができない程でした。
そんな状態もあって、帰りのことも考えなくてはならないので、極力妻籠観光は控え、絶対に回復させなければならない体力がそこにはある。という、某テレビ局がサッカー日本代表の試合の時に使うキャッチフレーズみたく、わたしくは、己の体力の回復のために全集中したのでした。
なので、妻籠観光を十分に堪能することができず、己の体力が回復次第、再び馬籠宿へ向かうため、名残惜しくも妻籠宿を後にしました。
そのような、今年の夏の悔しい経験があったので、2023年が終わる前に、もう一度 妻籠宿に訪れてしっかりと観光がしたい!という計画を立て、先日その計画を実行してきました。
ここまで、前振りが長くなってしまいましたが、今回妻籠宿へ再訪した経緯を最初に語っておかないと、なんだかスッキリしないと思ったので綴っておきました。
それでは、妻籠宿への再訪、始まります。
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今回も馬籠宿から徒歩で妻籠宿へ向かいました。
到着後、早速 高菜のおやきを頂きました。その時、無料で付いてきたお漬物がお口直しのような効果があって、おやきの味に集中でき、しっかりと堪能することができました。
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お店構えを見ただけで美味しさが伝わってきます。
長野県と言ったら蕎麦ですよね~。
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妻籠宿は、中山道六十九次の中の42番目の宿場になります。
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また、妻籠宿は中山道と飯田街道が二つに分かれる追分に位置する交通の要塞であったようです。
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そして、1976年に国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つに選ばれただけではなく、周辺の農地など宿場を支えた環境全体を保存するため、国有林を含めた広範囲が選定されました。
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職場が宿場(しょくばがしゅくば)とかめっちゃ憧れるわ~
(しょくばがしゅくば!Oh!チャケラッチョ!)
?
はい!次!w
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なんか日本(にほん)の粋のようなものを感じてしまいます。
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写真(上)の家屋は、1800年代初頭に建てられた物です。
そして、家屋の玄関が、とても低かったのが印象的でした。当時(江戸時代)の日本人の平均身長は、男性155~158cm、女性143~146cmだったようです。また、家の中は湿気のようなにおいが全くしませんでした。屋内は扉が開かれており、換気がされていたのですが、それ以外にも理由がありそうな気がしました。
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恐らく、お宿だと思われます。
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中山道、三名石のひとつ「鯉岩」。
昔は、大きな鯉の形をした岩だったようなのですが、1891年の濃尾大地震によって、その形は崩れてしまったようです。
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桝形(ますがた)については、次回説明いたします。
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お部屋、お食事、女将さんの接客のどれを挙げても大満足の高評価。
Googleの口コミ「4.7」の「木曽路の御宿 大吉」さん。
江戸時代にも参勤交代の時にお侍さんの宿として大活躍だったのでしょうか。
そして、本記事はここまで。前回の初訪問の際に果たすことができなかった妻籠宿観光はまだまだ続きます。次回もお楽しみいただけましたら幸いでございます。
それでは、おやすみなさい。
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