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考察

 今日から7月、あっという間に1年も折り返し。
1月1日に能登半島で大きな地震があり、それから半年が経つ。
どうか、被災された方たちが不自由のない生活を送れる日が来ますように。
そして、現地で復旧・復興活動にご尽力されている方たちの計画・活動が無事に行われますように。

 以下、記事内容

 わたしは、先月の初旬に郡上八幡へ訪れ、初夏の郡上八幡を歩いてきました。

 暦の上では、毎年の5月5日は「立夏」となり、夏の兆しが見え始める頃。と言われ、陽気も増し夏の気配を感じる時期なのですが、5月、6月の郡上八幡の平均気温は、17℃、20℃となり、とても過ごしやすいです。

 今回訪れた時は曇り空でしたが、山々の新緑は美しく、あ~郡上八幡に来たんやなぁとうれうれしながら町並みを歩くことができました。

 そこで本記事では、その様子について記事にしたのでお読みいただけると幸いです。
 
 いつも郡上八幡へ向かう時には、車で国道156号線を走ります。
国道156号線は美濃市以降、信号が少なくドライブをするのに最高の道と言えるのです。

 そして、わたしの自宅がある岐阜市を出発すること1時間半。
郡上八幡に到着。車を駐車場に停めて、早速景色を眺めます。

合流地点

 こちらは、郡上八幡を代表する河川「吉田川」と「小駄良川」の合流地点。こちらの場所は、川の最下流地帯であり、合流後はすぐ側で流れる日本三大清流・長良川と再合流します。

 このどちらかの川が勢いよくというわけではなく、2つの川が穏やかに合流し、1つの川となる様子が堪らなく好きなのです。マニアック?笑

絶賛施工中!

 小駄良川に架かる「清水橋」(しみずはし)。
現在、床のタイルを張り替える工事中なのは存じ上げておりました。
只今の工事の進捗状況としては、現存のタイルは全て剥がし終えられ、新しく下地のタイルが張られていました。今回の工事が完了されるのは、8月中旬予定のようです。

 新しく施工された清水橋を渡るのが、今から楽しみです。マニアック?笑

 あっ、先ほど触れるのを忘れていました。

新はちしん

 写真の右側に「はちしん」の建物。
その手間に佇むモダンな黒色の建物は、八幡信用金庫 通称「はちしん」さんの新本店になります。そして、白色の旧本店は、2024年6月末より解体工事が行われます。よって、旧本店を収めたこちらの風景は、今後眺めることができなくなります。

 次に「いがわの小径」です。

神秘的

 いがわの小径では、鯉の群れが優雅に泳いでいます。
 
 小径の横に流れる清らかな水の中で泳ぐ鯉たち。
そして、条件が揃えばそこに日が差します。この、簡単に言葉で表すことのできない絵に描いたような風景は、郡上八幡へ訪れる人々の心を一瞬にして奪うのではないのでしょうか。

新緑

 続いては、日本最古の木造再建城となる郡上八幡城。
こちらのお城の石垣については「当時のまま」や「近年に積み直された」などの説があるようのなのですが、わたしが1番気になっているのは、石垣の上に建つ最初の天守はどのような姿形をしていたのか?なのです。

 つまり、再築城前の郡上八幡城天守についての資料は現存しないということなのです。(これは八幡にある歴史資料館の方にも確認をいたしました)

模擬天守

 そうなると、大垣城を模して建てられた模擬天守とされる現在の郡上八幡城は、一体どういうことなのだろうか?と、個人的には疑問を持ってしまうのです。抽象的な表現すぎる。笑

魚の形

 郡上八幡の町並みを上から眺めると「魚」の形に見えると言われています。その時わたしは、とあることで「ピンッ」ときたのです。

郡上八幡に訪れないと見れない

 そのピンッと来た”とあること”とは?

 ここから本記事のメインになります。笑

 最近キッカケは忘れましたが、郡上八幡の地名の由来について個人的に考察するようになり、その中で、もしかすると郡上八幡と聖書が密接な関係で繋がっているのではないか?と思うようになったのです。

 それはどういう事かと言うと、まず「八幡」の地名の由来と言うか成り立ちについて、「八幡」が「ヤハ」から来ているということなのです。
(「ヤハ」は「ヤハウェ」、聖書に出てくる神様の名前)

 もっと細かく言うと、聖書の神様はギリシャ語の4つの文字を意味するテトラグラマトン「YHWH」で表記されており、読み方は「ヨードヘーワーウーヘー」(ヨードへーワーヘー)となり、正しい発音については解明されていないとしつつも、「ヤハウェ」と発音するようになったようです。

 そして、日本に聖書が伝わった経緯については諸説あるようで、正確な歴史については今回は省きますが、ここで考えている八幡の由来については「YHWH」→「八幡」→「八坂」となったようです。(京都にある八坂神社も「ヤハウェ」から来ているようです)
 
 また、これは余談なのですが、郡上にも八坂神社あるようです。

 ここまで「八幡」の地名の由来?(ではない笑)について、ざっくりと記載をいたしましたが、次に「郡上」について考えていきたいと思います。

 まず「郡上」の「郡」について漢字の成り立ちを調べてみました。
すると、「郡」を分けてみると「君」と「おおざと」になり、更に君とおおざとを分解してみると、「君」→「コロナ」、「おおざと」は「邑」で表すことでき「邑」の意味は「都」となります。

 そして、ギリシャ語で「コロナ」は「王様の冠」を意味しており、よって「郡」は「王様の冠」と「都」を連想させることができのです。

 そしてそして、先ほど記載をいたしました郡上八幡の町並みが「魚」の形をしているということです。魚をギリシャ語で「イクトゥス」と言うようなのですが、このイクトゥスがギリシャ語の「イエスキリスト・神の・子・救世主」の頭文字を並べたものと同じであることから「イクトゥス」は「ジーザス・フィッシュ」とも言われているようです。

 ここまでで「郡上八幡」の地名の由来?(ではない笑)について個人的な考察内容を記してみたのですが、上記の記述を要約してみると…「郡」は「王様の冠」「都」を連想させ、「八幡」は「ヤハウェ」という神さまの名前を連想させ、そして、郡上八幡の町並みがイエスキリストの意味が込められているイクトゥス「魚」の形になっていることから、「郡上八幡」という場所は「神様が住まう場所」または「神様の都」もしくは「ヤハウェのひとり子であるイスラエルの王イエスキリストが(救世主として降臨する)場所」であると、現時点での個人的ぶっ飛び妄想結果となりました。

 また、日本の歴史を辿って行くとイスラエルの失われた10支族との深い関わりがあるようですし、大阪の岸和田市で行われている「だんじり祭り」についても、この10支族の「ダン族」から来ているようなのです。
 そうなると、郡上八幡と聖書が~というより、日本そのものが聖書と深い関わりがあると言っても良いのかもしれません。 

 わたしは所謂、学校で行われるような机上での学びにはあまり興味はなく、現地へ直接足を運び、建物を観たり、現地に住む人々の雰囲気を感じたり、現地の人から話を伺ったりしながら妄想を膨らませるのが好きなのです。笑

 よって、今回取り上げた郡上八幡についての考察もぶっ飛び妄想に過ぎないのですが、いつしか、そのぶっ飛び妄想が「これだ!」となるのを夢見て(笑)、これからも郡上八幡へ足を運び続けて調査をして参りたいと思います。

 こういったことも自由で楽しいですよね。

 
 それでは、長くなりましたが、
 
 本日は、お立ち寄りいただきありがとうございました。


 (完)

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