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4度目の旧中山道(サムライロード)歩き録。2話

 先日、GW中に歩いた旧中山道(サムライロード)。
今回で4度目となったけど、いつ歩いても飽きることはない。
なぜなら、季節が変われば草木に囲まれた街道の様子も変わり、その雰囲気を楽しみながら歩けるから。

蘭川(あららぎがわ)

 春の太陽は、蘭川をより照らし輝きを増す。
 
 春は、草木や川のエネルギーが一斉に解き放たれ、生き生きとした陽気に包まれる。

昼食をした場所

 前回訪れた時は、寒さで昼食を断念した蘭川のほとり。
この日は、最高の天気、気温、湿度、川の水量に透明度。
「どこで昼食をとるか?」と訊かれたら、まさに「ここでしょ!」日和。

 そして、昼食を取った後、1時間ほど、ぼーっとしながら川を眺めた。
贅沢過ぎる時間、日頃は電子機器に翻弄され忙殺されている自分。
自然の中で「ぼーっと」する時間を取るのは大切だと改める。

妻籠宿でのひとコマ

 妻籠宿の至るところで聴こえてくる水の音。
この日も前回訪れた時と同じく、穏やかな水の音で心地よかった。

誰もいない瞬間を狙って

 この日はGW真っ只中で、大勢の観光客が妻籠宿を訪れていた。

妻籠宿の一部風景

 妻籠宿の成り立ちの歴史は1601年、江戸時代が始まったと同時のようだけど、「妻籠」自体には、古くから人が住んだ跡が残されており、それは「縄文の跡」と言われているのだそう。

タケノコ?ミニ

 妻籠宿の成り立ちが1601年だとしたら、今から420年ほど前になる。1968年より本格的に宿場の保存活動が実施されるようになり、家屋の解体復元、大中小の修理に分類され復原・修景された。

綺麗な街道

 昔から大地震が多かった日本において、当時から耐震性に優れた日本家屋は先人の知恵の産物と技術の宝庫と言える。

気持ちが良すぎました

 そのような先人たちが遺してくれた貴重な知恵の叡知を味わうことも、ここ馬籠宿と妻籠宿では可能となる。

ただいま、恵那山

 中津川市の馬籠宿から南木曽町の妻籠宿を歩いて往復すること15.4km。もう言葉にならないほど最高の時間だった。

 ぼくは、過去に足の怪我を患った影響により、走ることができない。
学生の時はサッカー部で、球蹴り専門とはいえ陸上部の長距離ランナーのように走っていた当時のことを考えると、現状の自分が信じられず受け入れるのに時間がかかった。

「木曽ひのき」で作られた枡を購入。
自宅に帰った後、早速この枡で日本酒をいただいた、ウマ。

 正直、日頃歩いていても動いていない筋肉の違和感があり、全然楽しくない。だけど、旧中山道の木曽路を歩いていると、そんなことも少しは忘れられる。でも、他者からしたら15.4kmも歩けるのなら大丈夫じゃない?と、思われるかもしれないけど、怪我をした当時、医療機関での治療がなかなか合わず、半年ほどまともに歩けなかった。その間、足がみるみるうちに細くなり、自分は一体どうなってしまうのか?と、先が全く見えず、パニックと恐怖に襲われた。

 そして、ようやく大阪で足の怪我の症状に合った治療家の人と出会うことができ、そこから懸命の治療とリハビリを始めた。
 
 そこで、その時に勧められたのが「登山」だった。

 ぼくは、幸いにも体を動かすことが好きだったし、学生時代の部活動でも怪我の時に励んだリハビリの経験をしていたので、一生懸命に取り組めば体は応えてくれると思い、教えてもらった登山や筋トレ、体操に励んだ。

 リハビリの時はひとりで孤独だったけど、時間が経つにつれて足の筋肉がついていくのが見えたし、自分の体に感謝した。
 そして、当初は地元の金華山(329m)へ登るにも、恐々登っていたのが、スイスイと登れるようになっていき、更に自信がついた。

 そのようなパニックと恐怖、懸命のリハビリの期間を経て、歩けるようになった旧中山道での街道歩き。

 当時、真っ暗闇にいた自分に伝えたい。

 「大丈夫、そのまま自分を信じて、大丈夫、絶対に大丈夫だよ」


 本記事にお立ち寄りいただきありがとうございました。

 それでは、おやすみなさい。


 (完)

 

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