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【インタビュー記事】28歳喫茶店主、半生の振り返り(前編)

このインタビュー記事の原稿をいただいた当初、
「僕は過去を都合よく改竄しているんじゃないか」と心配になった。

過去の自分を知っている人から見て
「それは事実と違うでしょ」と思われることが怖かった。
そして、公開するのを辞めた。

だいたい、1ヶ月前や1週間前のことだって、「何があったか」
もっと言えば「そのときどんな気持ちだったか」はボンヤリしている。
その後の行動から逆算して...それっぽい理由を後付けしているんじゃないか。

自分で推敲させていただいているうちに、半ば諦めがついた。

「今の自分から見た、過去の自分を形に残しておく」
うん、それでいいじゃないかという気持ちになった。

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誤解を嫌う僕の、長くて細かい話をリモートでインタビューしてくださり
、形にしてくださったのは  小晴さん。
フリーライターで、kenohiの大切なお客さんです。
本当にありがとうございます。

いじめられっ子(?)だった子ども時代

1992年9月15日、大阪府吹田市で生まれた。

目立ちたがりで、ひょうきんな男の子。よく家族団欒の場ではダジャレを言っていた。
授業中の質問には手を挙げ、積極的に取り組むタイプだった。

そんな彼は、小学校で「出る杭」として打たれることになる。 

「周りからは『すぐ調子に乗るやつ』という風に捉えられていました。気が弱くてスポーツが下手だったので、攻撃の対象になりやすいキャラクターをしていた上に、目立ちたがりなのが災いしたんだと思います」

1年生からやっていた野球、4年生で始めたバスケットボール。
どちらのチームでも劣等生だった。 

「飲み込みが遅いしミスも多くて。今思えば、高学年の頃からいじめに遭っていたと言っていいかもしれません」

一緒に帰ったり、遊んだりすることを強要される。命令される。
断って、仲間外れにされるのは怖かった。

「どこからがいじめで、どこまでは遊びなのかわからなくて誰にも言えなかったですね。自分の言動が悪かったんだろうし、と思う部分もありました。自分も楽しんで一緒に遊んでいるときもあったので」

家に帰してくれず、22時すぎに帰宅したこともあった。 

「親にはいじめられてるなんて言えなかったから、めちゃくちゃ怒られて。2時間くらい外に締め出されちゃいました」

そんな状況だったが、6年生になると教師からバスケ部の副キャプテンに指名されたこともある。真面目に練習していて、上級生になっても みんなが嫌がるモップ掛けを率先してやるというのが理由だった。

「ただ、副キャプテンになっただけでバスケ自体は下手なままだったので。むしろ『副キャプテンのくせに下手くそな自分』が嫌で、しんどかったです」

親や周りに褒められた経験がほとんどなく、愛されている実感も乏しかった幼少期。自分の話をするのが苦手で、親にも弱いところを見せたり頼ったりできなかった。 

「言ってもどうせわかってもらえない、って諦めてたかなあ」

その一方で、根底には「理解してほしい」と願う気持ちもあった。

「本当は一番わかってほしい人に、わかってもらえなかった。そのつらさはなかなか忘れられませんでした」

周囲から唯一褒められたのが、料理とお菓子作りの腕前だ。

「『すごい!』って言われたり、目の前の人がおいしそうに食べてくれたりするのが嬉しかったんです」

自分の好きなこと、得意なことで、目の前の人が喜んでくれるのが嬉しい。kenohiの原点は、幼き日の彼のそんな思いにあった。

自殺サイトを眺めて過ごした“人生の底”

地元の公立中に進学したため、中学時代の人間関係は、小学校からほとんど固定化されたまま。

ミスをしたら怒られたり嫌われたりするチームスポーツは向いていない。新しい人間関係を築きたい――そう自覚しながらも、誘われるままに野球部に入った。断れなかった。 

「自分の意志で決めたわけじゃなく、目を付けられる、ハブられるのが怖くて従っただけだと思います。離れたい気持ちはあったけど、独りになるのも怖かった」

いじめは小学生の頃よりもエスカレートした。
通りがかりに殴られる。荷物持ちをさせられる。道端の雑草を食べるか、暴力を受けるかの二択を迫られる。「あいつを殴れ」と命じられ、拒めば自分が殴られる。

部活の時間も、「ボールが飛んできませんように」と願うばかり。それでもミスをしてしまう。周囲からの非難が怖かった。

「中学になって、物理的な暴力が増えました。やっぱり小学校の頃のはいじめではなかったと思えるくらい。いじめてくる人も、『時々怖いけど、仲の良い友人』じゃなくて『怖いし知らないし友達とも思えない人』が増えました」

学校がある日もない日も部活の練習は絶えずあり、離れられない。毎日が苦しくて仕方なかった。

「中学時代は、人生の底でした。学校に行くこと、生きることが本当につらくて」

「怖い人と校内ですれ違って捕まらないように気をつけたり...常に周りの目を気にしていました。ケータイを持っていなくても普通の時代だから助かっていたのかもしれません。この先、生きていて明るくなる予感は全くなかったです。当時はよく自殺サイトを見ていて、凍死が一番楽そうだし迷惑もかからないかなあ……って考えたり」

生きることを放棄したくなるくらいのつらさの中、なぜ彼は周囲に助けを求めなかったのだろうか?

「僕をいじめてた子たちのほとんどは、いわゆる不良少年ではなかったから。命令されたり強要されることはあったけど、一緒に遊んでいて楽しいときもある。自分が本当にいじめられてるのかどうか、よくわからなかったんです。もっと酷くいじめられていた人もいたので、誰かに言っても大げさだと思われるだろうなって」

周りから『いじめられている』と思われたくない、という歪んだプライドもあった。

「自分を『いじめられっ子』だと認めたくなかったのかもしれません。いろんなことを我慢してでも、『気が弱くて、いいやつで、いじられキャラ』っていうポジションを死守したかったんだろうなあ」

ただ、つらい中学生活の中でも収穫はあった。
周りの目を常に気にすることで、自分がどう振る舞うべきか、誰がどんなサインを発しているのかを瞬時に察知する力が身につきはじめたのだ。

「人の痛みを想像するようになったのも、困っている人に気を配れるようになったのも、いじめの経験を通して周囲をよく見られるようになったからだと思っています。この能力は今でもずっと役に立ってるので、無駄な経験ではなかったかな」

「怒られないように、相手の気に障らないように、殴られないようにって気を配って生きてきた努力の賜物だと思うと、少しは当時の自分を肯定できるかもしれませんね」

「このままじゃ一生ダメ人間のまま」大学受験が人生の転機に


中学校卒業後は、公立高校に入学。

「チームスポーツはもうこりごりだ」と思っていたが、同じ高校に進学した野球部員に誘われるまま、バスケ部に入部した。

「進学校だったので、生命の危機を感じるようないじめはなくなりました。身体の安全が確保されてるぶん、小中の頃みたいなしんどさはなかったです」

部活のバスケには自分なりに必死で打ち込んだが、ここでも劣等生だった。

「周りは中学から続けてた子ばかりで、僕がぶっちぎりで下手でした。恥ずかしかったし、情けなくて悔しかったから、がむしゃらに頑張ってました。一番下手だから一番がんばらないといけないと、最初は思っていました」

その姿勢を評価され、高2の夏には初のベンチ入り。だが、それがピークだった。張りつめていた糸がプツンと切れるように、やる気を失ってしまう。

「続けてもどうせ試合には出られない、たとえ出られても使い物にならないことはわかっていたので、それ以上頑張る理由がもう見つからなくて……残りの1年間は惰性で部活に行ってました」

このときも、やはり人の目が気になって仕方なかった。 

「正直なところ、辞めてみんなから逃げたと思われたりするのが怖かったんだと思います」

何かに打ち込む喜びも、生きがいも、希望もない高校生活。
ただ周りの人に嫌われないよう「気弱だけど真面目ないいやつ」としての役割を全うするだけ。 

中学時代のように死にたくはならなかった。それでも、「自分は何にも成し遂げていない」という気持ちが常にまとわりついていた。

「激しく自己嫌悪するというよりは、虚無感を抱えながらぼーっと生きている感じでした。自分のことを諦めていて、『今回の人生はこんな感じか……来世に期待しよう』って」

受験期もやる気が湧かず、自宅でテレビゲームばかりしていた。浪人する気でいたが、親に言われるままに受けた関関同立の1校に合格した。

「母は大喜びしていたけど、僕は、たいした努力もせずに得たものの何が嬉しいんだろう……って冷めた気持ちになって。そのときに、このまま進学したら一生ダメ人間のままだって直感したんです」

常に人の顔色を窺い、ちょっとした決断も人任せの人生。何もかもが中途半端で、やり遂げたことなどひとつもなかった。

その理由にもすでに気付いていた。「人に決めてもらったことを、本気で頑張るのは無理」なのだ。怖くても自分で決め、やり遂げる経験がなければ、いつまでも変われない――。

そんな思いから、生まれて初めて親に反抗した。

「親には相変わらず本音を話せなかったから、詳しい理由は省いて『必ず国公立大学に行くから、私立にそのまま通うよりお金はかからないはず』と、ひどい説得をしました」

こうして彼は、初めて自分の意志で進路を選択した。

浪人中は予備校に通いながら、狂ったように勉強した。
「予備校には毎日、開館から閉館までずっといましたね。昼休みも一人で自習。昼ご飯を食べると眠くなるので、ご飯抜きでひたすら勉強していました」

当時目指していたのは大阪大学。父や兄よりもいい大学に行きたい、という思いから志望校を決めた。

やることを自分で決めて、決めたことをちゃんとやる毎日。勉強は大変だったが、人生で初めて「楽しくてしかたない」と思えた時期だった。
センター試験が上手くいかず、志望校を大阪大学から神戸大学に変更したり、神戸大学の前期試験に落ちてしまったりと順風満帆な受験ではなかったが、無事、後期試験で神戸大学に合格した。

「受かったときは、やってきたことが報われたんだと思いました。受かってなかったら、もっと卑屈になっていたかもしれません」

自分のために、自分で決めて頑張った初めての経験だった。心から、自分を褒めたいと思った。

ここで培った継続力は、大人になってからも活きているという。
kenohiでも、基本的な業務は毎日毎週毎月、繰り返しだ。やることと頻度を決めて、決めた自分を裏切らないためにやり切る。
コツコツとした積み重ねが、常連に愛される居心地のよい空間をつくり上げている。 

「やると決めたことを地道に続ける力は、今でも僕の誇りであり支えです。このとき頑張ってよかったなあ、と今でも思います」

気弱キャラから一転、熱い思いを人にぶつけるように

晴れて神戸大学国際文化学部に入学。当時の自分を、彼は「大学デビューだった」と振り返る。

「フランクで、知り合いが多いキャラクターでした。気が合う友人に女性が多かったから、一部の男子にはチャラいと思われていたかもしれません」

「まだ自分に自信があるとは言えなかったし、人目を気にしてしまう部分も残ってはいました。でも浪人時代に、自分が生きたいように生きた方が楽しいと気が付いたので、好きなように生きようって決めていたんです」

「気弱ないじられキャラ」のキャラクターを脱ぎ捨てたことで、本来のひょうきんで自由な彼が戻ってきたのだろう。

「この頃はまだ、自分の軸や価値観が定まっていない状態でした。いろんな人と話していると、自ずと『合う/合わない』『楽しい/楽しくない』が見えてきますよね。それを通して、本当に大切にしたいものを探っていたのかなあと思います」

いろんなサークルの新入生歓迎会に顔を出したが、最終的にはフリーペーパー制作団体への所属を決めた。毎年200万円近くの資金を集め、年に一度1万部近くのフリーペーパーを発行していた。情熱を持って活動に取り組んでいる人が多いところに惹かれた。

「何か、打ち込めるものが欲しかったんだと思います」
入部のための面接を無事クリアし、営業部に配属された。
毎週会議があり、会議までに宿題もある。アポイント先のリストを作って営業に行く。納期もある。先輩と個人面談をすることもある。まるで本物の会社のような組織で、真摯に活動と向き合った。

だからこそ、やる気の感じられない人が許せなかった。高校までの彼とは打って変わって、サークルでは言いたいことをはっきり言った。 

「なんでちゃんとミーティングに来ないの?」「なんでちゃんと宿題やってこないの?」 

「今思えば、当時は『べき』思考がすごく強かったかもしれません。もともと自己評価が低いせいで、『こんな自分でもできるのになんでやらないの?』って気持ちもあったのかな」

2年生に進級すると、営業部のリーダーに任命される。 同じリーダー職の先輩に顔合わせ初日に泣かれ、自分の嫌われっぷりにショックを受けた。

「自分が強い言葉で人を傷つけてしまっていたことや、ただ言いたいことを言えばいいわけではないということに、やっと気付けました。相手や時と場合に合わせた伝え方を考えられるようになりました。今でも失敗することも多いですし、まだまだ模索中ですが.......」

(伝え方に注意する必要はあれど)自分の気持ちを素直に伝えられて、過剰に気を遣わなくていい場所。家庭でも小中高の部活でも得られなかった居心地の良さが、そのサークルにはあった。 

「ありがたい環境だったと思います。サークルで出会った人達とは今でも仲が良くて。大学に行って得られた一番の財産です」 

サークル活動を通して真正面から人とぶつかり合うことで、忖度のない、心の通ったコミュニケーションの術を学ぶ日々。常に人の顔色を窺い、怯える毎日を過ごしていたいじめられっ子の面影はもはやなかった。

<後編につづく>

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取材・原稿執筆

小晴

多様な「生き方」に興味のあるフリーライター。おいしいものと愛兎・茶々丸のことで頭がいっぱい。現在は千葉在住だが、心のふるさとは武蔵小山・西小山。

Twitter:@koharu_d_0401
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