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雨の日には冷えたスプーンを一赤とんぼは、振り返らず一

※お立ち寄り時間…5分

昼下がり、息子がミルクを吐き戻した。
結構、盛大に。

「様子見て、急変したら、救急病院だね」

母と会話した後、ふと、カレンダーに目をやると、そろそろ彼の命日であることに気がついた。

赤とんぼがすいすーいと気持ちよく泳ぐころ
彼は、家族が見守る中、息を引き取った。

決して、安らかとは言えなかった。
肺気腫という病気で、異変に気がついたころには、たくさん思い出を作ってください、と。

「話せたら良かったのに」

母が涙ながらに、何度も何度も呟いた。
車の中で膝に抱えた骨壷は、ずっと温かかった。

私の地域には、動物病院はあるが、救急で夜間など対応はしていない。

彼が、苦しくて、横になって眠ることもできず、夜もすがら起きていた時は、胸が締め付けられる思いだった。
代わってあげられるなら代わってあげたかった。

彼とは、優しい思い出しかない。
従順で、人懐こく、何より穏やかな子だった。
落ち込んで帰ってくると、機敏に察して、ずっと隣にいてくれた。

よく、彼の耳で遊んだ。
耳がピーンと立っていたから、両手で押さえて、ビーグル!と揶揄った。
すると、彼は、いつも呆れた顔をしていた。

最後の日は、何故か彼は少しだけ元気だった。
その日は、心地の良い風が吹いていて、2人で1番大きな窓の前に座った。

とても仕合せだった。

いつもみたいに、頭を撫でながら、彼の耳で、ビーグル!と揶揄った。
すると、いつもとは違い、穏やかに笑った。

いつもみたいに、呆れた顔してよ、と私は彼の体をギュッと抱きしめた。
兄弟が居なかった私にとって、彼は、兄でもあり、弟でもあり、何よりかけがえのない存在だった。

彼が虹の橋を渡ってから、4年が経つ。
4年前、彼が苦しんでいた時、何度も何度も思った。

どうして、動物の救急車がないんだろう。
夜に急変したらどうしたらいいんだろう。
動物だって、家族なのに。


人間でさえ、医療に格差がある中で、動物にも、と声を上げるのは、贅沢なことなのだろうか。

仮に、動物専用の救急車があったとして、助からなかった事実は変わらなかったとしても、命を繋ぐ全てをしてあげることができた、ともっと自分を許せたかもしれない。

苦しみを和らげてあげたいのに、ただ撫でてあげることしかできない時間。訥々と不安とやるせなさが積み重なっていく。

あの時間

もう、過ぎてしまったことを思い出し、後悔しても、何も変わらないことは分かっている。

それでも

あの時、もっとできることがあったんじゃないかと、写真を見ながら想うのだ。

この、ピーンとした耳でよく遊んだ

ちなみに、余談であるが、新しくやってきたこの子は、同じ犬種であるにも関わらず、3歳になった今でも耳が立たない。

新しくやってきた、みみたれコーギー

何となくだが、きっと「ビーグル!」と、悪戯していた、私への彼からの最後の愛なのではないかと思うのだ。

ほら、ビーグルになったぞ、と。

最愛を受け取り、前を向くしかない。
真っ直ぐしか進まない赤とんぼのように。

それだけが、いま私にできることだ。

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