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【SF連載小説】 GHOST DANCE 28章

  

     28 桃源郷


「まぶしいくらいね」
 月。満月であった。花園は、さながらクリスマスツリー。花弁の一つ一つに、星屑がとまって翅を休めているながめである。百年ぶりにおとずれた、二人きりの夜。美也子は月影の薄化粧を帯び、桂の芳香に浄められた身の、こころはかのクリスマスイヴの夜の公園に遡る。目を閉じぶきっちょに唇をはじくのに冬吉が唇を押し当てれば、少女の恥じらいは震えになって伝わり、合わせた胸に鼓動は重なった。二人の唇を橋渡す糸が光って、美也子の吐息は少し大人になる。目を閉じたまま小さくほほえみ、冬吉の手を取って自らの乳房の上に置いた。復活した《愛の臓器》を確かめ合う儀式。そっと胸のボタンを外しての再びの口づけに、今度は美也子も女の反応を示した。聖夜。キャンドルは燃える。ベルは鳴って露が散る。
 その時、冬吉の右手の甲にひんやりとした感触が走った。花。摘み取って、美也子の髪飾りにしろとでもいうのだろう。それもいい。生まれ変わった記念のプレゼント。手探りで茎を摘み、引き抜こうとしたとたん、
「痛いよ!」
 甲高いこどもの声。二人はびっくりして飛びのいた。

 声の正体はと窺えば、地中からぬっともみじのような小さな手が、月影に照りながら蠢いている。と見る間に、同じような手がここかしこから、次々と眠りから覚め伸びでもするけはいに突き出るさき、緑色の髪風になびき、花弁に囲まれた小さな顔の、茎は腕になり胴になり、地中から引き抜く根はそのまま足になった。花の精か。
 ざわめきに思わず見回せば、月の妖光の中、あたりには何百人もの似たような裸のこども達が立って、二人に好奇の眼差を向けている。幼な顔はせいぜい五、六歳どまりの、丈低く、表情はみな明るい。こども達は二人を遠巻きにしながらも、耳打ちをするもの、小突き合うもの、腰をかがめて観察するもの、さっと近づきこちらのからだに触れるいたずら者もいる。
 冬吉よりもさきに美也子が声を発して、
「君達、誰なの?」
「ぼく達は、花のこどもさ。それよりも、あんた達は病気なのかい」
「どういうことよ」
「だって、そんなに大きいくせに、木になれないじゃないか。おかしいや」
「木になるって。おかしいのは君達よ」
「へんだよ。ねえ、あんた達、なんていう花?」
「花? わたし達は人間よ」
 呆気に取られる二人をよそに、こども達は集まって何やら談合の、
「せんせに訊こうよ」
「うん。きっと、変種さ」
 こども達は声を合わせて、
「せんせー。この花、変種なんですかー!」
 こども達の振り仰ぐところに目を走らせれば、一本の巨木が、夜の支配者という風格で満月に照って黒々と、枝振り広く、この地のこども達を両手を広げて庇っているけしきであった。梢が風にしなり、巨木が息吹を発したかと思うと重々しい人語で言うことに、
「人間ふぜい、何故、この聖地に踏み込んだ」
 とたんに、美也子の声が上擦って、
「その声。お父さん。お父さんね。わたし、美也子……」
 はたして、小杉博士のことか。巨木が言葉を継ぐには、
「うむ。くだらぬ昔を思い出させてくれたな。そう。わしも以前はヒトという不完全ないきもので、名前なぞという記号で呼ばれていたこともある。
 よかろう。お前達がこの聖地に迷い込めたのも、野性の羅針盤たる、なにがしかのたましいが残っている証。まあ、聞くがよい。
 確かに、わしは、『第二螺旋病院』の院長の座にあったものよ。されど、わしは人間どもの、神、すなわち遺伝子DNAに対する冒涜にほとほと絶望した。欲望につぐ欲望。自由という美酒に酔い痴れた狂気の闘争の渦の中、ヒトは『賢者の石』と『金丹』という、無価値な、機械仕掛けの兎を追うドッグレースの犬になりさがった。勝者も敗者も、ことごとく奴隷と知れ。しかし、ドメクラの奴隷どもには何も見えはせぬ。二十世紀のあぶく銭の法則に於て、ヒトは、『賢者の石』を手に入れたとでも勘違いしたか。そして、前世紀、ヒトは出生率低下の真の原因も考えず、己れだけが生きのびようとする『金丹』伝説に血眼になりおったわ。
 しかし、わしは知った。『不老不死』を操る神の手を手に入れるより早く、ひっそりと眠っていた神の足たる《滅亡の遺伝子》が、人類そのものを押し潰す事実を。愚かなことよ。『不老不死』とは、いのちの水に映る月と知れ。
 サイエンスは確かに、いのちの水を汲み上げる技術を持った。が、水の中の月は、決して水底にはない。いのちの水をすべて掻き出した時、初めて月は天空にあるものと知る。干上がったいのちにいくら懺悔したとて、もはや手遅れよ。そんな想像力もなく、ヒトは欲望のドッグレースに勝ち抜くためにより速い犬たらんとし、そのため不要な贅肉をギリギリまで削ぎ落としてきた。贅肉とは何か。レースに不要の、もろもろの眠れる遺伝子と知れ。そして、ついにヒトは、たましいを司る遺伝子まで切り捨てた。現代のパンドラの箱に、もはや希望はない。泣きわめいて箱の底をかきむしれば、血にまみれた爪先にねっとりとこびりつく最後のものこそ、《滅亡の遺伝子》よ。
 わしは、激しく絶望した。わしは俗世を捨てる決心をし、病院を抜け、この『煙の山』に隠栖した。ヒトが生きた証とは、所詮この山にすぎぬのかと悟った。わしは昇りゆく太陽に唾をし、冷ややかな月にひれふした。月影に血も凍る。いっそ悪魔になれ。わしは、神たる遺伝子DNAの腑分けを始めた。ヒトのいのちを、人工種子の中に封じ込めようと考えた。愚かな人類が滅び去ったあと、いかなる蹂躙からも開放された美しい花や木でこの禿山を彩るために。人類はもはや永遠に、木を伐ることも花をむしることもできはせぬ。
 種子から生まれたこども達は思う存分その花を咲かせ、のびのびと野面を走り回るだろう。やがて成長し年頃にもなれば、なんの打算もなく自然の中で恋を語り、二つのからだが一つに溶け合った時、恋人達のからだは一本の木に生まれ変わるだろう。そして、その木は、静かな愛の夢を見ながら、無邪気に遊び回る幼い花園のこども達を見守るだろう。こうして木々は、この地球上から、人類のいくさの爪痕をおおい尽くすだろう。愚かな人間よ、去れ。この聖なる地より」
 巨木の息吹が風の中に散り、突然、月が掻き消えた。
「お父さん。待って!」
 美也子の声が闇に突き刺さり、無表情に飲み込まれた瞬間、
「あっちだ。あっちにいるぞ!」
 声と同時に、強いサーチライトが二人を照りつけた。光の中に、こどもの仮面が二つ小躍りしている。闇雲に逃れようとしたとたん、銃声。
「死にたくない!」
 美也子がそう叫んで、前のめりに崩れ落ちる。これを抱き起こそうと冬吉が腰をかがめると、再びの銃声。肩に鋭い痛みが貫き、力は抜け、意識は急激に薄れてゆく。サーチライトの裾が禿山のてっぺんの巨大な枯れ木をはき、風に枝が鳴って、あざわらうようこちらを見下ろしていた。

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