見出し画像

【SF連載小説】 GHOST DANCE 29章

    

    29 ゴースト・ダンス


 満月のもと、美也子と初めて結ばれたと思った瞬間、右手にひやりとした感触……冬吉は鉄製のベッドのパイプを掴み、うつぶせに枕を噛んで目を覚ました。
 慌てて跳ね起きると激しい頭痛に思わず立ちくらんだが、からだに異常はなさそうであった。またぞろ腑分けではたまらない。おそらく、麻酔銃を使われたのだろう。ひとまずはいのち拾い。ただし、美也子はいない。六畳ほどの、床も壁もコンクリートの部屋。窓もない。薄暗い螢光燈が天井に埋め込まれてあるだけ。一方に扉。扉には鉄格子の窓が切られてあるが、向こう側から閉まっていて、外は窺えない。てっきり独房だろう。立ち上がって調べれば、扉にはノブも把手もなく、押しても蹴飛ばしてもビクともしない。部屋の隅のむき出しの洋式便器が、屈辱の象徴のように目に染みる。
 不意の胸騒ぎ。《愛の臓器》がひとりでに蠢き、肋骨の檻から脱走しようとのたうちまわっているようであった。思考を止め、冬吉は待った。何を。思考を止めた頭には、ひたすら『ゴースト・ダンス』のメロディーのみがとめどなく旋回して……

 どれほどたったものか。うちつけ鉄格子の窓を開く音が聞こえ、そこから稲垣博士の顔が覗いた。顔面蒼白の、血走った目にはただならぬけはいが漂っている。ベッドから立ち上がって冬吉が近づくと、博士は頬をひきつらせつつ、
「君の臓器をじっくり研究させてもらう。しばらく、ここでおとなしくしていることだ」
「美也子はどうした」
「はっは。もう、呼び捨てにする仲か。美也子君は別な所に閉じこめてある。心配はない。退屈しのぎに、愛しの美也子君と話くらいはさせてあげよう」
 言って、鉄格子の隙間から携帯電話を差し出し、
「のんびり、愛を囁き合うがいい」
 ついで番号を記したメモを投げ入れると、鉄格子の窓はパタンと閉められた。

 ベッドに腰をおろし、冬吉はさっそく番号を入力した。やけに懐かしい声がすぐに耳に流れこんで、
「ハイ、コチラ、小杉美也子デス」
「俺だ。今、どこにいる」
「記憶らいぶらりーニ、イマス」
「そこに、閉じこめられているのか」
「ハイ」
「無事なんだな。怪我はないか」
「別ニ、故障ハ、アリマセン」
「何ふざけてる。一大事だろう。少しは慌てろ。まるで、本を読む口調だ」
「ゴメンナサイ。ナラ、モウ少シ、クダケタ話シ方、スルワネ」
「それより、どういう状況だ。俺の方は、独房のような所に閉じこめられている。狭い上に薄暗い。とんだ罪人扱いだ。そっちはどうだ」
「狭イ箱ノ中ッテトコ。真ッ暗」
「真っ暗。俺がついてると言いたいが、あまり絶望するな」
「絶望。ドウイウコト? bugノコト?」
「ちぇ。俺より落ついてら。とにかく、気がついたら、どこかの小部屋にでも閉じ込められてたってわけだな」
「ウウン、気ガツイタラ、稲垣先生ガイテ、冬吉サンノコトヲ訊イタラ、ヨクモ貴宏ヲ殺シテクレタナッテ言ッテ、ワタシノ胸ニ……」
「胸に、どうしたんだ。又、手術でもされたのか」
「判ラナイノ」
 埒はあかない。やはり麻酔の副作用だろう。押し問答の間じゅうも、冬吉が考えるは今後の策である。しかし、ともに案はない。便々とした長電話に会話は時に長く跡切れ、再びとりとめもなく始まった。その間、牢番のようなやつからスープとパンが支給されたが、美也子の方は水すら与えられていないという。
 不安だけが昂ずる中、冬吉は敢て話柄を転じた。かの、クリスマスイヴのこと。美也子はためらいもみせず、一気に述べるには、
「アノ日、ワタシハ、冬吉サントせっくすスル覚悟デイタノ。ナノニ、冬吉サントキタラ、きすダケ。ワタシ、ツイ、男ノ人ナンテ知ッテルヨウナ口ノキキカタシタケド、本当ハマダばーじん。冬吉サント別レ、家ニ戻ッテモ、オ母サンハ深夜勤デイナイ。ワタシ、冬吉サンノ奥サンニ電話シテ、意地悪シテヤロウト思ッタノ。ソノ時、宅配便ダトイウ声ガシテ、扉ヲアケルト、二人ノ男ガ押シ入ッテキテ、ワタシ、れいぷサレチャッタノ。怖カッタ。裸ノ写真マデ撮ラレテ、冬吉サンニ会ッタラ、コレヲバラマクッテ。男達ガ帰ッタアト、ワタシ、しゃわーヲ浴ビナガラ、長イコト泣イタノヨ。デモ、オ母サンニハ……」
「もういい。やめろ。なんだってこんな時に、そんなことをだらだら話す。実は、あの連中は……」
 冬吉は、事情を打ち明けて詫びた。独房にいることも忘れ、頭を垂れて許しを乞うた。美也子は恐ろしいくらい冷静に受けとめ、ハイハイと相槌を打つばかりに、
「なんで、俺を責めない!」
「ダッテ、秘密ハ、オ互イニアルワ。ワタシダッテ、貴宏サントノコトデ、口ヲ拭ッテタノヨ。デモ身体ノ関係ヲ持ッタノハ、今年ノ初メ。ホントヨ。タダシ、ワタシモ、責メラレテモシカタガナイ。冬吉サントノ記憶ガ蘇ッテナカッタトハイエ、冬吉サンノ意識ガ戻ル前ノ日ノ夜、ワタシ、貴宏サンニ頼ンデ、人工ぺにすノ快楽度数ヲ8マデ上ゲテモラッテ、せっくすシタノ。少シ汚イ愛サレ方デ抵抗ガアッタケド、初メテ、おるがすむすヲ知ッタワ。今、思エバ、冬吉サンニ抱カレテ、イイ気持チニナリタカッタワヨ。ナノニ……」
「どうかしてるぞ。自白剤でも打たれてるんじゃないのか」

 美也子の答が返ってくるよりも早く、いきなり扉が開き、そこに白衣の涼一郎が立った。涼一郎は顎をしゃくり、来い。冬吉はひとまず電話を切り、希望の芽なりとも託してあとについた。
 廊下は刑務所にも似て、左右には自由を封印した重々しい鉄扉が無表情の構えを列ね、時にけものじみたうなり声が反響する。察すれば先祖返りの、特に狂暴なやつらでも監禁する独房なのだろう。涼一郎は受付で事務的なサインをし、やり取りを聞くところ稲垣博士の命で引き取りに来たものと知れた。
 二重、三重もの鉄格子の扉を抜け、ここは地下らしくエレベーターを使って一階に出たとたん、諸行無常の響きを乗せ耳に飛び込んできたものは……思いがけぬ、『ゴースト・ダンス』のメロディーであった。外に出ればなおさらの、冬吉は我が目を疑った。広い駐車場をところせくおびただしい老若男女がどこからともなく流れる頽廃の調べに操られ、両手を天に祖先を乞い、恍惚と踊り狂っているのだ。はて、ここは『蟻の巣』か。いや、違う。たった今出てきた病棟の、つい向こうを見やれば、囲いの壁歴然と、ここは病院の敷地内に他ならない。
 涼一郎の説明を仰ぐに、かの『蟻の巣』の乱舞、二日目に入ってどっと盛り上がり病院を取り囲んで不穏きわまれば、ただちにこれを排除しようと機動を繰り出すにして、狂気の高まりに催涙ガスもおどろ立ち篭めるところ、病院内も『ゴースト・ダンス』の退廃に感染してしまったとのことであった。「不老不死」の敗北か。明るいこどもの仮面も、乱れる足に踏みしだかれ、皺くちゃの老醜をさらした。
 踊り狂うものらを縫い、二人はすぐに電気カーに乗って走る。ハンドルを握る涼一郎が言うことに、
「この混乱、逃げのびるには好都合だ」
「それにしても、おぬしからしておたずね者じゃなかったのか」
「あの件はお咎めなし。例の『臓器爆弾』の罪は、貴宏のやつがまとめて、あの世への道連れに持っていってくれたよ。そうはいっても、またぞろいつおたたずね者になってもおかしくない身だがね」
「何か、しでかしたのか」
「ささやきの遺言を忘れたのか」
「まさか、……」
「そう。君の時代からの法則に従ったまでのこと。政治家のこどもは政治家。医者のこどもは医者。タレントのこどもはタレント。ホームレスのこどもはホームレス。そして、革命家のこどもは革命家だよ。ずばり、テロを敢行した。暗殺だよ。しかし、むなしい結果に終わった……」
 涼一郎はそこで言葉を切り、ポケットから二本の青いサングラスと二枚の青いカードを取り出し、冬吉の膝に載せた。唖然とする冬吉をよそに、涼一郎は淡々と語り始める。
 ちょうど、冬吉と美也子が『蟻の巣』の雑踏を掻き分けている頃だろう。ささやきを人間として弔ったあと、涼一郎は情動のまにまに父刑天の宿怨を晴らすべく、《ブルー・サングラス》の暗殺を決意したという。計画なおざりのぶっつけながら、「長生殿」と銘打った《ブルー・サングラス》の邸に直行すれば、監視カメラも節穴か、思いの外あっさり侵入の、気づけばグロックを手に安楽椅子にふんぞりかえる《ブルー・サングラス》の背後に立っていたという。それにしても、このたやすさは何か。思えば、住居侵入罪だけで死刑とあらば、盗人どころかその垣に手を触れるやつもいない。父刑天にして、通行人の通報で御用になったとか。はたせるかな、《ブルー・サングラス》は冷気吹き出る安楽椅子に保存されながらも、すでにして死臭発する木乃伊であった。こんな首級を取ったとて、何がテロか。悔し紛れの銃弾をぶち込んではみたものの、恨みは晴れない。思いを巡らせば、真の首魁は現院長か。涼一郎、とって返して院長宅に押し込めば、これ又腐敗いちじるしい屍体にすぎない。
 半ば狂乱のまにま、涼一郎は『蟻の巣』に出向き街宣車したててアジりまくった。冬吉と美也子が、『煙の山』で追い詰められている時分である。『ゴースト・ダンス』の狂騒を革命に結びつける。これぞ父刑天の本当の狙いではなかったか。我々は屍体に支配されている。「不老不死」は単なるプロパガンダだ。目を覚ませ。踊っている場合か。しかし、彼らはひたすら踊る。反応のない群衆を前に、涼一郎の革命熱もすっかり覚め、すごすごと病院に戻ってみれば、
「君と美也子君が捕まって、先生のもとに引き取られたという情報が入った」
「またしても、助けてくれる気か。それより……」
 涼一郎はおっかぶせると、
「いいか。君達が逃げられるところは、もはや時間の彼方だけだ。そう。《自動冬眠装置》だよ。僕は、《ブルー・サングラス》を二個侮辱した。ところが、いまだにそんな報道は流れない。なぜか。当局にとって《ブルー・サングラス》の死は、あってはならぬことだ。神話の死守。なればこそ、『ブルー・カード』が盗まれる道理もない。その『ブルー・カード』を手にすれば、君と美也子君はいわば新たに転生した《ブルー・サングラス》と言える。その特権で《自動冬眠装置》を作動させ、少なくとも再びの百年の眠りにつけ。タブーの封印あらたかなピラミッドというあんばいだ」
「それより、美也子は。実は、稲垣博士は俺と彼女の交信だけは許してくれた。それによると、《記憶ライブラリー》に閉じ込められているとか」
 冬吉が携帯電話をあやつり掛けると、涼一郎はその上に桃色の肉片の入ったシャーレを重ねるように置いて、
「そこには、美也子君の体細胞が入っている。サイエンスを信じろ。細胞の中の遺伝子DNAという設計図がありさえすれば、美也子君のクローンは作れる」
「クローン。なんの話だ。美也子は《記憶ライブラリー》に……」
 涼一郎はせせら笑うのみであった。

 やがて眼前に、かってささやきと見学した『マジック・ランド』の巨大なドームが迫り、車はその下に潜り込む。地下のトンネルを抜けると、噴水やらきてれつなモニュメントの立つチェスの盤上にも似た広場に出、正面には《第二螺旋病院》のシンボルをなすかの超高層のビルディングが落日の後光に照ってそそり立った。そして、広場はと見渡せば、色鮮やかな照明の飛びかう中、軍楽隊は自己陶酔に半ば泣き、指揮乱れつつも哀愁の『ゴースト・ダンス』を奏で、あたりでは大人もこどもも、警官も板前も、老人も少女も、医者も患者も看護師も、はたまたどこから迷い込んだものか尻尾や角のあるやつ、毛むくじゃらのやつ、鱗におおわれたやつ、様々の先祖返りのいきものどもも入り乱れて踊り狂っている。
 車を降り、冬吉は涼一郎について広場を突っ切り、ビルの正面の石段を上がって中に踏み入った。広いホールにも人々は溢れ、誰もが『ゴースト・ダンス』に加わろうと狂態すさまじく、押し合い圧し合い、転がりながらも外の広場に殺到する。涼一郎は構わずホールを渡ると、金色のロープで囲われた物々しい彫刻入りのエレベーターの前に立って、
「さあ、そこのスリットに『ブルー・カード』を入れるんだ。エレベーターが来たら、最上階に行け。そこに、《自動冬眠装置》がある。今なら見咎められない。早く行け」
「何を馬鹿な。やい、《記憶ライブラリー》てのはどこにある。何が、クローンだ。なめるな、このやろう!」
 冬吉が思わず掴みかかると、涼一郎は面つき険悪に肩を揺すってその手を振りほどき、
「来い」
 足早にホールを横切り、八方に分かれた広い廊下の一つに踏み込んだ。冬吉もついた。廊下はがらんとして、人の出払ったあとの侘しさの中、広場の『ゴースト・ダンス』が煙のように籠り、どんよりと反響している。左右にはつくり豪華な劇場や図書館といった公共の施設が重苦しく連なった。
 涼一郎はじきに右手の、背丈の倍はありそうな観音開きの扉の前で立ち止まった。カードを使えば、扉はゆるやかに音もなく開く。中は、だだっ広い納骨堂のような空間。背の高い棚が並び、棚は二十センチ四方ほどの碁盤割りに整然と区画され、そこに白い陶器製の抽斗が納まっている。涼一郎はずかずかと奥に進むと、抽斗の一つを引いてから言うことに、
「君は、このコンピューターと交信しているだけだ。《記憶ライブラリー》がどんなものか、聞いていたんじゃないのか」
 そういえば、当の美也子から……冬吉は、不意に思い出した。不安が足を抱きすくめ、押さえようのない震えになった。
「いいから、番号をタップしてみたまえ」
 言われて、冬吉が手にした携帯電話で発信履歴を探れば、
「ハイ、コチラ、小杉美也子デス」
 冬吉はその声を胸で塞ぐと、
「だったら、本当の美也子は……」
 表情を消した涼一郎がかすかに顎をしゃくり、すぐに歩き始める。廊下に出、ちょうど向かいにあるエレベーターに乗って十九階で降りた。再び人気のない廊下を進み、涼一郎の足の止まった扉には『稲垣研究室』としるされてある。
 扉をあけた最初の部屋はパソコンやコピー機、それに書類が山をつくる雑然とした空間。続く扉を開けば、不意に鼻をつく刺激臭。ここは応接室のような部屋で、棚には各種臓器やら畸形児のホルマリン漬けが並び、そのうちのいくつかが下に落ちて砕け散っている。そんな中で、頭からおびただしい血を流した稲垣博士が、不自然にからだをよじって倒れていた。
「どうやら、僕の犯罪はこのコロシ一つということらしい。結果的だが、美也子君の仇は討った」
「仇……」
 涼一郎が次に続く部屋に入った。ロッカールームのようなところで、薬品の箱などが積み上げられてある。その先には両開きの扉があって、肩で押して入れば十坪ほどの手術場であった。上部にはガラス張りの見学室もある。無影燈の下、手術用のベッドの上は白いシーツがこんもりと、女の髪がわずかに覗いた。
「手遅れだった。君達二人が捕まったことを知り、慌ててここにきたんだが……」
 涼一郎の言葉の意味もそぞろ、思い切って手術台に近づき冬吉がシーツを剥げば……ああ、そこには一糸まとわぬ美也子が、固く目を閉じて冷ややかに横たわっている。一目で、いのちのないむくろと知れた。しかも、コロシ。美也子の肉体は、首の下から臍にかけてジッパーでも下ろしたごとくパックリと切り開かれ、血は斑模様にこびりつき、手術台というよりは凄惨な犯罪現場であった。その頬に目を走らせれば、高校卒業の記念にキスをした、二つ並んだ小さなホクロに紛れもない。
「美也子、美也子……!」
 冬吉が思わず肩を揺すれば、
「ハイ、コチラ、小杉美也子デス」
 携帯電話からの声が即座に流れる。冬吉は声にすがりつく意気込みで、
「どこにいる。冗談はやめろ。返事ができるくらいなら、目をあけろ!」
 とたんに涼一郎は手を打って、
「はっは。それと同じギャグが、ついこの間テレビ番組であったよ」
「美也子。君は死んでいるのか……」
「死? アノ、オ父サンナラ、ワタシノ小サイ頃、死ンダケド……ワタシノ死ッテ……ドウイウ……」
 涼一郎は、携帯電話を持った冬吉の手をグイと下ろすと、
「馬鹿げた真似はやめろ。《記憶ライブラリー》には『死』とか『愛』とかいう抽象概念はインプットされていない。現実を認めろ。そこに横たわっているのは、もはや美也子君ではない。生命現象を止めた、単なる炭素化合物。なんの尊厳もない、いっそ粗大ゴミだ」
 言いつつ、涼一郎の視線はぶしつけに美也子の裸体を見下ろしている。美也子はしどけなく足を開き、あたかも房事のあとのうたた寝のけしきであった。童顔を残したまま、冬吉のあずかり知らぬ十年のうちにすっかり成熟した腰つきの、夏草しげく煽情あられもなく目に燃え上がる。犯すべからざる、死神の花嫁。
 冬吉が落ちたシーツを拾い上げその恥をおおい隠そうとした瞬間、涼一郎の手が無防備な美也子の股間にのびた。冬吉は反射的に涼一郎の顎に左の拳を食らわせ、ついで足を使って押し倒した。虚をつかれ、涼一郎は背後の手術器具の載ったテーブルもろとも床に横転した。冬吉は激昂のまにま、
「てめえ、まさか!」
 かの『スナッフ・ゲーム』における、涼一郎のあさましい行為が頭をよぎる。涼一郎は尻餅をついた形で唇の血を拭いつつ、不意にくくむような狂気じみた笑い声を発したあと、
「ああ、そうさ。思いは遂げさせてもらったよ」
「このヘンタイ野郎! 美也子を手に掛けたのも……」
 床に散乱したメスを手に冬吉が飛び掛かろうとすると、涼一郎は素早くポケットからグロックを取り出すや即座に一発。今度は冬吉が銃声に怯え、床に這いつくばった。
 涼一郎は目に異常な光を点滅させながらも、グロックを持った手に震えなく、銃口をピタリとこちらに向け、
「ただし、殺したのは僕じゃない。僕がここへ来たときには、美也子君は向こうの部屋のソフアですでに事切れていた。服の上から、心臓に向けて注射針がぶち込まれていたよ。先生もいなかった。部屋の中で、僕と美也子君は二人きりになった。今、君は僕のことをヘンタイと言ったな。しかし、僕にとってはこれも愛の形なのさ。そう。まだ君が地下の凍結室で眠っている頃だが、美也子君は僕に少なからず好意を示したことがあった。嘘じゃない。その気になれば、どうとでもできた。しかしね、僕は見事に振ってやったよ。そのせいかどうか、貴宏のやつと初めてホテルにしけこんだのはその直後だった。言っておくが、僕は美也子君が嫌いで邪険にしたわけじゃない。むしろ、その逆。単に見てくれだけなら、ずっと上玉を何人も知っているよ。ただ、美也子君は他のどんな女にもない何かを持っている気がした。今にして思えば、《愛の臓器》。それ故にこそ憧れ、又、それが障碍になって、僕は美也子君が抱けなかった。僕の男根は、美也子君に対してだけは貴宏とご同様。が、僕は『人工ペニス』なんぞまっぴらだ。完全主義。そうかも知れない。ただし、美也子君の死を思うと、僕の男根はたけり狂った。あんなロボットを作らせたのも、そのためさ。なぜか。僕は無意識のうちに、美也子君と同じ臓器を欲していたんだ。僕は君に嫉妬したよ。君達が当たり前のように持っているものが、僕にはない。僕がどんなに努力しても、美也子君と同じ世界には立てない。ならば、いっそ彼女を、僕の世界まで引きずり下ろす。すなわち、死。
 ソフアの上に横たわる美也子君の肌は、まだ生きているようなぬくもりがあった。しかし、医学的には完全なライヘ。今ようやく、僕と対等になったんだ。君、頼むから、僕をヘンタイ呼ばわりしないでくれ。僕は誓って、美也子君をぞんざいには扱わなかったよ。今まで抱いたどの女よりも、やさしく愛撫した。だからこそ、美也子君も、僕にからだを開いてくれた。ああ……まるで、一生分のスペルマを使い果した気がしたよ。そして、ついに、認めないわけにゆかなくなった。死んだ女の子宮に放出された、僕の遺伝子DNAの片割れ……決して結ばれることのない、恋人探し。僕はやはり、《滅亡の遺伝子》に操られる、退化した現代人の一人さ……」
 涼一郎なりの悟りなのだろう。いつの間にか、背後に稲垣博士が立っていることも気がつかなかったらしい。取り繕ってコトのしだいを問えば、ソフアで麻酔から覚めた美也子が初めに口にしたのが冬吉の名前であったという。一時は嫁にとも思っていただけに憎さ百倍の、発作的に殺害に及んだらしい。跡取りを失ったことでの狂気か。どうやら、貴宏が『蟻の巣』の女に逆上せあがっていたこともつゆ知らず、医者としての立場も忘れ、《愛の臓器》ならぬ「狂気の臓器」を貴宏が欲しがるに至ったこと、すべては美也子と冬吉の罪と断じて揺るぎなかったという。だからこそ、脳が腐らぬうちに美也子の記憶をコンピューターに転写し、《記憶ライブラリー》に葬ったあと、あたかも生きているものとして携帯電話を冬吉の手に渡したとのことであった。
 いずれにしても、いまだ惑乱状態の稲垣博士が涼一郎に懇請するには、君も息子と思っている……研究を一緒に続けてくれ。ためらう涼一郎に対し、博士は自分のコロシを棚に上げ、今度はオドシの口調いまいましく、『蟻の巣』での煽動の件で当局への出頭命令がでていることを踏まえ、協力すればもみ消すとのこと。
 それにしても、《ブルー・サングラス》暗殺については博士の耳にすら入っていない。涼一郎、悟りも束の間、思わずほっと胸を撫で下ろせば、もはや革命の気合はどこへやら、博士について生きのびる欲がでたという。
 さっそく、新鮮なうちに美也子の屍体を解剖することに同意、これを手術室に運び、涼一郎自らメスを執ることになった。皮膚を切開し、筋肉をわけ、肋骨を切除するうち、わだかまる美也子への思いもサイエンスの彼方に消え去ったらしい。実際のところ、《愛の臓器》を丸ごと目にするのは初めてのこと。はたせるかな、《愛の臓器》は心臓と重なるもうひとつのハートのごとく、見事再度の復活を遂げていたという。
「なんと美しい臓器か。僕は芸術家ではないから、いかにとも表現はできない。しかし、僕は考えた。遺伝子DNAが『もののさとし』として人類に示した、この美しきメッセージはいったい何か。なのに、先生はぼくの感動とは裏腹に、やはり狂気さめやらずか、こんなモノのためにと泣きわめき、《愛の臓器》をメスでめった突きにし、むしり取って……」
 涼一郎の目がうつろに、美也子の横たわる手術台の脇にそそがれた。その方に冬吉も視線を向けたが、血をぶちまいて地団駄を踏んだ形跡こそあるものの、そこに臓器と認められるものは見当らない。それでも、涼一郎の方はしかとある一点を見据えつつ、
「ぼくは先生の暴挙を制止しようとした。初めはサイエンティストとして、ついには美学的見地から。確かに、僕はこう叫んだはずだ。きさまに、この美しき臓器を蹂躙する資格があるのかと。争った結果は、向こうで君が見たとおりさ……」
 《ブルー・サングラス》への大逆罪を別にしても、夢破りの大罪に、『ホワイト・カード』階層の殺人が加われば涼一郎とて極刑は免れない。身のほども弁えぬ革命への衝動を押さえ、サイエンティストとしての涼一郎にできることは何か。そう。かの百年前の桑原博士が《愛の臓器》を宿したカップルを未来に向けて送り出したように、この時代でも理解されぬ「もののさとし」としあらば、さらに次なる未来に二人を送り届ける道しかあるまい。片割れの美也子は死んでしまったとはいえ、涼一郎は分子生物学のサイエンティスト、遺伝子DNAをもとに個体を発生させるは一生のテーマでもある。できる。信念はあった。
「だからこそ、僕は美也子君の体細胞を採取し、先生の命をよそおい……」
 銃口を心棒に、いつ尽きるとも知れぬ独白の涼一郎の眼差が、ふと上方にそれた。見れば、壁に貼られたテレビ。思い出したように、かすかな音声も流れてくる。映像は、『ゴースト・ダンス』を踊り狂う『蟻の巣』の住民に向けて軍隊による発砲の、大量虐殺を映し出している。実況中継のアナウンサーは昂奮気味に彼らを暴徒と決めつけ、滅亡への強迫観念を植えつけ民衆を暴力革命にたきつけた『愛のパルチザン』を、こども達の「薔薇色の夢」を打ち破る残忍な共産主義の亡霊と糾弾し、偉大なる「不老不死」を声を限りに訴えていた。とたんに、
「馬鹿野郎。屍体が殺せるか!」
 涼一郎はそう叫んでグロックをテレビに向けてぶっぱなすと、ふらふらと立ち上がったのが、冬吉なぞ無視のていで手術室から走り去った。
 直後、廊下の方から二、三発の銃声、ついでけだものにも似た咆哮が尾を引き、それも一気に遠ざかって、あたりは急にしずもった。

 ←前へ 続く→


この記事が参加している募集

眠れない夜に

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

貧乏人です。創作費用に充てたいので……よろしくお願いいたします。