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【SF連載小説】 GHOST DANCE 8章

    

  8 滅亡の遺伝子


 翌日の朝、いつもより食事の時間が遅いと訝る冬吉のところに、美也子ならぬ貴宏がラフなジャケット姿で現れるなり、
「さあ、今日は外の見学です。食事も向こうでとりましょう」
 そう言って渡されたのは、白よりは格の落ちるらしい灰色のカードながら、とりあえずのパスポートであった。冬吉は、さっそく貴宏に従って扉を抜けた。

 すでにささやきとの見学で都市と融合したこの時代の病院の概要をおぼろに掴んでいたはずが、貴宏とのゆったりとした散策に於て冬吉は改めて奇異のふぜいにたじろいだ。
 しばしはありふれた病院のけしきも、廊下を一つ折れるあたりから禁欲的な病室のみならず洒落た門扉の集合住宅やら事務所やら、各種店舗が入り乱れ、街と病院が錯綜するところ、白衣に混じり通勤途中の会社員、立ち話の主婦、ランドセルのこどもたちの姿が自然に溶け込み、階段を降りてみれば不意に巨大なショッピングモールの、深い吹き抜けの底は多くの買い物客でごった返した。

 とりあえず二人は、そんな吹き抜けを見下ろすカフェに入り、ビーフサンドとコーヒーを注文した。天井からはアンティークなランプがあまたぶらさがり、姿態さまざまな猫の骨格標本との取り合わせが不思議なハーモニーをつくっている。
 貴宏はここに来るまで口数少なく、ひたすら独り笑い不気味にこころここにあらずのけはいであったが、コーヒーの一口でようやく頭の焦点を合わせると、
「さて、なにはともあれ、我々の時代に来ていただいたあなたのために、ざっと現状をお話しますね。まずは、《滅亡の遺伝子》について。そう。あなたの時代に環境汚染、森林の枯死、地球の砂漠化なんかが問題になっていたと同様、前世紀の中葉からは生物種の大量絶滅が一番の問題……そしてついに人類にもその危機が及び始めたんです。一説には宇宙原理における地球浄化作用のための、いわば宇宙遺伝子が働いているとも言われましたが、このところもっぱらな仮説は、今まで眠り続けていた《滅亡の遺伝子》がなんらかの原因で発動を始めたということなんです。とにかく、試験官ベビーをつくろうにも、精子と卵子が恋愛してくれないと言えば、あなたにもお判りでしょ……」
「はて、確か俺の生きていた頃にはすでに試験官ベビーどころか、クローンの技術も確立したとか……」
「体細胞クローンのことですね。なんでも、ヒトラーを再生産するとか……そんな幼稚な……失礼、議論もあったと聞きます。しかし、そのクローン技術、動物の方では一つの完成を見ましたが、ひとたび人間に応用したとたん、見事挫折したんですよ……」
「どういう……」
「そう、その前にあなたに一つ質問します。なぜ、赤ん坊は生まれるとすぐ、泣きだすと思いますか?」
「うーん……たぶん、空気に溺れるんじゃないかって……」
「はっは。なんだかぼくもその意見に賛成したいくらいです。実は、ついこのあいだ自殺した著名な哲学者が、こんなコトを言っているんです。一箇の受精卵を形成するまでにはおびただしい生存競争が行なわれる。まあ、子宮というのは、我々の社会以上の弱肉強食の競争社会というわけです。しかも例外はあるにして、生き残るのはひと組み……要するに、生まれた瞬間、もう人を蹴落とすような競争はまっぴらだと泣きだす。これが産声だと言うんです。もちろん、サイエンスとしてはなんの根拠もない。ただし当人に言わせると、少なくともかかる試練をへたからこそ、現実の競争社会にも堪えられるというわけです。ところがクローンというやつは、その試練を経ていない。故に産声なしの沈黙の赤ん坊として産まれてくる。まあ、母親の腕に抱かれている間は問題はないんですが、ちょっとでも競争に関わると……そう、例えばお遊戯が上手いとか下手だとか、駆けっこが早いとか遅いとか、そんなことがショックになって気が狂い、いかなる精神療法も甲斐なく衰弱死するか、自殺をしてしまう。もちろん、サイエンスとは無関係なこじつけとはいえ、これが現実なんです。ついては、クローンが育たないのも、受精卵が形成されないのも、さっきお話ししたところの《滅亡の遺伝子》が原因というのが通説なんですね……」
 いずれにしても、各国政府はこの絶望的遺伝子の制御、ないしは排除に懸命ながら、その正体は幽霊にも似て、むなしい対症療法しか術はない。人類全体のパニックを恐れ、この危険の情報は各国とも極秘を建て前としながらも、滅亡への予感は風説にのり、いつしか地球を丸ごと抱きすくめたけはいである。足元の崩壊に空を見上げるゆとりもなく、宇宙への計画も事実上頓挫のようであった。
 目を政治経済に移せば、野放図な欲望主義の毒ガスの結果、東西冷戦が崩れ去ったさき、パワー・ポリティックス印の新帝国主義高らかに、北の酒池肉林の宴のために南の飢餓道あるは必要悪との理念のもと、南北問題の永久保存に拍車がかかったらしい。同様に、グローバリゼーションという美名あざとくも国境を越えて権力者は手を結び、権力の固定化はおのずと前近代の世襲を是認、二世から三世へ、そして四世五世へと引き継がれ、この世をば我が世とぞ思ったとたん、望月(もちづき)は虧月(きげつ)の始まりにして、驕り欠け落ちるところ、己れの夢の、富と権を受け継ぐべき子孫が軒並みに途絶えだしたという。
 無論、この問題を解くべき手だては《滅亡の遺伝子》の制御に違いない。とはいえ、これがままならぬとあらば、さすが殺されてもくたばりたくない業突張りども、どこの馬の骨とも知れぬ養子に夢を託すは意に満たず、自らの「不老不死」を希求、莫大なる『金丹基金』を創設したしだいである。
「ここに於て俄然脚光を浴びたのが、この『第二螺旋病院』の前院長、小杉博士という天才学者だったわけですね。すなわち、老いも死も遺伝子DNAのプログラムであって、これを組替えることによって不老不死は可能であると。ところが当の小杉博士、何を思ったか、ある日突然蒸発してしまったんですよ……」
 業突張りの権力者どもが、これを黙って見逃すわけはない。桁外れの賞金を積んで博士の行方を探索させたものの、情報のことごとくは賞金欲しさの偽りにして、ついにはその消息杳として知れぬまま、はや十年が過ぎ去ろうとしているという。
「もちろん、今でも小杉博士の探索は続いているんです。年に一度、『仙人探索隊』とか、『金丹捜索団』とかが結成されて。でも、実態はある種のお祭りですよ……」
 不意に貴宏の目が険悪に細められ、斜め後ろの学生風の男を睨みつけた。耳から外したヘッドホンの、金切り声に驚いたせいらしい。学生は気まずそうに、つと立ってレジに向かったが、冬吉はつい、
「今の曲、なんという……」
「『ゴーストダンス』です。いやな傾向ですよ」
「ゴーストダンス?」
「ええ、原曲は確か、あなたの時代のものですよ。ご存じじゃないですか」
「そういえば……」
 確かに、ほんの数小節ながらメロディーは冬吉の耳底にこびりついて離れない。南米系の軽快なリズムながら哀調を帯び、こころに粘りついてくる。なぜか切ない。テーブルを鍵盤に見立てコード進行を探るさき、おのずと続くメロディーも浮かぶようであった。
 貴宏は、わざとらしく声を落とすと、
「本当はあの曲、この病院じゃ発禁なんですよ。いわば、反体制のキチガイ宗教を煽る麻薬とでも言いますか。あっ、話がそれちゃいましたね……」
 そう。「不老不死」の夢もろとも小杉院長が失踪したあと、これに代わってせり上がった医療こそ「臓器移植」に他ならない。すでに拒絶反応は克服され、五臓六腑は言うに及ばず、皮膚から眼球に至るまでリフレッシュ可能とあらば、権力者ども、これに飛びつかぬ法はない。結果、『第二螺旋病院』は『臓器移植科』を中心に発展し、権力と医療、都市と病院の混在融合に拍車がかかったらしい。
 得々と語られる最新医療の成果ながら、ふと得心いたしかねるけはいであった。何を今更臓器移植か。おぼろの記憶ながら、再生医療という言葉が浮かぶ。そう。幹細胞を利用しての各種臓器の培養。さりげなくぶつけた質問に対し貴宏は侮辱でもされたよう頬を震わせたが、すぐに嘲ら笑いにも似た表情を浮かべて、
「ああ、そうでしたねえ。確かにES細胞を活用しての再生医療に関しては骨や血管、ま一部の臓器ではもとより常識の医療ですが、実はさっきのクローンと同じ宿命を持っていて、現実には一時避難用の間に合わせにしか利用できないんです。そう。後からわっとおどされただけで止まってしまう心臓。ちょっとお酒を飲みすぎただけで石になってしまう肝臓……」
 つい吹き出したのに、相手は上目に小さく睨みつけてから、
「とにかく、完成の域をみた臓器移植こそ、最も安定した医療というわけです。今の院長も『臓器移植科』の出ですし、……ちなみに僕の父も、もちろん僕も、元々は臓器移植の出身なんですけど、ちょっとしたことでずっこけましてね。それにしても、今の院長ときたら、飛ぶ鳥を落とすって言いますか、実質的には《ブルー・サングラス》の階層ですよ……」
 《ブルー・サングラス》。すなわち、権力の頂点に立つ一掴みの支配者どもの異称と知れた。やつらには若返りのための臓器移植の他、近年開発された《自動冬眠装置》利用の特権が与えられているという。つまりは、天命たる死を繰り延べにする、ふてえ料簡の仕掛けらしい。
「死を恐れるあまり、生を否定するってわけか。死人の思想だ」
「しっ!」
 貴宏の顔が青ざめた。それから、あたりを窺い声をひそめると、
「いいですか。お願いだから、そんな過激なコト言わないで下さいよ。僕の責任になっちゃう。《ブルー・サングラス》は、あくまでも不老不死なんです。これこそ、現代の夢。『夢の破壊罪』が、この時代、最も重い罪だってことを忘れないで下さいね」

 じきにカフェを出、再び散策を続けるさき、ビルの谷間はかの遊園地のごとき大小のドームでおおわれ、廊下はいつしか緑あふれ小鳥さえずる小径となって、池にはボート楽しげに、テニスコートから若者の声かしましく、続いてジャングル鬱然とひろがるところ、いかなるからくりか絶滅した恐竜うごめくと見るまに、カルチャーセンターを兼ねた博物館美術館とぶつかって、とたんに高級ブチック街にガキども群がり、そこを抜ければやはり病院の、死臭ふくんだ消毒薬のにおいがつんと鼻をつく廊下に出た。

 一渡り見学を終えると、二人はエレベーターを使い展望のきくレストランに上がって、ここで昼食をとる段取りになった。
 フランス懐石に冬吉が食欲旺盛なのに貴宏は呆れて、
「けっこうからだを鍛えていたようですねえ。久しぶりにずいぶん歩いたというのに、息も切れない。なんか、僕のほうが疲れてしまいましたよ。実は、これからあとは涼一郎君が『蟻の巣』の案内をする予定ですが、その分なら大丈夫ですね」
 食事の手を休める貴宏の目が、ふっと窓外にそそがれ再び独り笑いの、こころなしかいろ好みのふぜいが漂った。
 見下ろすところはゴルフ場を思わせる芝が人工着色されたけしきにあくどく照り、その向こうには背の高い武骨な壁が視界の切れるまで続き、病院はさながら巨大な要塞であった。
「あの壁の向こうが、『蟻の巣』ってわけか」
「え、ええ、そうです」
 思い出し笑いの貴宏が慌てて顔を戻した。
 『蟻の巣』が病院外のスラムの俗称であることを、冬吉はテレビからの情報で心得ていた。ここから見るかぎり、濁った大気に溶け込んだビルがごちゃごちゃと魔物に怯えるようからだを寄せ合っていたが、この病院に溢れる偽善的な衛生行政よりは泥を掴むに似た人間臭さが淀んでいるけはいであった。

 食事が終り、三十分ほどが過ぎた。腕時計に目を落としていた貴宏が、突拍子もなく言うことに、
「あの、ちょっと……妙なコト、訊いていいですか」
「なんだ」
「つまり……つまり……あくまで、百年前のあなたの感想ですよ。つまり、どんなによくできたコンドームでも、つまり……やはり、そんなモノを使わない方が……なんて言うのかな……いや、もう、いいです。やばいなあ……」
 貴宏は、飲んだ言葉に一人もじもじと顔を赤らめていた。こいつ、何が言いたいのか。とっさに頭に浮かんだのは、『人工ペニス』のことであった。
 出し抜け貴宏は手をのばすと、冬吉に無理矢理の握手を求め、
「とにかく、お願いしますよ。あなたには本当に期待しているんです」
 ねっとりと汗ばんだ掌うす気味悪く、なんとも答えようがないところ、横合いから声があがって、
「ほう、和気靄々ですな」
 顔をねじると、薄い紫色のサングラスに白のサマースーツをひっかけた涼一郎がいつもの皮肉に満ちた笑顔をつくり、つい隣には黄色いワンピースの美也子がナースの時とは打って変わったゆるいウェーブの髪を肩まで垂らして立った。初めて目にする私服姿の美也子。冬吉はこころがときめいた。それでも、美也子の方は冬吉を敢えて無視するそぶりで小さく控えている。
「遅いじゃないか」
 非難しつつ貴宏が立ち上がったのに、涼一郎はゆとりの笑顔のまま、
「悪かった。暇つぶしに、美也子君とセックスしていたもんでね」
 美也子はすかさず涼一郎を睨み上げると、潔癖な口調で、
「へんな冗談はやめて」
「はっは。実は、ここの飯は口に合わない。僕お薦めのイタ飯の店に美也子君を招待したんだが、どうも食がすすまない。なんでも、デートをすっぽかしたそうじゃないか。男と女、ルールくらい守ったらどうだ」
「君には関係がないだろう。たまたま急用ができただけのことさ」
「とにかく、美也子君が君に話があるそうだ」
 それから、冬吉の方に顔を向けて、
「どうかね。疲れていないなら、ぜひ、『蟻の巣』へ……」
「ま、お邪魔のようだし。じゃ、行ってくら」
 美也子に言ったつもりが、なんの反応もない。やはり、キスが強引すぎたのだろう。確かに、「野蛮人」と罵倒されても止むを得ぬ所業のようであった。

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