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【SF連載小説】 GHOST DANCE 7章

    

 7 愛国少年の物語

 遊園地と性教育ふたつながら半端になったせいか、プリプリと膨れるささやきを宥めすかし、冬吉がやっとの思いで1707号室に舞い戻ったのと、美也子が配膳車にて夕食を運んできたのはぎりぎりセーフの、時間差にして五分足らずのことであった。
 美也子は態度そっけなく、顔つきも冷たい。やはり、当方の責任だろう。そう。最初に言葉を交わしたノリを件の肉体的条件故にひとまず引っ込めたに代わってヌッと顔を出したタチは、自分でも首をひねるほど陰気な、辞令すらままならぬ厭人癖というありさまであった。見事、ポジとネガ。とたんに、とんでもない発想が浮かぶ。百年後の世界……ここは、もしや来世ではないのか……
「どこか、気分でも……」
「いや、なんでもない」
 俯いて誤魔化すにして、初の遠征の緊張になのめならぬ衝撃も加われば、呼吸も荒く、疲れのいろを異変と捉えるは職掌柄当然の見立てだろう。
 そのように、美也子の指先がさり気なく冬吉の手首に巻きついた。金属を貼りつけられたような、ひんやりとした感触。仔細らしく患者の脈を診る敬虔なナースの顔に、今も雑誌の間に挟んであるディスクの、法悦に緩んだ女の顔が重なった。貴宏の姿はすでにない。過去の穢れを浄める、一人きりの儀式。そのとたん象牙色の『人工ペニス』が白刃のごとく光り、白衣を血に染めたようであった。
 脈を診る美也子の顔が険しくなった。確かに、自ら悟るほどに脈拍は走る。走るさきに、謂れなき罪の意識が黒い粘土の壁になって立ちはだかる。めり込んだ向こうに、何があるとも定かでない。
 気づけば、美也子が目をうつろに見開いてこちらを見下ろしている。いかなる訳合いだろう。すでに冬吉の手首から指を引き、代わって自脈を取っている。冬吉も見返した。互いに何かを探る。その何かを恋と短絡はできかねる。ちぐはぐな探り合い。二人の間には、分厚なガラスがでんと控えているようであった。
 えい、もどかしい。切なさ遣る瀬なく、つい引っ込んでいたタチがまかり出て美也子の手を引けば、白衣の身は他愛なくベッドにくずおれた。唇を奪うこなしに淀みはない。恥じらいの露を捕えた瞬間、耳の奥にクリスマスキャロルが流れ、罪の壁がのしかかるところ、支える掌は美也子の胸にあってその乳房を圧している。成熟なやましい女の乳房。意外であった。そう感じた仔細は何か。暗黒の記憶を押し開いて手探りするさき、額縁の少女が冷ややかに笑い、次の瞬間闇は散り……見れば白衣の胸元しどけなく、もはや看護師を下りたところの、目をしっとりと閉じた女の顔があった。肌を許すというか。心臓が躍り、冬吉が力を抜くと同時、美也子も夢から覚めたけしきに勢いよくからだを起こすや、出し抜けのビンタが飛んだ。威勢のいい音が病室に響く。はて。プレーボーイはいずこ。見事、冬吉は反撃にたじろぐ、意気地なしの痴漢のていであった。
 美也子は屈辱と戸惑いに頬をひきつらせ、掻き合せた胸の上に掌を置いて動揺の鼓動を鎮めつつも、精一杯ののしるには、
「野蛮人!」
 それから後退り覚束なく、不意に背を向けると小股走りに部屋を出た。

 混乱した冬吉の頭の中に、記憶の濁流がほとばしる。ゆかしい淀みをすくいあげようとしたとたん、流れは逆巻き混沌となって滝壷に落ちた。代わって、宿酔にも似た嘔吐が肉体を突き上げる。食事を取る気にもなれず、冬吉はテレビをつけてベッドに寝転んだ。
 ちょうど、ドラマが始まるところであった。一人の、愛国少年の物語である。ドラマの前半で、性欲の減退したこの時代、新たな刺激を暴力に求める青少年の実態が社会問題として提示された。少年は、そんな風潮を嘆く。そして、古きうるわしき日本を尋ね、古典を繙いて敷島の道に迷い込み、これがいろの道に通うことを学ぶのだ。いろの道こそ大和の国の王道ではないのか。胸を張って引き返す王道の仲見世には、希代の好色文学に混じり、浮世絵という粋な構えが軒を連ねた。芸術という野暮な看板を下ろせ。浮世絵こそ、人民の劣情をそそる、あまねく日本人に開放された衛生学と見つけたり。
 眦(まなじり)りりしく、少年はさっそく英泉の、えげつなくも尊い枕絵を教典とばかり懐に山寺に籠ってせんずりの行に入ることを決意する。精進潔斎いさぎよく、陰陽和合のからくりを凝視するさき、ついには食を断ち眠りを断ち火を吹くとばかり勤めれど、うたて衰弱はやがて少年の肉体をむしばみ、百日目の明け方ついには入定の、数珠のごとく握り締めた陽根力なく頭を垂れ、射精は朝露おくに似たれども、その悲壮の姿に袖を濡らさぬやつはいない。誰言うともなく、「せんずり仏」――。
 少年の告別式の日、友人代表が参列者を前に叫ぶ。復古主義への宣言であった。アダルトビデオやポルノグラフィーへの賛美。すでにワイセツとは言われなくなった言霊の復権。
 その日の夜、公園には多くの若者達が日の丸の鉢巻き雄々しく、バイクやカーを仕立てておのずと集まった。いや、若者ばかりではない。共鳴賛同した老人達も小旗を手に、あたかも出征兵士を見送る賑わいであった。誰もが涙押さえがたく若者の気概に感じ入り、若者は若者で声を絞るのだ。自分たちはナンパの世界に復古します。女の子を落とします。必ずや、セックスします。いっそレイプします。やがて、若者たちの隊列はクラクションを進軍ラッパに、エンジンの爆音を轟かせて繁華街へと走り去る。
 やってくるぞと勇ましく……勇壮な軍歌が流れ、夢と希望を託してドラマは終った。

 さすが教育省推薦の、感動の名作であった。冬吉も又、進軍ラッパにあてられた。強姦なにするものぞ。『人工ペニス』がなにか。はたして「せんずり仏」のご利益か、件のディスクを美也子の恥とともに護摩と焚くさき、冬吉の男根は今、勃然といきり立った。

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