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【SF連載小説】 GHOST DANCE 14章

   

   14 刑天(けいてん)


 少女と生首との整合性いまだつかぬうち、時計は九時を回ってノックとともに、
「螺旋サービスのものでーす。遅くなりました」
 冬吉が扉を開くと、作業着姿の若いやつが立って一礼うやうやしく、訊けば、電話と錠前の取りつけに参じたとのこと。招き入れれば慣れた手つきテキパキと抱えた梱包を解けば、電話は昨今流行という黒いレトロなやつで、なんとコードの先のプラグを壁のコンセントに差し込んだ。訊けば、インターネットとをはじめとする通信網もコンセントに統一されているらしい。
 ついで、稲垣博士には言いそびれた携帯電話の調達を打診してみれば、ついカードの提示を求められ、これがグレーと知るとなにやら口元に軽蔑のいろを浮かべて答えることに、携帯が許可されるはイエローカードまでの階層らしく、グレーの階層は特別の許可が必要とのことであった。ともあれ、内側からのロックとチェーンもあっという間に取りつけたのが再び一礼ののち、そそくさと引き上げていった。
 美也子の携帯の番号は、すでに頭に入っている。受話器を手に番号を回しかけたが……待て、もしや盗聴。大いにあり得ることであった。

          ※

 冬吉は零時を待って再び部屋を出、先に夕食をとった小路に降りた。記憶どおり、前世復刻の電話ボックスがある。あたりの店舗はどこもシャッターを降ろし、人通りも絶えた。さっそく番号を押したが、やはり遅すぎたか留守テレに繋がるばかりで応答はない。
 一度受話器を置き、改めてかけ直そうと思った時、電話ボックスの前を一人の大男がのっそりと通り過ぎた。フードつきの緑色のトレーニングウェアで顔を隠すにして、特徴かくれもないひしゃげた鼻、ブ厚な唇……先ほど、ショッピングバッグから転がり出た生首に違いない。肝を潰すよりも、瞬時の推理が働いた。生首と決めてかかるには及ばない。

 首を手に持つゾンビが徘徊するとも聞いた。そう。イタズラ……

 思うが早いか、冬吉はそっと男のあとをつけ始めていた。イタズラの一味なら、ぜひ仲間に加わりたいものである。男は人気のない小路をしばし進んだのち、右手の階段を降り、冬吉もあとに続けばそこはやはり病院の、左右に扉のある静まりかえった廊下。二人連れの酔客と擦れ違った以外、人の姿はない。
 やがて、男はエレベーターの前で立ち止まった。冬吉が男の背後に立つと同時に扉が開き、中には羽毛のような白髪の老婆と、それに付き添う厚かましいまでに肥った中年の女が乗っている。力を得て、冬吉も男のあとについてエレベーターに乗り込めば、これは途中止まることもなく一階まで下降した。
 扉が開くと、それまでじっと背中を見せていた男が我先に飛び出し、あおりを食って老婆がよろめいたのに、
「気をつけてよ!」
 付き添いの女の権高なののしりに、男は斜かいながら小さく会釈をして、急ぎ足に右手に向かった。
 老婆のあとから、冬吉も降りた。寝静まったホテルのロビーのような場所である。老婆と付き添いは左に、男はすでに右手遠く、突き当たりの扉に消える間際であった。がらんとして、他に人影はない。男の消えた扉は非常口で、倉庫などの立ち並ぶ廊下に続き、終点の自動ドアを出るとゴミのポリ容器が山と積み重なり、つい向こうには、巨人の墓標のようなファサードを残して半ば潰れかけた工場のような建物が摺り鉢状に陥没し、もろもろの廃品に埋まってひっそりと、この病院内で見る初めての廃墟であった。ゴミ捨て場か。近ずけばロープが張り巡らされ、「立入禁止」の文字はささくれだつままに古びている。周りの超近代的な高層ビルの谷間にあって、いっそ見せしめの、照明美しいプロムナードも鼻をつまんでここを迂回しているけしきであった。イタズラ一味の隠れ家には、打ってつけの構えだろう。
 冬吉はためらうこともなくロープを潜って、瓦礫の谷底に踏み込んだ。闇に慣れた目を凝らせば、じきにほとんど洞穴にも似た入り口の、覗き込めば地下に向かう階段がある。 
 降り切ったところに扉があって、その隙間から幽かな光が漏れている。冬吉は忍び足で階段を降り、扉の前に立った。そのとたん扉が勢いよくこちらに向かって開き、前頭部に衝撃、ついで太い腕が冬吉の首に巻きついてグイと引きずり込まれるのに、男の力はものすごく、半ば息が詰まって声一つ、いかなる抵抗もできない。途中、再びの階段に足を打ち、いくつものがらくたに腰をぶつけ、ようやく荷物さながらに固いコンクリートの床に突き落とされて、顔を上げれば眼前にまぶしい光。目を細めて窺うと大男の影がぼんやりと、手にした懐中電灯をこちらに突きつけている。冬吉は手を這わせ、何か武器になるものを探った。喉からは、まだ声は絞れそうにない。男の影が大きな棒状のものを振り上げた——ちょうどその時、パッとあたりが明るくなるや、横合いから声が上がって、
「待って、刑天君。その人は悪い人じゃない。例の冬吉君よ」
 ささやきであった。ささやきはすかさず近ずいてくるなり、二人の間に割って入った。作り物かなにか、フードの中に件の首を載せたままながら、大男が手にした鉄骨を下ろしたのに、
「ぶち殺す前に、釈明くらいはさせろ」
 片手で操るよう男の首がうなずいた。
「俺がおぬしのあとをつけてきたは、単なる好奇心。俺とささやきとは知り合いだ。そのささやきがショッピングバッグに入れていた首を、おぬしが使っている。噂に聞く幽霊てのは、おぬしのことじゃないのか。こんなところに身を隠しているからには何か事情があるんだろうが、俺には係わりのないこと。実は、俺はこのキチガイ病院の人間じゃねえ。百年の昔からやってきた、いわば風来坊ってわけだ」
 男は敵意を解いた証か、クルリと背中を見せると、
「くそ度胸のすわったやつめ。まあ、適当に座るがいい」
「いっそ来世と開き直ってら。もう驚くのには飽きた」
 改めて見回すと、コンクリートで固めたがらんとした地下室の、それでも片隅には簡易ベッドをはじめ、テーブル、折りたたみの椅子が二脚、缶詰などの食料品、ミネラルウォーター、何が入っているとも知れぬ木箱、段ボール箱、その他かなりの書籍が無造作な山を作っている。冬吉はとりあえず、椅子の一つに腰掛けた。
 男はベッドに腰をおろすと、無表情の首を頭に載せた不気味のふぜいのまま、
「きさまのことはささやきより聞いたことがある。《プロジェクト・プシケ》の噂も耳にした。確か、百年の眠りから叩き起こされたとか……仔細を聞こう」
 冬吉が、それまでのイキサツをざっと話して聞かせたのに、
「なるほど。浦島太郎の心境というわけか……」
 男は傍らの小型冷蔵庫を開け缶ビールを取り上げると、冬吉の方に軽く放った。冬吉も快く受け、ただちにプルタブを引いてこれをあおった。
 二人の親睦に安心したのか、ささやきは、
「あたし、見張りしてるね」
 言って、すぐに地下室を出た。
 しばしの沈黙ののち、男が問うには、
「して、いかに思う。この時代を」
「そう。男根という心棒の抜けた、ハリボテの体制と見たね。伽藍は、おのずと崩れるだろう」
「おお、よくぞ言ってくれた……」
 男が呪いを込めて語りだすは、まさに冬吉も見聞した体制の、科学として強制される「不老不死」の夢と、にも拘らず『蟻の巣』に瀰漫する《滅亡の遺伝子》の悪夢とのねじれあった矛盾に他ならない。病院へのパスポートを失うは人間の尊厳を失うに等しく、コロシの斡旋と臓器ブローカー闊歩するところ、人さらいは日常茶飯にして、頼みの『愛のパルチザン』も退潮するさき、『蟻の巣』には病院当局に忠誠を誓った老人達が思想警察として目を光らせているという。
「かく言う俺も、その昔は病院に憧れる『蟻の巣』の貧しい労働者の倅よ。俺はむしろ、パルチザンを支持するおやじと口論し、そのおやじが警官に撃ち殺された時にも復讐なぞとは考えもしなかったはず。実際、おやじは飲んだくれのぐうたらで、なんの努力もせず、すべての責任を病院体制になすりつける意気地なしだった。
 それに反し、俺はおふくろだけは愛した。おふくろは俺を大学に入れ、病院のエリートにしようと身を粉に働き、俺に内緒で血を売り角膜を売り、臓器すらも売って売り尽くし、からっぽの皮の袋になって死んでいきやがった。俺は喪服で入試に臨んだ。手応えはあった。しかし、俺は、パルチザンを支持したおやじの息子という理由で落とされた。しかたなく、俺は病院労働者に志願した。もう、二十年も昔のことだ。
 俺は大学にこそ入れなかったが、そこそこの教養はあったし、男根もそそり立った。俺は、自分を優秀な人間と思っていた。はたして、うぬぼれか。俺は原子炉の雑用にコキ使われながらも、周りのやつらと違い、これがひどく危険な仕事であることを知っていた。これはロボットの役割だ。この一言のせいで、俺は職業訓練所行きを命じられた。そこで俺は、徹底した奴隷根性を叩き込まれた。来る日も来る日も、無知になれ、誇りを捨て去れと教官はどなる。殴られ、蹴られ、踏みつけられ、犬のように地べたをなめ、糞まで食らわされた。人間なんぞやがては、肉片を投げてもらうため、四つんばいの追従笑いも苦痛ではなくなってくるものだ。俺は教官から病院労働者として『優』のお墨付きをもらった。これで、『グレーカード』がもらえる。俺は思わず感涙にむせんだ。その時だ。教官が妙なコトを言った。俺のおふくろの肝臓を、半分ほど移植したことがあると。そうか、俺にもおふくろというものがあったのかと、不意に思い出した。俺は、教官が礼の一つも言ってくれるものと信じた。しかし、教官はこう言った。あんな腐りかけた肝臓のお陰で、自分は死ぬところだったと。そして、俺の顔に唾を吐いた。いつもなら喜んでなめられるはずが、その時、俺はその唾がおふくろの顔に浴びせられた気がした。なんだその目は、と教官は罵った。確かに、俺は教官を睨みつけた。野性を取り戻したけもののように。俺はただちに『優』を取り消され、身に覚えのない濡れ衣の果てに、臓器移植用の肉塊と指定された。俺は死刑囚に混じり、この地下室に生きたまま、牛肉のように吊された。上を見るがいい……」
 言われて冬吉が振り仰げば、鎖のついた大きな鉤が何十となく、なにやら拷問道具の名残のけはいで錆ついている。
「生きたまま、吊された……」
「生きたまま……そのとおり。ただし、人道上の問題がある。人間の尊厳に係わるからな。人間の尊厳とは、脳のことか。はっは。病院のやつらはそう信じ、俺達の頭を首から切断し、脳幹にあたるコンピューターを埋め込み、輸液で養分を補給し、首のない肉塊を、臓器を保存する袋に見立てて吊したのさ」
「首を切られた……」
 男は、フードの中の首を両手で支えながら、しだいに声を荒げ、
「俺のギロチンの番がきた。麻酔を打たれても、俺の意識は眠らない。瞬間、俺は経文のように唱えた。刑天干戚(かんせき)ヲ舞ワシ 猛志固(もと)ヨリ常ニ存リ。これはいにしえ東晋の、陶淵明の詩の一聯だ。殺されたおやじは、陶潜の詩をよく口にしていたもの。こんな逃避型の詩人を愛するおやじを、俺は軽蔑していた。しかしのちに、陶潜がそうであったように、おやじのこころに潜む反骨を改めて知った。
 俺は、自らを『刑天』と名告ることにした。刑天とはもともとバケモノに違いない。分もわきまえず天帝にいどみ、首を切られて山に葬られたという。しかし、刑天はへこたれない。乳を目に、臍を口に、楯と斧とを持って舞い続けたという。不屈のたましいは、くたばることを知らない」
 男はそこで言葉を切って、やにわに立ち上がるや両手で首を引き抜いてベッドに置いた。ついで、トレーニングウェアを脱ぎ放てば……ああ、冬吉は息を飲んだ。ギロチンは誠か。男に、頭部はない。それでも、筋骨たくましい裸の上半身は色素の抜けた白蝋の、油を塗ったように照りかえり、盛り上がった両の大胸筋の上には乳首ならぬギラついたまなこが開き、臍は横に裂け真っ白い歯並びの、唇の動きふてぶてしく高らかに笑うかと見えた。男は、その本来の唇を大きく歪めると再び朗唱することに、
「刑天干戚ヲ舞ワシ 猛志固ヨリ常ニ存リ」
 冬吉は椅子から転がり落ちそうなからだを必死に支えつつ、男の目を見据えた。意志あふれる光。牛馬にあらず。バケモノにあらず。男も冬吉を見据える。光はこちらの胸に染みとおり、失われた記憶の闇にまで切り込んだ。ふと、猫に囲まれた老人の顔がちらついた。懐かしさがこみあげた瞬間、幻は掻き消えたが、目の前に出し抜け紛れもない刑天の顔があった。懐かしさは同じ、人間の顔。思わずほほえんだ冬吉に刑天も微笑を返すと、改めてベッドに腰をおろし、いっそ滑らかな口跡で話し続けた。
「ご覧のとおり、俺は首を切られこの地下室に吊されたのさ。しかし、俺のたましいはくたばらない。実を言うと、この臓器保存計画は採算が合わないとみえ中止されたとのちに知った。同時に直後の大震災でビルは崩れ、地下室はうずまった。吊されたもの達の幽霊の噂は、その頃からあったと聞く。死刑囚とはいえ、化けた奴がいてもおかしくはあるまい。
 結果、ここは当時のまま廃墟となり、いわば病院内の例外的『蟻の巣』と貶められ、再開発からも取り残された。俺が巌窟王として生きのびれたのも、仲間の幽霊のお陰と言えるだろう。俺は幽霊にはならなかった。俺の呪いは、俺の遺伝子DNAを刺激した。頭を失いながらも俺のは再生して体腔に満ち、いつしか乳首に目が、腋には耳孔が開き、臍は割れて口になって、俺は何年ぶりかで叫んだ。しかし、蘇ったは俺一人、仲間達はすでに白骨になっていたよ。俺はこの地下室に閉じこめられながらも、生きて二本の足で立った。俺は、たった一人の革命家として生まれ変わった。俺はゴキブリを飲み、鼠を食らった。そして長年かかり、ようやく地上に這い出ることができた。
 その時、俺が初めて会った人間がささやきだ。かれこれ五、六年前になるか。あの子は、俺を人間と見てくれた。食い物を運び、本まで持ってきてくれた。のち、俺はささやきがロボットだと知った。あの子がロボットなら、俺もやはりバケモノか。違うぞ。あの子は人間だ。だからこそ、この俺も人間だ。あの子は俺のこころを察し、死体置場から生首を調達してくれ、おまけに自分のじいさんのだという『ホワイトカード』まで貸してくれた。俺は生首で扮装し、カードを使って病院じゅう歩き回り情報を集めた。俺はしかるべき日、必ずや……」
 飲んだ言葉は、おのずと冬吉に伝わった。
「そこまでの決心、初対面のこの俺……、いや僕に話すのはいったい……」
「はっは。一つには、まともな男に向かって話がしてみたかっただけだ。蘇った脳の調子を確かめるため。いや、何よりも、君は俺をバケモノではない、人間を見る目で見てくれたからだ」
「偽善めいて聞こえるかもしれませんが、僕は確かにあなたををバケモノとは思いません。浦島太郎も、とんだ革命家と知り合えたものです。実は、僕もこの病院にはいささか恨みの筋があります。あなたほど大胆な志とは違い、こと恋に係わる私事なんですが……そう、何か僕にできることはないでしょうか」
「十分にしてくれたんじゃないのか。この俺の話をたっぷり聞いてくれた。こんな、頭のない無知な男の」
「確かに、あなたに頭はない……」
「はっはっはっ。そのとおり、そのとおり。久し振りに笑った気がする……」
 立ち上がって、刑天が手を差しのべた。固く長い握手に、偽りはなかった。

 ⇦前へ 続く⇒


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