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【SF連載小説】 GHOST DANCE 13章

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   3 禁じられた遊び


 冬吉が部屋の前で美也子と別れると、一服する間もなく待ち構えていたように稲垣博士と涼一郎がやってきた。
 まず、稲垣博士が開口一番、
「どうだったね、デートは」
「まあ、そこそこ」
「それはよかった。さっそく、質問に答えてもらいたい」
 涼一郎は立ったままながら、稲垣博士は椅子にかけて冬吉に向かうとカルテとボールペンで身構え、ひどく真剣な表情でぶつけるには、
「どんな些細なことでも、すっかり話してもらいたい。まず、口説きの文句。キスの時の舌の使い方。愛撫の方法。挿入に至までのプロセス。体位。回数。快楽度……」
 冬吉が思わず吹き出したのに、
「君、なんで笑うのかね。《愛の臓器》が性欲に及ぼす、貴重なデータを作ろうという時に」
「とんだデータだ。あいにく今日のデート、そこまで進展していない」
「なんと。《愛の臓器》があれほど充実しているというのに、性欲がないとでも」
「とんでもない。時にズボンははち切れる。しかし、恋には手続きが必要だ。相手をじらすことも一つ。ガードの固い女も、ジリジリと自ら進んで隙を作る。そこに一気に付け込むも手。が、これは初心者の性急というもの。隙とガード。すなわち弛緩と緊張のたゆまぬ運動は女肉を引き締め、精神の活性化を促し、こなしも表情も豊かにする。いみじくも惚れた女。その美が咲き誇るを待つ。これに耐えられないやつは、その女の一部しか抱けない。メスとオス、一つ檻にぶちこめばつるむだろうと考えるは飼育係の思想。セックスはあくまでも脳の作業、しかるに……」
 口から出まかせであった。しかし、どこかしらじらと立っている涼一郎と違い、稲垣博士は冬吉の一言一句を速記するに面つき厳しく、恋と性のはざまにあって、これを繋ぐ公式を必死に探るけはいであった。
 恋の講義ひとくさりのあと、ほうと息をついた稲垣博士は改めてあたりを見回してから、涼一郎に向かい、
「貴宏はどうした」
「さあ、来ると言ってましたが」
「どうも、あいつ近頃そわそわと落ち着きがない」
 言いつつもしばらくメモを繰っていたのが、やおら腰を上げると冬吉の肩をポンと叩いて、
「どうやら、我々も性急すぎたらしい。ただ、ナースをベッドに押し倒すような勇ましい人間、さぞやと思ったのだが。そう。我々も時には医学を離れ、古典のいろの道あたりも勉強せねばならんかな。はっは。それから、約束どおり手持ちのカードは君に預けておく。廊下右手の階段を降りれば、レストランもいろいろあるだろう。これからは、行動も食事も自由にしてよろしい。ついでに、プライバシーの件。扉を内側からロックすることを許そう。それに、電話も取りつける。ここに、美也子君の携帯の電話番号を置いておく。便宜をはかって部屋も近くに越してもらった。連絡を取り合って、自由に恋をしてくれたまえ」
 それだけ言って二人は引き上げかけたが、扉のところで涼一郎が振り向きざま、
「念のため。自由に出歩けるからといって、あまり夜はうろつかないことだ。君も知っているとおり、このあたりは幽霊が出没するそうだ」

         ※

 二人が出て行ってしばしの後、冬吉が試しに扉のノブを回せば、ロックは解除のまま造作なく開く。解放感に深呼吸するさき、出し抜けの空腹感に襲われた。
 時間は夜の七時。廊下を右手に進めば、途中、白衣や患者に混じって帰宅を急ぐサラリーマン風の姿が気忙しげに通り過ぎたが、言われた階段を降り、踊り場を踏んでさらに降り切ったところ、不意に石を敷き詰めた舗道の、廊下というよりは洒落たショッピングモールというけしきの小路に出た。道幅は狭いが、ブチックやレストランが並び、人通りもうるさくなく、どこか異国の街角を思わせた。冬吉はとりあえず煉瓦で構えたレストランの一軒に飛び込み、ドイツの家庭料理で満腹した。
 店を出ると背後に声が上がって、
「冬吉君。冬吉君!」
 見れば、何やら重そうなショッピングバッグをぶらさげたささやきが走ってくる。三つ編みを解いて髪を肩に流しているせいか、少しばかり大人になったようにも見えた。これがロボットとは、とても信じがたい。ささやきはじきに冬吉の袖に追いすがると、少々息を切らせつつ、
「今、お部屋に行こうとしてたのよ。ねえ、自由に外出できるようになったの?」
「今日からね」
 言ってカードを示すと、
「なーんだ、グレーか」
「馬鹿にしてるな。君のホワイトよりも格が落ちるというわけか」
「モチよ。一番上がブルー、次がホワイト、そして美也子ちゃんのイエロー、グレーはその下ってわけ。あっ、そんなことよりも、情報があるのよ。貴宏の野郎と例の人相の悪いやつとの会話」
 ささやきはショッピングバッグを置くと、ポシェットの中からライターほどのボイスレコーダーを取り出し、差し上げた。
「盗聴か」
「そうよ。貴宏の野郎、きっと悪いこと企んでるのよ。早く聞いてみて」

 二人して部屋に戻り、冬吉はさっそくささやきの操作するボイスレコーダーのイヤホンを耳にねじ込んだ。会話は電子音かしましいゲーセンの一隅でのものらしく、出し抜けにくぐもった男の声から始まった。
「……とにかく、相手はK産業のおぼっちゃま。婚約者のお嬢様は先ほど申し上げたとおりの、やんごとなき権門の出。どちらの親御さんも、ぜひともとおっしゃってるんですよ」
「君、困るんだよ。あれはまだ研究半ば、右から左にってわけには……」
「だんな。あっしもガキの遣いじゃねえ。それとも、だんなの例のこと、病院中に知れ渡ってもいいっていうわけで……」
「待ってくれ。ただ僕としても、あれを移植さえすれば本当に効果があるものかどうか、確かなことは……」
「心配はいりませんよ、だんな。何も、だんなの名を冠して売り出してるわけじゃねえ。あっしらブローカーはあくまでも商売。あれを移植すれば性欲がうまれ、子宝に恵まれる。そう宣伝しただけのこと。まさか、嘘じゃないんでしょうな」
「僕は『だろう』と言っただけだ」
「はっは、『だろう』で結構。つきましては……」
 録音はそこでぷつんと切れた。あれとは何か。《愛の臓器》に違いない。勘繰れば、貴宏はなんらかの理由で臓器ブローカーに威され、《愛の臓器》を他人に移植すると取れる。大事だ。冬吉はイヤホンを外し、
「これだけか」
「うん。ただね、録音はできなかったけど、《愛の臓器》とか言ってたよ」
 間違いはない。
「ねえ、《愛の臓器》って、なあに?」
「うむ……」
 答に窮する冬吉に対し、ささやきは突拍子もなく、
「おっぱいのことじゃないの」
「おっぱい?」
「そうよ。胸がドキドキするたびに、女の人っておっぱいが大きくなるんじゃないかと思うの。《愛の臓器》よ。あたし、冬吉君のこと思うと胸がドキドキするの。もうじき膨らんでくるかも」
 ささやきはそう言って、まだすっかりこどもの胸を精一杯反らせてみせた。
「はっは、一応形がつくのに、あと二、三年はかかるぞ」
「二、三年? そんな待てないよ」
 不貞腐れるささやきを前に、と胸を突かれた。ロボットとしてのいのちはもう残り少ないというに……浅慮の至りであった。冬吉はパチンと指を鳴らして立ち上がると、
「それより、ピアノを弾いてやろうか」
「ほんと?」
 ささやきに笑顔が戻った。
 冬吉はさっそくピアノの前に座る。
 その時、ささやきが椅子の上に置いたショッピングバッグが倒れ、中からつい転がり落ちたものは……や、生首。ひしゃげた鼻、ブ厚な唇の四十前後の男の首が、鋸でぶった切られたけしきで床の上にしばし揺れた。慄然とする冬吉を尻目に、ささやきは慌てて生首をショッピングバッグに戻し、包んでいたらしい新聞紙を上から詰め込んだ。それから、目を攻撃的に開いて冬吉を見据えると、
「秘密よ。絶対に秘密だからね!」
 言うと同時、目の前に右手小指を突き出せば、かすかに震える気迫にけおされ、冬吉も真顔でこれに応えぬわけにはゆかない。あたりに気を配って部屋をあとにするささやきの、いくら狂気乱舞する来世とて、生首相手のママゴトはやはり禁じられた遊びのふぜいであった。

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