ありがとうございました😊
思えば、あの悲しみに沈んだ日々から始めたnote。
1000日間、色々な事を考え、書いて、そして癒されてきました。書くことは癒しであり、皆様からの温かな反応も含めれば、このnoteの場はとても良いカウンセラーに出会えた事と同じくらい、有難い場所でした。
書き始めた頃は、娘の死から一年弱のタイミングだったので、とにかく、風化していくであろう今の気持ちをどこかに残しておきたくて、との思いが強かった。
その後も、自分と向き合い、家族と向き合い、仲間と向き合い、仕事と向き合い、そんな毎日の中でnoteに書く言葉がどんどん溢れてきて。
同時に学びを深め、自分の在り方、生き方、そして心理学や仏教に出会い、それを自分に取り込み、noteでアウトプットして行く事で癒されて行きました。
そのお陰か、この場でも、ここ以外の場でも、辛い思いをして苦しんでいる人達との交流の中で、受容し、励まし合い、勇気づけ合いながら、温かで優しい世界が広がって行きました。
ただ、いつの頃からか、気付いていました。
私の学びは、世の中の人の役に立ちたいから、ではなくて、自分が癒されたいから。私が相手を受容するのは、私が受容されたいから。
それが悪いことではないとは思う。
でも、所謂メサイアコンプレックスとでも言うのでしょうか、油断すると「私が救わねば」となり、善意の押し付けや、リターンの要求になりかねなくなりました。幸いにして自分で気付けたので、幾分かコントロールすることは出来ましたが…
ここ数ヶ月、noteと向き合っていて感じました。
書くことが、溢れてこない。あー書く原動力だった悲しみが、無くなってきたのかな?
もちろん、今でも思い出して泣く事はあるし、それは一生変わらない。ただ、その感情に巻き込まれて自分を見失う事は、もうない。あの時の感情のままで居たいという欲求がなくなったから。
そして今、熱中できる取り組みと出会いました。
それは、学問として心理学を学ぶこと。
特に、日々接している作業現場の安全に繋がる産業組織心理学、社会集団心理学や、部下のメンタル管理に繋がるカウンセリング、臨床心理学などを学んでみたい。
この1000日間で学んできた心の在り方と実際の社会活動を繋ぐため、体系立てた学問としてこれらを身につけたい。
という事で長くなりましたが、noteを一旦お休みします。連続投稿という数字をリセットし、学ぶ事に専念します。
きっとまた再開すると思うけど、その時はまた一からエムジーを始めることになるのかな。
いつも読んでくださってありがとうございました。
おかげさまで、今日も元気です。
最後に、今までの投稿の一部を紹介します。
初めての投稿
溢れてきたきもち
お気に入り
たくさんスキをいただいた投稿
こころの在り方
仏教に学ぶ
育児の思い出
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