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余録と諏訪正人先生

 余録は毎日新聞朝刊1面の看板コラムです。▲で段落を区切り、日々の出来事・ニュースを多彩に評論する記事です。

 ボクは1980年頃から読み始めました。朝日新聞の天声人語にあたいする記事だ。予備校のとき、さんざテキストとなった天声人語と別れをつげた。また朝日新聞や読売新聞が世相の中心であったのにことへの若干の反発から毎日新聞に変えた。

 1面や3面記事は、概ねNHKのニュースで把握した。それへの見方や考え方を余録や他のコラムで消化した。

 毎日、同じ文字数で斜に構えることなく、正論を語る余録が通快だった。新聞を手にすると真っ先に余録を読んだ。スクラップ集にしたことがあったが、何回かの引越しで行く不明になってしまった。

 この後、ボクが読み始まる前年から諏訪正人先生がお書きになっていることを知りました。あらためて、ボクは諏訪正人先生の大ファンとなった。2002年、ペンを置くまですべて拝読しました。

 問題点が明確、文が研ぎ澄まされている、表現にユーモアが組み込まれている、時の話題をタイムスリップし語る、文筆への名人芸は枚挙しけれない。いや、ボクが評するのは失礼かも。しかし、ボクが小説のカリスマが志賀直哉であるの同じく、随筆のカリスマは諏訪正人先生だ。もちろん、作風は諏訪正人先生を模している。

 2002年、諏訪正人先生が最後に書いた記事は鮮明だ。その年、偶然のサッカーブームに火がついた。ワールドカップの時期であった。深夜スポーツをテレビ観戦したのジャック・ニクラウスがマスターズで活躍した番組以来だった。

 先生は、サッカーの始まり馬に乗って競う競技であると古代の話を用いてサッカーというスポーツを啓蒙した。とかく評論は毒を含むことが多い。しかし、止揚ではなくアカデミックで世相を語る。見事です。

 そして、その記事が最後と知り、毎日新聞に電話をした。もちろん、今後の活躍の場を尋ねた。新聞社からは、丁寧に
「今は決まっていません。新聞からは離れます。しかし諏訪先生であれば、なんらかの形で活躍されると思います。御拝読、ありがとうございました」と回答をいただいた。

 おそらく、それが全編が網羅された著作集であろう。不謹慎ながら、ボクは購入のタイミングを失い蔵書していません。ただ、感動した記事は今も覚えています。ボクだけの図書館(万難の図書館)に収めあります。一時は中古版が20,000円でした。最近は、10分の1くらいになりました。思い出ととも読み直したい。近く、滅多に使わないネット・ショッピングで購入することにした。

かわせみ💎

〈諏訪正人先生〉
 1930年東京生まれ。1953年東京大学文学部仏文科卒業後、毎日新聞社入社。地方部、学芸部、政治部、外信部、プノンペン特派員、ジュネーブ支局長、パリ支局長、東京本社学芸部長、論説委員などを経て、現在特別顧問。
 1979年4月から2002年6月まで朝刊コラム「余録」を担当し、1990年日本記者クラブ賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『諏訪正人の「余録」』より
※サムネイルは、著作の表紙をお借りしました。

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