見出し画像

「あの頃のぼくは近頃」-ハイスク編-

デキレばワンモ

100年ライフ、いや最近は120年って言う声もチラホラ聞こえて来るけど気がつけばもう結構なとこまで来たなあ〜競馬だったら何コーナー辺りになるのだろう・・ウワァ考えたくないけど例えば最終コーナーを通過したら後は直線だしゴール迄は無我夢中で何も覚えてない感じで終わるのか?大体そこが本当に人生のゴールだと神様にコクられたら、青ざめて凍ったキュウリみたいになって動けなくなりそうだ。もう勝ち負けなんてどうでもいいから、なるべくゆっくりのんびり行きたくなる。後ろ向きにリバース走りしてしまうかも知れない。そして出来ればスルーして何もなかったように2周目を生きたいのが本音だ。

でもこんな現在イマの自分、あの頃はこれっぽっちも想像していなかった。何も知らないって良かったなあ〜 見るもの聴くもの全てが新鮮に感じれて怖いもの知らずって言うか何て言うか、今思えばそれが「若さ」というものだったんだと妙に納得してしまう自分がここにいる。

まあそんなことばかり考えてみても仕方がない。時間を巻き戻すことも買い戻せるはずも無いし、もしもそんなシステムやマシンがあったとしてもきっと開いた口がフサがらないくらい飛んでもない額の大金を払うことになる。一般ピープルには到底トウテイ手も足も出ないし届かない話だ。

ユメオイひとビト

それでも世界のどこかで絶えず奇跡が起こってるのもイナメめない。それが証拠に昔のSF、サイエンスフィクションは後にはサイエンスノンフィクションになっている。割とすぐ実現することもあれば10回くらい生まれ変わらないと叶わないこともある。考えてみたら人生で実現に出会デクワすのは自分が運良くその10回目に生まれて来ただけなのかも知れない・・・変化にはそれだけ途轍トテツもない時間と変えよう変わろうという意志を持ち続けることが必要なのだと思う。

例えばある朝起こされた相手はもうひとりの自分だった!なんていうSFも1996年イギリスで「羊のドリー」で現実化した、クローンだ。そんなスゴいことを成就させるにはどれほど時間が掛かったのだろう?気になるので調べてみよう!
う〜ん・・竹林や西洋タンポポの群落は多分クローン?「そうなんだあ〜」両方のハサミにイソギンチャクを付けて身を守る巾着キンチャクガニは片方のイソギンチャクがダメになるともう片方を切ってクローン化したイソギンチャクが元の大きさに再生する、異生物がクローン化を促進する唯一の例「ほぉ自然界にあったんだぁ〜 ずっと、ずっと前から・・」それも理由は共通している、生き抜くため!近年必須な技術であり諸分野で利用されてはいるものの人間丸ごとは倫理的リンリテキな問題も色々あってまだGOサインが出ていないらしい。でもいつかはそれが当たり前になる日もそう遠くはない。でないと、人類はもう生き残れそうにないのだから・・・

文明が進むと逆に人間は弱体化する。野生の中で生きるには外敵から身を守らなければならなかった原始人も最初は恐竜と闘い狩猟してワイルドを絵に描いたような最強霊長類だったのだが、ある時立ち止まり考え込んでしまった。「ずっとこのままで、いいのだろうか?」と。そして2足歩行で両手が使えるメリットを最大限に生かして色んなことをやり始めると同時に知能も発達させて行った。人間は何百万年も掛けて自分達の巨大な温室を建立し、どうやら最軟弱霊長類に成り果ててしまったようだ。

例によって話が脇道にれて行くと収拾がつかなくなるのでサラッと行きたいとこだが、ついでなので流れに任せよう。どこが本道なの?と思ったりもするけど。

とわい夢マシン

誰にでもある想像力、普通人は「まさかぁ無理だろう、あり得ない!」と折角思い浮かんだイメージを笑って終了する。でもそれに人生時間(time of life)の全てを投入して真剣に研究している人達、科学(化学)者がいる。しかもゴールは無くてどこまでも果てしなく続きツカもうとすればするほど逃げて行く、だから余計にそれを追いたくなる。夢追い人だ!

1895年にH.G.ウェルズが発表した小説「タイムマシン」 は1960年に映画化され2002年にもリメイクされたが両方共何度も観た。ある科学者が自作タイムマシンに乗って80万年後の未来に行くと一見楽園に暮らす人類も実は考えることを忘れた地上民族でしかもそれを補食する地下民族に飼育されていたというショッキングなストーリー、今改めて観るとSFなんだからと軽く考えてたあの頃とは違い妙にリアリティを帯びて来るから怖い。そして1度は自分の時代に戻るが人類の新たな歴史を作るため及び愛するひと?に再会したくてまた未来へ旅立ってゆく主人公、自分ならどうするだろう、そんな勇気と行動力なんて一体あるだろうか?そもそもタイムマシンを作るスキルが無い!そこじゃなあ〜い。

りコレクション

虫の声もしない静かな夜、肘掛ヒジカけのある自分の居場所に着くといつもの様にコーヒーをススった。思考を止めてボゥ〜ッとする・あるシーンが浮かぶ、幼い頃の映像だ。泣いている、ハチに刺されてる・・3歳くらいだろうか?泣きっ面に蜂とはよく言ったものだ。その時の痛みは精神的ショックと共に大容量の大脳皮質にしっかり保管されてるらしく、何十年も経ってるのに鮮明な記憶が残っている。きっとこれからも消えることは無いだろう、多分。アゴの真ん中を触ると硬いのはまだ蜂の針が残ってるからだと絶対思う。

次は「んっ青空が見える?乾いた干し草のような輪郭リンカクがある・・・ズームアウトしてみよう、あ〜これかぁ」藁葺ワラブき屋根の家に住んでたことがあったのだが、ある日やって来た巨大な台風が藁を持ち去ってしまったために屋根にポッカリ大穴が空いてその直下にあった掘り炬燵コタツはズブ濡れ、団欒ダンランの場はニワカかに混乱の場に変わりジャストパ〜ニ〜ック⁉︎ とても住めそうにないので台風一過の台風一家は泣く泣く引っ越すことになってしまった。今考えると親は結構大変だったと思う。自分は小学1年生くらいだったからその時の断片的な映像と「何か騒いでるなあ〜」という程度の記憶片だけが残っている。でも、これもまた忘れることは無さそうな気が・・・フゥッと自分が帰って来た。

そして再び、想いを遠くへ放り投げた。キラキラしてたあの頃へ

ホシをミレナイブッテンブ

「あっ、い、いぃま流れました!先輩ッ」夏の夜、校庭の真ん中にシートを敷いて僕たちは視界を横切る星を待っている、ペルセウス座流星群だった。先輩イワく「ひと晩で108個流れるなあ〜」(年末でもないのに108はチョッと疑問だ)でもどの辺りを観てれば良いのか分からず魚のごとく泳ぎまくる僕の目は全然狙いが定まらない。よく分からないけどその日、いやその夜の合宿は総勢13名くらいになってしまった。要するに部員よりOBの方が断然多い、先輩の先輩達だった。1人どう見ても校長先生にしか見えないビジュアルのひとがいて他の先輩達からは「チョウさん」と呼ばれていた。先輩の先輩の先輩の・・・・兎に角相当な先輩らしかった。長老とか最年長とかそんな感じの愛称かと思っていたが違っていた。そのひとの名は夏野ナツノ 三角大 ミスオ 、それは夏の星空を意味する美しき名前だった。ご両親またはどちらかは絶対星空ファンに間違いない!昼休みの物天部ミニテストで覚えた豆知識を言うと《 白鳥座のデネブ、こと座のベガ(織姫)、わし座のアルタイル(彦星)、それぞれの一等星を結んで出来る三角形のことを夏の大三角と呼ぶ 》なので名前が夏の大三角(チョッと順番が違うけど)になっている。これはスゴい!ん?でもチョウさん感が無いぞ〜っ先輩に教えて貰ったらどうやら3星座の中では白鳥座のデネブがイチ推し、何かにつけて翼を広げた白鳥ポーズ(どう見ても蝶々の低空飛行)をするらしくそれを見た誰かが揶揄カラカってチョウさんと呼んだのをトリガーにもう半世紀以上継承されている。と言うことは・・〇〇歳?え〜っ、ま、イイかぁ 何かモヤモヤ感残るけど。

そういう時だけ出て来る夏の夜に星光に集まる隠れ蛾部員もいた。夏に出て来るから幽霊部員とか?成程ナルホド「おっ、来た!」とか「うぉ〜今の見た?デカかったよね!あの辺り」とか声がしてそちらの方を見ても止まってる星がキラリ〜ん⭐️当たり前だ、既に流星が通過した後なんだから。それから暫く静寂シズカな時間が過ぎると5〜6m程離れた西の方向から誰かのイビキがフェードインして来る。最初は気になったノイズもその規則的なリズムにだんだん慣らされて行き・・・・撤収だってさ「んぇえっ!」友達の声にビクッた。どうやら寝てしまって流星群は見れなかったのか?でも見たような気もするしなぁ〜何十年も経った今でもそれが夢だったのか現実だったのかハッキリしてない。でも、あの宮本武蔵の師である沢庵タクアン宗彭ソウホウが最期に書いた一文字「夢」の意味がチョッとだけ分かった気もした。

友達の紹介で人数合わせで入部した物理天文部(略称ブッテンブ)の昼は退屈だった。天体望遠鏡は反射式と屈折式、確かどっちかが1台でどっちかが2台置いてある。物理実験室兼部室は20人くらい入っても余裕スペースな部屋なのに昼休みはMAXでも5人、先輩と友達と僕でほぼほぼ3人の閑散カンサンとした毎平日だった。部室は民家に囲まれているので真っ昼間に天体望遠鏡をノゾ覗いてもどこかの家の窓や電柱しか見えない。だいたい倍率が高過ぎてボゥ〜っとして何だかよく分からない「瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず」瓜田で靴を履き直したりスモモの木下で帽子を直せば泥棒に間違われるよ!というコトワザにもあるように、そんなことをすればあらぬ疑いを掛けられるだけなので誰も敢えてそんなことはしない。天体望遠鏡を使えない天文部員は宇宙の彼方へせる思いをA4縦書きの藁半紙ワラバンシ上に向けるしかなかった。夏の大三角形と呼ばれる星座名と一等星を全て答えよ!火星の衛星はいくつ?その名前は?ハレー彗星の周期は何年?50問をローテーションで5問ずつ出題する恒例の物天部ミニテスト、答え合わせの結果はいつも満点!やり過ぎて答えを全部覚えてしまった。リンゴォ〜ンガンモォ〜ん、いつもの昼休み終了チャイムに救われた僕と友達は自分達の教室に散って行った。部室兼実験室に残った先輩の行動がよく分からない、確かずっといたような・・何かの実験を?まさかね。

やはりライブんかさい

机と椅子を教室の 3分の1程に固めてスペースを作って、僕たちは何かをやろうとしている。そうか文化祭かあ〜確かライブをやったんだ!実際に歌ったりするのは2〜3人だったのに手伝いたがりやヒマでしょうがない人間が集まり11人になっていた。普段そんなに仲良くもないのに何故かニコニコしながらやって来て「何かやることあれば手伝おうかぁ〜」とかハッキリ言って鳥肌キモい。何か下心でもあるのか疑いたくなる半面、寂しいのかなあ?と少しだけ思い最後はOKになる。みんな一つ屋根の下に学ぶ仲間だった、友だった。

人数だけは昼休みの物文部とは違って結構なやる気モード満載で無駄にザワついている。文化祭でバンドと言えばバズりの最先端、音楽関係者の目にでも止まれば夢のメジャーデビューもあり得る。アメリカンドリームがあるならニッポンばんどリームだってきっとある!まっ、取り敢えずそう言うネーミングにして置こう。で僕たちはというと案の定スキル無し、オリジナル曲無し、楽器無し、あっ間違えた!楽器はあった。クラシック(ガット)とフォークを合わせてギターのみ 4〜5本くらい。ちゃんとボーカルできる歌ウマもいないしバンドのバの字にもなってないのはみんなも分かっていたが、それでも誰もやめようしなかった。そこには熱意ヤルキがあった。思い出を作りたかったのかも?とたった今、そんな気持ちを乗せた海馬カイバが駆け抜けて行った。

気紛れな奴がいて来ないと言って来たり、来ると言って来なかったりするのでいつもギター本数が確定しない。ある時「来ないと言ってたから絶対に来るぞッ」皆でそのつもりでいたら本当に来ない。会社だったら「もうクビだぁ〜!」って言いたかったけど誰も言えなかったのはただ1人、ちゃんとギターが弾けたからだった。

最大の問題点はリーダーがいなかったこと。皆んな集まって来るのは良いのだがギターを弾ける奴(H君としよう)が分厚いヒットソング本をメクりながらイイと思う曲を適当に弾きながら歌うと何人かはその曲を手元の歌本で探して弾こうとするが「えっと押さえるコードはEmイーマイナーはコレね簡単だけど、Gmaj7thジーメジャーセブンスは押さえようとするといつも小指がツルから無理無理無理、全部Emじゃダメ?」そんなことをしたら前向きソングは下向きに応援歌チーリングソングだって鎮魂歌レクイエムになるしそもそも歌として成立しない。やっとスタンバれる頃にはH君は次の曲を弾いている状況、運良く一緒に弾けてたとしても1小節リンク出来るかどうかだ。おまけに声が小さくて季節外れのモスキート(蚊)が通過するようなものなので教室の廊下に出るとH君の1人練習にしか聴こえなかった。文化祭の1週間前になってもまだ選曲中なんて、いや決めようとしてるとは到底トウテイ思えないがそれでも相変わらず誰もめようとせずニヤニヤしながらユルい感じの練習っぽいことを続けている・・でもそれで良かった。ただ、楽しかった。みんなで2度と来ない季節の中にいた。

ふつうなヤル気

文化祭当日になってしまった!聴かせられるレベルか否かは別にして、それでも聴いたことのある歌を何曲か準備出来たとみんなドヤ顔なのが逆に怖い。正門には文化祭と分かる程度の可もなく不可もない看板が立て掛けてあり、長机1つに案内係で3名の生徒が座ってるだけの簡素なものだった。「まあこんな早い時刻から来るひともいないっしょッ」その中の1人が言うと他の2人も少し遅れてウナズくようなリアクションをする「みんな忙しいしゆっくり行こうかって感じ?」そう言った直後、誰も来ない男子高校の文化祭会場にお昼のリンゴンが鳴り響いた。

何の表示もなく何をやってるのかよく分からない不親切な催事教室では相も変わらずギター練習中、どうやら4曲目はどれにしようかと選曲しているらしい・・今頃かあ〜い!「グゥ〜っグ〜」誰かのお腹が鳴いた。いきなり厚さ5cmくらいの学生カバンから取り出した原型が分からない菓子パンを食べ始める者もいればブツブツ言いながらどこかへ行ってしまう者たちもいた。それぞれの昼休みを過ごすんだと思いきや1人だけギターを抱えて動じない者がいる、H君だった。歌うのはあまり上手いとは言えないがその声は教室の後ろ扉から廊下へ出て換気のために少し空いている窓から校庭へと微風のように流れて行った。

時計の長針と短針は15回もすれ違ったのに教室にはまだ練習中の僕らだけ「今日は誰も来ないかなぁ、まあこんな日もあるよ!」と何も考えずに言う奴がいる、気休めにも程がある。今日だから意味があるのに明日も明後日も文化祭がある様な口振りにはちょっとムカっと来た。

「ハイハイどうぞどうぞ、ハイッ〜どうぞっ!ハイハイハぁ〜イッ」何だか「ハイ」と「どうぞ」しか言わないのにしっかりとお客さんを連れて来る、その道を行けば一生食べていけそうなスゴい奴がいた。帰宅部のO(オー)君だった!余談だが文化祭の翌日から彼のあだ名は「ドーゾ」になったことを是非伝えて置きたい。みんなも恐らく誰も来ないだろうと100パー諦めていた、いや多分そう思っていたに違いない・・・とも言い切れない?何しろ晴天セイテン霹靂ヘキレキだった、3人も来てくれた。実際は文化祭の看板を何気に見てたのを「暇ですかぁ〜コンサートどうですかぁ〜面白いですよぉ〜取り敢えずどうぞ、ガッカリさせないですよ〜さあさあ・・」とその中の1人のポシェットの紐を引っ張って強引に連れて来たらしい。何とかお客さんをセットしたいその集客精神には頭が下がり気持ちは上がった、そしてみんな感謝した。後で本人に聞いたら「俺さあ、そういうの好きだからさぁ〜接客業志望なんだあ・・」とのことだった。

ふぁーすとらすとライブ

・・・・・・・・・・・・・・・・サイレントな時が過ぎて行く中、僕たちは3人のお客さんを前にドギマギしていた。「どうする?」1人が言うと「どーする?」「どおする?」「どどぅおーする?」まるで日本語学校の発音練習風景だ。あまりに「どうする」が続くのでだんだんお客さんの方にも伝染して「どうする?」「どうしよっか?」「どないすんねん!」(上方カミガタのひともいるらしい)まっまさかのこれは帰りたいサイン?瞬でマズいと悟ったO君は行き成り教室の外へ走って行ったかと思ったら「どうぞどうぞ〜ハイハイどーずっ」語尾をミスりながらも驚速18秒でリターンして来た彼の手にはお盆とその上に紙コップが3つ、何とその中にはゲストホールドバック(ちょい待ち)対応のオジュー(オレンジジュースの略名)が入っていた。「あっどうも」「すいませ〜ん」「ほんま、おおきにぃ」O君の完全勝利だった、3人が帰るのを未然に阻止した!後でO君に聞くと「最初からスタンバイ済みだったんだぁ紙コップとオジュー」予想済だったとはススッ凄すぎる〜今的に言うなら「O神さま」心の真ん中でそう呼びたかった。♪テレ レレレ レ レェ〜ん ♫ H君がイントロを弾き始めると何故かその場の雰囲気が変わった・・・みんなひとつになって行くような気がした。

下手っピな歌とそれなりのギター伴奏で僕たちは12曲を3人の女子校生(隣の女子校から来たらしい)の前で披露、聴いてる方は疲労したと思う。実は練習して来た全3曲を4回 or 5回ずつトータル13曲!なぜ同じ曲を?という疑問に答えると「あっゴメンゴメン、最初っからイイ?」「いててててぇ〜あっ足がツッたあ〜」「それ俺にも歌わせてぇ〜」などのミスやアクシデント、それにワガママ、そもそもあれだけ練習したのに真面マトモに出来るのがたったの3曲だけなんてライブと呼ぶには永久トコシエに遠かった。近いのはカルチャーパーティー・イズ・オーバー、文化祭の終わりだった。

リンゴぉ〜ンガンモォ鐘がなり終わるか終わらないかの絶妙なタイミングで「ハイハイどうぞどうぞ、ハイッ〜どぞっ!ハイハイハぁ〜イッ」O君は今度はポシェットの紐を優しく引きながら校門の方へ向かう、僕は「聴いてくれてありがとう〜」と彼女たちの背中に叫ぶとその中の1人がそれに気付いて微笑んでくれたように見えた。「ありがとー 」「ありがとございまうす!」「ありがとうね〜 」少し遅れて他の仲間たちもそれぞれに口にした。それはガランとした催事教室の中にいつまでも響いていた。晴れた夏の朝の、山びこのように・・・・・・

それにしてもO君の集客誘導テクニックに満場一致で感心のみんなは戻ってくるなり「お〜い、どこであんなの覚えたんだよ〜すげぇなあ〜」「スゴいよ、ほんと」「教えてくれよ〜」「コイツコイツコイツぅ〜」「〇〇〇商事に就職決定だなっ」「イイなあ〜才能ある奴は」「ウリウリぃ、ウリ〜っ」「ヒャほ〜」とまるで逆転満塁サヨナラホームラン的ヒーロー待遇だ。本人もニコニコしながら満更マンザラでもない様子だったが落ち着いた頃には化学実験に失敗した博士のような髪型になってることを本人だけが知らずに上機嫌で帰って行った。イェイ、イェイ、Oオー

気付かないサイン

ジジジ、ジージージーッ、 ジジジィー 何だか不快な音の携帯バイブに起こされた「夢だったのか?いや違う、違うそうじゃない。確か自作の肘掛け付き折りたたみ椅子に座って思い出してたんだ、スプレードライのインスタントコーヒーをひと口飲んだまでは覚えてる、え〜とそれから・・・まいっか、一瞬でもあの頃に戻れたんだから良き良きと」ジジィ(爺ぃ)と起こされたことを除けば割と気分いい朝だった「まだ全然イケてるよねっ」玄関脇のウォールミラーに同意を求めつつ扉を開けるとビュ〜っ、マブし過ぎの朝陽と生暖かい突風に押し戻されてドデン!尻モチをついた。アパートは小高い丘の上にあったので陽当たりが良いのに加えて風当たりは滅法メッポウ強い。時々突風が吹くのも想定内だった「またいつものかあ〜仕方ないかっ」起き上がって1.8m程後方に飛んだカバンをやっとツカみ、今度は慎重に扉を開けて風圧をナダめながらオートロック音を聴く「ヨシっ!」指差し確認もした。眩しいからサングラスは必須、でも黒いスーツに黒い鞄はそれしか持ってなかったからだ。でもその即席エイジェント風な怪しげな格好と冷蔵庫の下に滑り込んだスペアキー、そして突風と閃光センコウは飛んでもないことへ巻き込まれて行く前兆サインだったとは気付くハズもなかった。まだこの時、僕は・・・・・continue to the past.

最後までお読みくださりありがとうございます。スキ頂ければ幸いです ^_−☆


#創作大賞2024 、#オールカテゴリ部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?