面白いんじゃなくて、優しいのよ。
僕は、ゴリゴリの大阪人です。
そんな愛する大阪は「お笑いのまち」なんてことを未だに言われる、笑いに生きる、そんな街。
そんなイメージがあるからだけど、テレビなんかじゃ、「大阪の人は素人でも面白い」みたいなことを言い出しちゃう。
でもさ、実はみんな分かってる。「大阪人だから面白い」そんなことは幻想だよね。
面白くない大阪人も絶対いるし、なんなら僕はその一人。
だけど、やっぱり僕も大阪人だ。
他県(特に関西以外)の方と話す時には、(笑いを)期待をされていると感じてしまう。
お笑いだけはナルシスト。
それが大阪人なんだろう。
でもさ、そんなナルシストだって、期待されると緊張しちゃう。だってそりぁ人間だもの。
しかも、ただ面白いだけじゃダメなんだ。
大阪人の話はね、圧倒的に面白くないと意味がない。
面白くないなんて思われた日には、
大阪人としての死を意味する訳で、
「面白いって思われたい」
大阪人の心には、いつもナルシストが顔を出す。
誰かと話をする時の僕も、さながらお笑い大阪代表。面白くないなんて許されない。
お笑いのまちの住人として、見えない責任が肩に乗っかる。そんな責任に耐えながら、なんとか笑いを捻り出す。
そんな環境にいるからさ、
結局、大阪人は面白い。
おっと、スタートに戻ってしまった。
これじゃあ、ただ、ただ、ナルシストを見せつけた大阪人になってしまう。
今日はそんなお笑いナルシストが、実はめちゃくちゃ優しいんだよってことを言いたいの。
他県の人に言われたこと。
「大阪人はいつもオチを欲しがるね」
「本当にお笑いに貪欲だよね」
そうです。さっき書いた通り、大阪人はお笑いには貪欲です。確かにオチも大好きです。
フリがあって、伏線を回収しながら小ボケも挟んで、最後に大オチが待っている。そんな流れが大好きなんだ。
それが理想だと思ってる。
だけど、他県の人には理解されない。
オチなんてなくても「話したいことを話せばいいじゃん」ってそんな感じで言われたからさ、僕は正直ビックリしたの。
でもね、これは分かって欲しい。大阪人はお笑いに貪欲で、オチを欲しがる生き物だけど、そこに「面白いこと言え」なんて1ミリも思っていない。
だって考えてもみて欲しい。
オチがない話って走り出したが最後でさ、「ゴールテープのない競争」みたいなもんじゃない?
話す人も、聴いてる人も、どこまで行けばいいか分かんないから、ただただ走って、ただただ聴いちゃう。
話がどんどん間延びして、変な空気が漂っちゃう。
そんな時、大阪人は優しいからさ、見捨てられない訳ですよ。必ず手を差し伸べるんだ。
「って、オチないんかい!」って感じでさ。
オチが欲しいから言うんじゃないよ。面白いって思われたいから言うんじゃないよ。別に「面白い」を求めてないよ。
オチがない話には、「オチないんかい!」までがセットなの。
カレーに付いてる福神漬けで、梅雨時の紫陽花のカタツムリみたいに、もとからそれがセットなの。
大阪人は優しくて、誰も行方不明にしたくない。オチがなけりゃ作ってあげる。絶対見捨てはしないから。
「って、オチないんかい!」
って言われる方は怖いよね。
でも、怖がる理由はどこにもない。
むしろ、あなたを助けたい一心なんだ。
お笑いナルシストな大阪人は、「面白い」を売りにしてると思われがちだ。
でも、実は愛に溢れた性格こそが、大阪人の大阪人たる所以だろう。今日はそんなお話でした。
最後まで読んでくれてありがとう。
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