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FP×キャリアを仕事にしたいと思ったきっかけ。

随分と間が空いてしまいました汗
実は半月ちょっと前にコロナになりまして…。なかなか熱は下がらないし、持病の喘息に苦しめられてました。
私はコロナになる時はなるし、極端に恐れていては何も出来ないと思っているのですが、漏れなく喘息がついてきたことが想定外でした。
まだまだ吸入しないと不安です。

さて、FP×キャリアを仕事にしたいと思ったきっかけ。
前回の記事にサラッと書いてあるのですが、

私、それなりに転職を経験しているんです。
なぜ転職の回数が多くなってしまったかと突き詰めていくと次の3点かなと思います。
●自分が何をやりたいかきちんと考えずに社会に出た
●愛社精神が湧かない・会社に対して固執しない
●思い立ったら即行動!

自分が何をやりたいかきちんと考えずに社会に出た

私、生まれつき障害があって身体障害者手帳を持っています。
母親を責めたこともありました(母親の心情を思うと酷いこと言ったなと思います)。小さい頃から障害があるために出来なかったことがいろいろあって自分で望んでその状態でいるわけじゃないのに…!!とずっと悔しい思いを感じてきました。
いじめられたこともあります。
だから、大学卒業するときに、障害があるためにこの人はダメと思われたくない、大企業ならそれはないだろうと考えみんなが知っている大企業ばかり就職活動で受けました。
自己分析も自分はどういう人なのかは考えたけど、何をやりたいのかまでは深く考えなかったんですよね。というか、悔しい思いをしたくないという方が優ってました。

入社した会社はその業界で確固たる地位を築いている会社でした。
男尊女卑や障害の有無による差別もなく、受けてみたら?と人から勧められて受けました。
全国転勤があるけど実家から出たかった私にはそれも都合がよかったのです。
ただ、内定期間中にその会社に不祥事があって入社後の研修もその不祥事に関わるものが多く、なんで不祥事が見つかった時に関係ない状態だった新入社員がこんなことを…?と思っていて、それもあってその会社に勤めていることを人に自信を持って言えないし、愛社精神を育むことができませんでした。
全国転勤だったため初任地は北海道・札幌でした。札幌は転勤で来る人も多いのですが次の異動先が旭川で、旭川で孤独感を感じることが多くなり辞めることを決意しました。
内地・外地の考え方、学歴・職歴に対する反応が関東で育ってきた私にはキツかったし、友達にもなかなか会えない、果ては祖父が亡くなりこんな遠くに住んでいなければ最後に会えたんじゃないかという後悔がありました。
でも、その会社の上司・先輩・同僚は皆さん尊敬できる人ばかりで、そこで働けたことは光栄だったと思います。上司は退職して10年以上経った今でも年賀状のやり取りを続けています。辞めていなければ夫とも結婚していなかったし、子どももいなかったけれどもどういう人生を歩んでいただろうかと度々思い返します。

愛社精神が湧かない・会社に対して固執しない、思い立ったら即行動!

一社目で愛社精神が湧かなかった私は、その後も愛社精神を育むことができませんでした。もちろん入社する前はその会社のことを調べるし、その会社で長く勤めたいと思って入社します。
当たり前ですが、外部から見える会社の景色と内部から見える会社の景色って違いますよね。
意思決定の遅さ、顧客置き去りで利害関係優先、職種による差、ハラスメントへの対応のまずさ、時代遅れな経営者、コンプライアンスを知らない経営陣。
そう言ったものを見ているとどうしてもその会社で長く勤めたいと思えないんです。私って企業に属するって合わない人??という思いが募っていきました。

ひとつの転機(適応障害になる)

そうは言いつつもずっと広報・事務系職種だったし、人事!総務!とかその道の王道をあまり経験せず、かつ頻繁に異動させられていたため広く浅くの経験は豊富だけどその道の専門家のようにはなれていなかったんです。
独立は無理だと思っていました。
だから正社員でなんとか頑張っていきたいと、自分が長く勤められる条件を吟味しなんとしても頑張りたい!!と思って選んだ会社で、仕事が原因で適応障害になりました。
この時、あ、もう無理だと諦めることにしたんです。
もう企業に属して働いていくことは出来ない、フリーランスがいいと思いました。

今までの経験の中から、to Bよりもto Cの仕事の方が好きだったし人に関わる仕事が好きだという思いがありました。
ちょうどその頃、簿記2級の勉強の続きとしてFPを勉強しようと思っていたので、FP(ファイナンシャルプランナー)として独立したいと一つの軸を決めました。
家族の家計を預かる身、共働きをしていると正直支出が膨らんでしまって貯金をしたいけど出来ない、考える時間・手間がかかるなと思っていました。FPというと保険相談と連想する人がいるけれども、本来のFPはライフプランニングであって、また日本では本来のFPの役割の認知度が低いし、認知度が低いからハードルが高い。
ハードルを低くして家計管理を一部外注化させて共働きの助けとなりたい。何年にも渡ってその家庭の伴走者となりたい。
そう考えました。

そう決めたら次はもうひとつの軸。FPだけでは仕事をしていくには厳しい。
お金とキャリアは切っても切り離せないもの。キャリア支援をしたいと考えました。
自分自身、キャリア迷子でした。やりがい、ワーママ・事務職であっても活躍できる環境も求めました。自分の成長を仕事で感じたかった。
もやもやを解消するための手助けをして、納得のできる環境で仕事ができる手助けができたらなと思いました。

そして今に至っています。
国家資格キャリアコンサルタントを取得し、FP2級/AFP認定者になりました。CFPも受験中です。

FPはまだまだ報酬をもらえる状態には至っていないけど、記事執筆をしながら経験を積んでいます。
キャリアはミートキャリアのキャリアカウンセラー養成講座を受講しながら、実務で使えるレベルに引き上げるべく修行中。また、大学のキャリアセンターで間もなく働く予定です。


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