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やわらかな虚像。


バスが来るまで15分あった。

西日がさらに強さと角度を失い、あたりはすんとした空気に包まれている。ふと愛用しているイッセイミヤケの腕時計に目をやると17時になろうとしていた。

バスでも歩いてもホテルへの到着時間は、さほど変わらないことをグーグルマップで知った僕らは徒歩で戻ることにした。

こうして歩いてみると下り坂が多く、ホテルよりも美術館の方が標高の高い場所にあったことに気づかされる。

歩いていると一度は聞いたことのある大企業の研修寮であったり、保養所が集まる区画にたどり着いた。わざわざ箱根にまで足を運んで、果たして何を学ぶのだろうかと想像を巡らす。

予想に反して下り坂は急斜面で、足の指1本1本に力を入れなければならなかったため、ホテルについた頃は足に若干の気怠さを覚えた。

1年ぶりのフォーレはたまたまだったのか、ホテルの方の計らいなのか、昨年泊まった部屋と同じ場所だった。

寝室の調度品。
外には人小さなバルコニーがあり、眼下には池と朝食・夕食会場がある。
鳥の巣をイメージしているであろう調度品。寝室にて。
ベッド。頭上にある窓からも景色が見える。


部屋の片隅にある間接照明。
相方撮影。部屋の全貌。奥がシャワー、トイレ、寝室と続いている。


今回は昨年と違い、夕食のコースを予約していた。予約した19:30までまだ少し時間があり、歩きの疲れも重なった僕たちは、それぞれ温泉に浸かることにした。

温泉については以前も書いた記憶があるため、その時の記録をこちらにも残しておく。

この部屋には浴槽がなく、シャワールームのみ。もう1つ楽しみにしていたのは併設されている温泉だった。

木々に囲まれた一筋の道を奥へと進む。静寂の中でも、さらに音のしない空間へと繋がり、木々の間を数十メートル進んだだけだというのに、深海に深く潜っていくような感覚がした。足下を照らす柔らかな暖色の光が温泉のある建物へと導く。あたりの空気は冷たく、頬を過ぎ去る風はひんやりとしている。

ここの温泉は強羅の温泉水の真水の2つとシンプルな造りだが、温泉の効能がきつく感じた時に、真水で漬かり体を休めることができるという、何ともホスピタリティ溢れる構造だった。

温泉水の方は比較的ぬるめで長湯できる温度だった。夜空と山の奥に見えるわずかな人工灯を見つめて、心と体を整えていく。ゆっくりと目を瞑り、森と、自然と共生していく。自然と一体になる。

こうして目を瞑っていると、自然と人を分けて考える概念自体、人が生み出したものであるということに気づく。人の作為は自然の一部ではないのか、人工とは、自然とは、一体何なのだろうか。自然と人を対等に並べること自体に何か違和感を覚える一方で、人が自然を汚染することは否定できないまごうことなき事実であると考える。こうして思考しているうちに頭がぼんやりとしてきては、外の空気に体を当てて休憩する。
https://note.com/01meme02/n/n8dae298f6332


もう一度簡単に身なりを整えて、向かう先は夕食の会場だ。

金曜日の夜、席は満席だったが騒がしくもなく、一皿一皿、丁寧に手掛けられた料理が運ばれてきた。



ワインも何杯か飲み、ふわふわした気持ちのまま、ふたりは部屋に戻った。



誕生日に用意したアップルウォッチとケーキをもらって満足した彼女は、前回と同じように酔いに身を委ねて、ソファで寝落ちしてしまった。11月上旬の室内といえど、山の夜は冷える。何もなしに数時間横になっては、風邪を引いてしまう。昨年と同じ展開に思わず笑ってしまった僕は、アウターをそっとかけた。


ひとりでそっと薪ストーブに火をつける。お酒を飲みながら眺めたかったが、明日のことも考えて、サービスドリンクのポカリをぷしゅっと開けた。絶妙なバランスで甘味と塩味の混ざりあった、明日へのエネルギーをちびちびと飲みながら、ぱちぱちと音を立てる薪を見つめる。時折、赤橙の瞳と目が合う。瞬きする間に、火の中にいる小さな妖精はふと現れては、姿を消してしまう。

僕はその姿が本当に見えなくなってしまうまで、ストーブの中にある小さな生命と対話をする。ふわふわと灯る光が、やわらかな瞳を通って、ふわついた頭の中で象を結ぶから、どんな姿形をしているか、記憶に留めることができない。

僕は何かに駆られるように、荷物の中からフィルムカメラを取り出し、もう一度薪ストーブの目の前に座り込む。ピントがボケるように、ゆっくりとシャッターを切った。


小さな生命。



つづく。


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