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これからの地域は、「家族」だ。(まめな滞在記 三)

2022年8月1日

今日は、まめな滞在を終え、京都へ向かいます。
最後に全員へ「ありがとう」と言えなかったことは後悔だが、
その「ありがとう」をちょっと違う形で贈ってみようと思う。
方法については、考えていることがありつつも時間がかかりそうなので、
ゆっくりしてみようと思います。

一旦、ありきたりかもしれないけど、思いを残しておこうと思う。
これは、僕のメモでもあるからいいか。

まめなの皆さん、「ありがとう。」
一緒に鬼ごっこしたり、遊んだりしたみんな「ありがとう。」
一緒におしゃべりした地域の皆さん「ありがとう。」
途中滞在されていた方々、「ありがとう。」
一緒に生きてくれた自然や生き物たち、「ありがとう。」


ぼくは、「ごめんなさい。」「すいません。」よりも、
「ありがとう。」のほうが好きだ。
一つ一つの出来事において、言い方を変えればどちらの言葉も使えるようになっている。僕は、いつも「ありがとう。」を使いたいなと思って生活をしている。

まあ、難しいんだけどね。


僕は、自分と社会との関わりを調整してくれる言葉が4種類あると思う。
「おはよう。こんにちは。こんばんは。またね。」などの挨拶
「ありがとう。嬉しい。ごめんね。」などの愛や感謝
「おー、そうなのか。」などの相手の世界に入っていこうとする言葉
「いついつね。」などの時間のすり合わせ

この4つを大切に扱える人は、素敵だなと思うことが多い。
僕もそんな言葉を丁寧に扱える人になろうと思う。


そして、思ったことがある。
僕が、今までしてきたことはある意味自分のための事。
自分のために言葉や思考を使ってきていた?のかと思う事が多い。
ある意味内発的な動機が自分自身にあったという事でもあるが、
凡人の僕には、届く世界の限界がすぐ来る気がする。
だからこそ、僕はこれからの未来をつくる高校生、大学生の背中を押し続けてきた。

しかし、それでも足りない。
これからの未来をつくるのは、「若者」だけではない。
これからの未来をつくるのは、「天才」だけではない。
わたしたちのまちをつくるのは、「市長」だけでも「事業者」だけでも「若者」だけでもないはず。

もっと、みんながみんなの方法でつくる。
この感覚が必要であると思う。


だからこそ、僕は、「コモンズ」を小さなコミュニティの中でつくっていく土台をつくっていく。
決して、僕が主導するわけではない、まず最初のきっかけをつくる。


自分自身がまめなにして感じたことがある。
それは、何歳の人でも本当に生き生きと生きてる。
本当に不思議だし、みんな自分の等身大で、無理をしすぎず、でも自分たちで踏ん張って、自分らしく毎日畑作業をしたりしながら生活をしている。

こんな元気なおばちゃん、おじちゃんを見たときに、
「もっと一緒に楽しく頑張っていこう」と言いたくなった。
決して、「若者が来たら応援して、見守ってくれ。それだけでいい。」
なんて言えない。言おうとして言える人が地元では多かったことは、勝手にレッテルを張っていただけだと思った瞬間だった。


もともとクリーニング店をしていたおばあちゃんとの会話を思い出した。

「もともとここが町一番の繁華街だったんよ。」
「え?何もないよ」
「ここには電気屋、ここには酒屋、ここには私んところのクリーニング店、この隣はアイスクリーム屋だったんよ。すごいでしょ。」
「そうなんだ。でも今はどこも開いてないんだね。」
「そう。でも、いいでしょ。ここ。」
「うん、きれいな海が目の前にあるね。僕もこの場所好きだなー。」
「ねー。今日はあんちゃんまめなにいるの?」
「え、言ってなかったけど。そうだよ。」
「最近、ここに若い人が増えてきててね、ぜー--んぶまめなの人。私、ここで若い人見たらみんなまめなの人じゃもん。」
「そうなんだね。若い人増えてうれしいね。」
「そうや、ここの人はみんな出てってしまうからね。定年で帰ってくる人は多いんじゃけど。」
「そうなんだね。おばちゃん、でもここにいる人は元気だね。」
「そう、みんな柑橘畑とかしてるからの。ここじゃと、80歳でまだ青年団よ。」
「え?80で青年団?」
「そう、みんな元気よ。でも、みんな長くないからね。今日はあんちゃんと話せてよかった。ありがと。これ持ってきな。」

そして、僕は甘夏とレモンをもらい、おばあちゃんとバイバイをした。


「まだ若い。」って何だろうと思った。
僕も死ぬんだったら最後まで、元気で生きて、パタン。と倒れて死にたい。
そういう生き方がいいなと思った。

今まで、自分が生活してきたところでは、「○○歳までが若者。」と言われ、分けられることが多かった。
でも、分けてなんの意味がある?
まちの中で一緒に暮らすのであれば、そんなことではなくて、○○さんが困っているから行こう。とかってことはあるけど、○○歳だからこうしないといけない。こう生きないといけないってことはないはず。


おばあちゃん、おじいちゃんたちを見てて思った。
一緒に暮らすってこういう事か。
みんな家族だと思えばいい。話が合わん人もいると思うけど、それはしょうがない。自分を好きでいてくれる人と一緒に家族になる。
そういう事がこれからの地域の生き残る道。地域で生きる道であると思った。


まめなの代表理事の更科さんが言っていた。
「おばちゃんおじいちゃんたちがピンシャンころりで死ぬ。それほど幸せなことがないと思う。この地域は、介護の無い暮らしができると思えた場所なんだよ。」

自分にこの時、グサッと刺さった気がする。
僕も、年齢とかで限界値を決められるんではなく、その人の意思を信じ、その人らしい表現をし、生きていく。そんな素敵な人たちと一緒に家族になっていたい。そう思うようになった。


これからの地域は、「都市化」ではない。
これからの地域は、「家族化」である。
そう自分は思った。


そして、改めて思った。
そういう地域が家族になる仕組みを探究していきたいと思う。


そして、僕は二週間いて、自分のプロジェクトをまめなで新しく立ち上げたいと思うことがなかった理由が分かった。
ぼくが興味があるのは、



「まめな」そもそも。
共同体の生末。に興味がある。
ぼくはそういう輪っかをつくること。探究することが好きだ。



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