見出し画像

どうする?家出る?【編集後記】

【プロローグ】

これは赤穂の海

みなさん、今年のお盆休みはどう過ごされましたか?君たちはどう生きましたか? 
 ずっと仕事でしたという人もいれば、五連休の人も、十連休を満喫しました!って人も、無職の人もいたことでしょう。しかし、今年のお盆休みは不幸にも台風7号が日本列島を直撃するであろうということが、お盆前の時点ですでに予測されていました。
 日本に台風の接近予告が発表されると鉄道会社や航空会社は該当期間の運行予定を取りやめることを発表します。日本の交通インフラは1にも2にも安全第一。少しでもそれが脅かされる可能性があれば、非情な選択と捉えられてもやむを得ない場合もあるのです。もちろんそれが、人々の移動が日本で最も活発化するお盆期間であっても。

 夏が来るから海へ行こうよ。夏が始まる前から企てていた計画は、これによって大幅に変更せざるを得なくなってしまった。台風ってほんのちょっと意地悪だよね。
 太平洋上で発生した台風7号は、勢力を保ったまま小笠原諸島などを通り、14日から15日にかけて関東地方に上陸するとのことだった。私の当初の旅程は13日~15日で関東を周遊することだったが、後半がまるまるぶっ潰されることが確定した。ほどなくしてJR東海が、台風直撃の前後にあたる8月14日から16日にかけて、運休や本数減少の可能性があるということを正式にアナウンスした。
 さて、どうする?家出る?

 しかし私はなんとしても東京に飛・び・た・い。当初の台風の進路予測だと、台風7号が関東に上陸するのは14日の夜から15日にかけてということだった。ということは15日は問答無用でキャンセルになるが、14日の夜までならなんとかなるだろうということで再び計画を練り練りする。帰りの便の新幹線は15日で予約していたが、14日の夜8時台の列車に変更した。これであれば新大阪へ帰ることができるし、万が一帰られなくても大阪に近いところまでは行けるだろうから、最悪の場合でも16日からの出社にはなんとか間に合うだろうという見立てだった。
 台風が近づいてくるにつれて、気象庁からより正確な進路予測が発表された。当初、関東地方を直撃する予定だった台風は大きく西へと逸れ、和歌山の紀伊半島や名古屋あたりから本州に上陸するということだった。これによってJR東海は、8月15日の東海道新幹線(東京~名古屋)の運行を終日取りやめると正式に発表した。つまり、14日のうちに出発しないと帰られなくなるということだった。
 ということで今回の旅程は、12日大阪発の夜行バスで東京に向かい、14日の夜の新幹線で大阪に帰る。これで手打ちとさせていただく。

 じゃあ行ってくるから!あっ、さよならじゃないよね。

-

 本記事は編集後記となります。服用の前にぜひ下記リンクより本編動画の方をお楽しみください。食前酒みたいな感じです。


【本編】

 東京は朝の7時。池袋駅に到着した。約4年ぶりに乗った夜行バスは、ケツの肉どころか全身バラバラになりそうな過酷さだった。3列独立シートに乗ってもこうなるのだから、いくら楽しみな予定があっても相殺するのは難しい。

 今回の目的地は「栃木県」。日本全国結構いろんなところに行った私の残り数少ない未踏県!ちなみに残りはあと山梨県、茨城県、福島県の3つ。これらもいつか行きます。
 東京を起点に旅がスタートするのでまず栃木県に移動するまでの時間も加味しなければならない。池袋駅から上野東京ラインに乗り込みひたすら北上。終点の宇都宮駅まで向かう。お盆の真っただ中、子どもたちを連れた家族連れの姿が目立つ。朝8時の快速ラビットで宇都宮へ、この時点ですでに汗だく。

鬼の逆光、宇都宮駅
駅前通りに閉業旅館

 宇都宮に来たからには名物の餃子を食べたかったのだが、いかんせん時間が早すぎたようで、餃子を食べられる店が開いていなかった。仕方ないので、エキナカのカフェでパンとコーヒーを。今度行ったら餃子はマスト、絶対に食べる。

 さて、時間もそこそこに本日の目的地に向かう。JR宇都宮駅からはJR線が4方向に延びている。さきほど乗ってきた、東京に向かう上野東京ラインと、その逆の東北地方に向かう東北本線、そして盲腸線が2つ、JR烏山(からすやま)線とJR日光線だ。東武鉄道の宇都宮駅もあるが、JR宇都宮駅とは離れており、徒歩で15分ほどの距離がある。同名の他社駅同士でこれだけ離れているパターンは、JR尼崎駅と阪神尼崎駅を思い出す。
 JR宇都宮駅から日光東照宮や鬼怒川温泉に行くためには、まずJR日光線に乗り、日光駅のひとつ手前「今市(いまいち)駅」で下車し、東武鉄道の「下今市(しもいまいち)駅」まで歩き、そこから電車で各方面に向かう形となる。速水いまいちとは別に関係がない。

-

 東武鉄道鬼怒川線に乗り込み北上していく。福島県へと延びる会津鉄道との結節点、新藤原駅の一つ手前「鬼怒川公園駅」で下車。そのひとつ手前の鬼怒川温泉駅では多くの人が下車し、駅前にはバスやらタクシーが賑わっていたが、鬼怒川公園駅前にはそれらはひとつも見当たらず、華やかな温泉街の姿は見えない。下車をした人も私を含めて3-4人ほどだった。

滝見橋から見る鬼怒川の廃旅館群

 いやはや最高すぎる…。というのもね、廃旅館とか廃ホテルなんてのは別に珍しくもなんともなくて、日本各地にそれなりの数が存在はするんですよ。でもその多くが山林地帯とか山奥にポツンとあったり、車でしか行けないようなだだっ広い郊外にデーンと仁王立ちしていたり、もちろんそれはそれでロマンチックかつ壮大なのは言うまでもなくて、いざ目にしたら思わず言葉を飲むような代物なんですけど、いかんせん単体でしか拝むことができない。
 そんな単品でも十分にスタメンを張れるような一品料理たちがいざ満を持して卓上に並び一堂に会すとどうなるか、それはまさに満漢全席、廃旅館のフルコースなんですね。ただでさえ濃い個の存在感は爆発的に増し、より華やぐんですよね。かつお互いの持ち味は殺していないのが良い。ちゃんと酢豚は酢豚で旨いし、小籠包は小籠包で旨いんですわ。

 こうやって一騎当千レベルの廃墟が群雄割拠している様は本当に圧巻なんですよ。三国志、鬼怒川温泉郷はまさに、廃墟の三国志ですよ。

-

 にっこにこ日光に!
 三国志の時代から時は流れて日本の江戸時代へ。東武鬼怒川温泉駅から下今市駅まで戻り、今度は東武日光線に乗り込む。午後3時すぎ、車内はそれほど混んでいないようだ。これなら昼間に乗ったJR日光線のほうがまだ混んでいた。時間帯によるのだろうか?

 日光に到着した頃にはあいにくの雨。皮肉にも日光は見えない。これさぁ、家康だったらどうする?
 とにもかくにも、日光東照宮を見に行かないことには始まらないだろう。駅前からバスに乗ってふもとまで向かいます。普段は西参道近くまでバスが出ているらしいですが今日は出ていないみたい。

これが三猿

 この雨の中でさえ、日光東照宮は神々しかった。今から400年も前の日本に、こんな瀟洒な建物や文化が存在していたことが素晴らしい。
 かつて栄華を極めたものが、その数年後、数十年後、ひいては数百年後にも形や色、風格を保ったまま残っているかどうかなんてことは誰にもわからない。日本有数の観光温泉地として知られた鬼怒川温泉の旅館たちだって、劇的なまでに姿を変えてしまう。対して、歴史の1ページにまでなった徳川家康が作った東照宮は、かつての隆盛を伝える貴重な資料として丁重に保護されて現代にまで伝えられている。いやしかし、年月とは数奇なものだ。

ありがたーいお言葉

 この栃木県の旅で私は、歴史の行く末というものを見た気がする。栄枯盛衰、盛者必衰、竜頭蛇尾という言葉にあるように、かたちあるものはいつか必ず勢いを失い、かつての面影を無くすだろう。多くの人の目に、廃墟はみすぼらしいもの、惨めなものとして映るかもしれない。でも私はそうは思わない。たとえ一時でも栄華を極めたことは人々の胸に深く刻まれ、朽ちてもなおそれを伝えるという役目を果たし続けていると思う。
 廃墟と歴史的建造物、両者の社会的な格に差はあれど、それらが持つ歴史的価値については甲乙つけがたい、いやつけるべきではないと私は強く思う。

ここから先は

0字
この記事のみ ¥ 500
期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が参加している募集

#旅のフォトアルバム

38,986件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?