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8月13日『不可触の夏』

 先日、京都水族館へと行ってきた。お目当ては、現在開催中のイベント「クラゲワンダー」。名の通り、クラゲの展示を大々的に行うイベントで、水槽の中を漂うクラゲたちが色とりどりのカラーライトを浴びたその姿は幻想的な景色だった。最近の水族館の多くは、どこかサイバーパンク的な世界観を持ったものが多いみたいだ。暗い館内で水槽の中の世界だけ赤や青にライトアップされた妖しい風景がどうもそのような印象にさせるみたい。幼い頃に連れていかれた水族館で見た光景に今でも憧れと少しの恐れを感じてしまうのは、サイバーパンク的要素が持つノスタルジックな一面があるからではないかと、私は思うのです。

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 クラゲを見ていると、高校生の頃まではよく通っていた近所の砂浜を思い出さずにはいられない。
 お金はないが時間だけはあった私たちは、夏になると誘蛾灯に群がる虫のように自然と集まって、その砂浜へ出かけていた。自転車で大挙してキコキコと炎天下の下を行進する。一本のジュースを買うお金すら勿体なくて、家から持参したペットボトルのお茶や水筒を使っていたのを思い出す。

 その砂浜にはよくクラゲがいて、ときには大量発生を勧告する看板も掲げられていた。ある年のお盆の頃の話である。砂浜の近くの水路にかかる橋から水面を見下ろすと、無数の白いミズクラゲが浮かんでいた光景は、私の純粋な子供心に少しの恐怖を植え付けた。クラゲには毒がある、というのは当然知っていて、そんなものが私たちの泳ぐ海には溢れているということを改めて実感させられたような...とにかく怖かったのだ。
 海に入る度、クラゲに警戒をしながら浮き輪につかまるようになった。たまに明らかにヤバい赤いクラゲもいたりして、そんなときは生きた心地がしなかったね。といっても、クラゲの傘の部分には触れても問題ないわけだから、知識を得た私たちは砂浜に打ち上がったクラゲたちを砲丸投げの砲丸の要領で掴み取り、友達同士でクラゲ投げ合戦をしたものだ。海の月なんて小洒落た二つ名も、無謀な子供の前ではお手玉さながら。

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 今年の夏もやはり海に行くことはなかった。海に入らなかった”5年目の夏”。歳を食うと、あらゆるものに触れられなくなる。セミもバッタもザリガニも、そして多分クラゲも。
 夏の生き物たちに”触れて”夏を感じるのではなく、”見て”感じる。夏の楽しみ方ってやつも、歳とともにちょっとずつ変化している。

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