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「待てど暮らせど」の「ドゥクラッセ」の部分

 真空ジェシカのラジオを聴いていたら、「待てど暮らせど」の"暮らせど"の部分について言及しているシーンがあった。
 待つのはわかるとして、暮らすまでいってしまうとこれは完全に変質者である。そういえばこち亀で、月面に置いていかれた両さんが迎えを待ちながら月を開拓していって、しまいには普通に月で暮らしを始める話があったが、これは完全に変質者である。月面調査隊が残した食料をもとにそれを培養するだけでは飽き足らず、ホテルやデパートまで建てていた。そして最終的には、地球から来た調査隊をまるめ込み、月での暮らしに順応をさせようとしていた。世にも珍しい「待つ」と「暮らす」が逆転した瞬間である。 

 私が無学だと思われるのも癪なので一応弁解しておくと、ここでの「暮らす」というのは、屋根の下で生活を営むことではなく、「日が暮れる」などの"暮れる"と同義。何かに時間をただ消費していくという意味だ。"暮れる"の他動詞的活用といえばわかりやすい。日を"暮らし"ているのだ。

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 しかし、「待つ」ことと「暮らす」ことは表裏一体なのかもしれない。

 私たちはいつも何かを待っている。"それ"はいつ来るのかわからない。明日か、一週間後か、一年後か、はたまた遠い遠い未来の話かもしれない。
 待っている間、私たちは普通に暮らしを続けていく。ただ漠然と紡いでいく暮らしもあれば、それに向かって努力をしながら待つ暮らしもある。それをしたからといって必ず来るわけでもないんだけど。
 
 故郷にいる私の母も、いつも私を待っているらしい。実家との距離は近いので帰ろうと思えばすぐに帰ることはできるし、母も無闇に帰ってこいとは言わないが、思いがけず実家に帰ることを連絡すると「待ってました」と言う。待つ暮らしをしている。私もそのタイミングを待ちながら暮らしを続けているから。

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  思えば私って何を待っているんだろう~って思ったけど、なんやかんやで色々待ってた。夏フェスとか、好きなアーティストの新曲とか、今日の晩御飯とか、友達からの誘いとか、明るい未来とか。どっちかというと「Wait」じゃなくて「Hope」かも。
 人生というのは長い長い待ち時間の連続。同じ待つなら暮らさにゃ損損ってこった。

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