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マスク社会は鏡花水月の術中に

  コロナ禍も小康になり、人々がマスクをはずす場面も増えてきた。企業によっては従業員のマスクを不要とするお触れを出すところもあったり、飲食店でもパーテーションが徐々になくなったりしてきて、世界は元に戻りつつあるようだ。(もちろん基本的な感染対策は欠かさないようにしたいところ)
 
 コロナがあろうとなかろうと世界は回っていく。人々は進学・就職・転居などのプロセスを経て順々に人生のステージを歩んでいる。それらの過程でいろんな人に会うことだろう。
 その中でも、コロナ禍以後に出会った人については、基本的にお互いマスク装着時の顔しか知らないということはないだろうか。
 たとえば職場の人。コロナ以後に入社をした人なら、初対面の時点で顔の半分がマスクに覆われているのが当たり前という「マスク社会(ソサエティ)」になってしまい、いつも一緒に働いているのに実はその素顔を見たことないなんてケースもあるだろう。

 そして今、世間的に徐々にマスクをはずす風潮が漂い始めて、"マスク以後"世代の私たちはこう思うのだ。

「今さら素顔を見られるのが恥ずかしい…///」と。

こっちのほうが恥ずかしくね?

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 そもそもマスクは本来顔や素性を隠すためのものではなく、あくまで感染対策の一環としてのものだった。コロナ禍以後、人類ほぼ全員が感染対策のためにマスクを装着し始めたが、コロナが落ち着いてきた今、感染対策としての意義は半ば形骸化し、マスクはもはや顔の一部になった。
 人前でマスクを取るということは、"本当の素顔"を見せるということ。マスクを着けたままでは誰もあなたの美しさ測れない。マスクを外したままで自分を守れない。顔に何も被せないで思い切り笑いたかっただけなんだけどね。
 普段よく知っている人のマスクのその下を初めて見た時、なんとも言えない不安定さを感じるのは、あなたがすでに"術中"に嵌っているから。人間はなんとも幸せな生き物で、見えない部分は都合の良いように補完する習性がある。私たちは都合の良いようにマスクで覆われた部分を二次創作をしているのだ。
 二次創作から入った読者が創作元の本編を読んだらなんだかガッカリしてしまうのと同じ。そりゃそうだ、本編にはBLシーンも百合シーンもないのだから。

本編にはこんなシーンありません

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 ある日、私は仕事で初対面の人と打ち合わせをすることになり、お互いマスクをしていないシラフの状態で対面で顔合わせをした。もちろん初めて会った人だからマスクを着けているときの顔を知らないし、今まさに目の前にあるその素顔こそが私の知っているその人の全てと言える。
 つまり何の違和感もない完全な状態、チャドばりに霊圧が消えた状態だ。もしこの状態でマスクをしてもそれはただ単にマスクをしている状態になるだけであって、私が知るその素顔に違和感が生じることにはならない。

 要は、最初から素顔を知ってさえいれば術中に嵌ってしまうことはないだろう。
 これは藍染惣右介の卍解「鏡花水月」の能力に非常によく似ている。能力の始動部分を見てしまうとその術にかかってしまうという能力だが、藍染目線で考えてみれば、「見せてしまえばあとはどうということはない」ってこと。憧れは理解から最も遠い感情とはよく言ったものである。

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  マスク社会(ソサエティ)の残した傷はあまりに大きい。そうやってとりあえず貼り付けたマスクの一枚奥に素顔を隠している私も、仮面(マスク)の軍勢のひとりなのかもしれない。


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