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「やりたいこと」がない子たち

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「やりたいことがない」という子たちが多くいます。なぜそうなのか、どうすればやりたいことが見つかるのか、色々な角度から考えてみました。
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不可能性の中の可能性を生きる

不可能性の中の可能性を生きる

「やりたいこと」がない子を考える(31)人間は可能性の中で生きています。
いや、可能性がなければ生きていけないと言った方がいいでしょう。
一般的になった「自己肯定感」と、人生の可能性は大きく影響しています。
「自分には可能性がある」と思えること、それが「自己肯定感が高いこと」と言えます。
しかし、人間にとっての可能性とは、ただの可能性ではありません。
人間は人生のあらゆる場面で諦めながら生きていま

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トラウマ ~人の「やりたい」を阻害するもの~

トラウマ ~人の「やりたい」を阻害するもの~

「やりたいこと」がない子を考える(30)トラウマは傷口となって、興奮の回避を生み出します。
そして、「やりたいこと」とはすなわち、自分を興奮させてくれるものだと述べました。
つまり、トラウマによって回避すべき傷口ができると、「やりたいこと」をするときの興奮がその傷口を刺激するので、「やりたいこと」自体を避ける、という心の働きが生じるのではないか、ということです。
いじめや虐待などの何らかのトラウマ

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記憶と傷

記憶と傷

「やりたいこと」がない子を考える(29)

トラウマとは、決して慣れることのないサリエンシーであると述べました。
しかし、そもそも世界とはサリエンシーであり、記憶とはサリエンシー的なものです。
つまり、記憶とトラウマとは、根本的に同じだと言えます。
國分は以下のように述べます。

「トラウマ」はもともとギリシャ語で「傷」を意味する。あらゆる経験はサリエントであり、多少ともトラウマ的であるとすれば、

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刺激・反復・習慣

刺激・反復・習慣

「やりたいこと」がない子を考える(28)サリエンシーとは、精神生活にとって新しく強い刺激のことであり、興奮状態をもたらす未だ慣れていない刺激のことです。
人間は生まれた時、この世界の何物にも慣れていないので世界はサリエンシーであふれていることになります。
しかし、人間は次第にそのサリエンシーに慣れていきます。
物ははなせば落ちるという刺激も、ドアノブを開けると扉が開くという刺激も、自動販売機にお金

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人間の心の矛盾

人間の心の矛盾

「やりたいこと」がない子を考える(27)『暇と退屈の倫理学』では、「なぜ人は退屈することを嫌うのか」ということについて、哲学的に思考しながら、人間存在の本質へと迫っていきます。
増補新版には、最後に「傷と運命」という、短い付録がついています。
この「傷と運命」という中に、大変重要な人間への認識が含まれているのです。
國分功一郎は、人間は刺激に晒され続けては生きていけないのに、刺激が無さすぎても生き

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やりたいこととトラウマ

やりたいこととトラウマ

「やりたいこと」がない子を考える(26)「やりたいことがない子たち」のほとんどに共通しているのが、トラウマ体験の存在です。
人間、多かれ少なかれトラウマはあるのですが、それが幼少期に傷つき体験として存在してしまうと、その後の人生がガラッと変わってしまうのです。
トラウマによって「やりたいこと」に向かうことができにくくなくなってしまうのです。
ではなぜ、トラウマが存在すると「やりたいこと」に向かいに

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「やりたい」を拒むもの

「やりたい」を拒むもの

「やりたいこと」がない子たち(25)今まで「やりたいこととは何か」について考えてきました。
「やりたいこと」は「快感の再現」によって発生し、それを生きがいにまで高めるには人生の「有限性」の認識が必要だ、というのがここまでの内容でした。
しかし、これは「やりたいことはなぜ生まれるのか」という、基本的なメカニズムを説明しているに過ぎません。
この投稿のタイトルでもある「やりたいことがない子たち」につい

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生きがいと有限性

生きがいと有限性

「やりたいこと」がない子たち(24)僕たちはみんな死を迎えます。
ただ、そのことを忘れて生きているだけです。
なぜなら、そのことを考えるとやるせなくなってしまうからです。
しかし、何かしらのきっかけで死を意識したとします。
自分で死ぬ時のことを想像したり、寿命が宣告されたり、友人が亡くなったり。
そうすると、自分の人生というものがはっきりと見えるようになります。
今の地点から終わりまでが一本の道筋

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死に直面し、生きがいに目覚める人たち

死に直面し、生きがいに目覚める人たち

「やりたいこと」がない子を考える(23)

さて、ここまで「やりたいこと」と生きがいを絡めて考えてきました。
これらは、「快感の再現」という点で共通しており、その意味では連続していました。
しかし、やっぱり「やりたいこと」と生きがいは何か違う気がします。
「カミナリに撃たれたような衝撃」くらいの強い「快感」を感じれば、果たして必ず生きがいに目覚めるのでしょうか。
そう考えると、次の例はどのように説

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効力感を増やすことが大事

効力感を増やすことが大事

「やりたいこと」がない子を考える(22)現在の学校改革で話題になっているものの多くは「無力感を減らす」方法です。
確かに、無意味なしきたりはなくすべきです。
しかし、それ以上に教育で重要なのが「効力感を増やす」ことです。
「自分はやればできるんだ」という自覚をもてるようにすることです。
「効力感」を得ることができれば、多少の「無力感」は超えられるようになります。
これは、教育に携わっているとよく感

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無力感と効力感

「やりたいこと」がない子を考える(21)

現在行われている学校制度の改革は、基本的に「無力感を減らす」方法であると言えるでしょう。
宿題や定期テストをやめ、子どもたちの負担をなくすことで不要なストレスを減らす方法です。
この方法は、基本的には正しいです。
しかし、「無力感を減らす」だけではある問題が生じます。
それが「だらけ」です。
参考にした記事を思い出せず申し訳ないのですが、宿題廃止を取り入

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『無気力の心理学』

『無気力の心理学』

「やりたいこと」がない子を考える(20)

波多野誼余夫、稲垣佳世子『無気力の心理学 やりがいの条件』(中公新書1981)では、学校の制度に関わる記述があります。
著者は、無気力な子どもたちが量産されている現象を「獲得された無気力」と「効力感」という二つの概念で説明しようとします。
「獲得された無気力」とは、いくら努力しても問題を解決できないと認知した時に獲得される諦めの状態のことです。
対して「

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学校改革について

学校改革について

「やりたいこと」がない子たち(19)子どもたちの「やりたい」を生み出すには、「不安定にさせ、解消する」方法が必要だと述べました。
さて、ここから少し寄り道をして学校制度について考えてみましょう。
最近、学校制度の必要性について喧々諤々の議論が交わされています。
そして、その際に話題に上がるのが、東京にある麹町中学校の改革でしょう。
麹町中学校では定期テストや宿題、担任制を無目的な制度として次々と廃

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これからの教育

これからの教育

「やりたいこと」がない子たち(18)考えてみれば、「不安定にさせ、解消する」という方法は学校の行事でも多く用いられます。
運動会や文化祭、卒業式など、「厳しい練習があるけれどそれを乗り越えた時の快感」を感じさせることによって、子どもをやる気にしていきます。
それが本来の行事ごとの意味だったはずです。
古くから教育は「不安定にさせ、解消する」という手法を取り入れてきたのです。
こうして考えてみると、

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