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ミモザの花の咲く頃(番外 ローマ編)


  あのスリの彼女たちはどうしているかなー。冬の寒さが少し和らぎ、日差しの温かさが春めいて来る頃になると思い出す旅のエピソードがある。それは今から10年前のイタリア・ローマでの出来事。その時の体験は「植物を巡るドイツの旅」を始める原動力の一つともなった。


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しょっぱなからローマでスリ未遂に

 オフシーズンを狙った3月のローマの旅でしょっぱなからローマの洗礼を受けた。両親と2歳の子供と一緒にレオナルドダヴィンチ空港から列車で市内に着いた直後、駅のエレベーターに乗り込んだ。

 すると一緒に乗った2人連れの若い女性が、エレベーター内には十分スペースがあるにも関わらず父の横に体を寄せるようにぴったり並んだのだ。その様子に直感的に「スリだ」とひらめいて、父に日本語で「その女の人スリだと思うよ。離れた方がいい」と伝えると、向こうもバレたかといった表情をして、2人でひそひそ話をしながらゆうゆうと降りていった。


 さすがローマは世界都市。大きな村と称されるミュンヘンとは違うのだ、油断してはならないと気持ちを引き締めたのもつかの間、次に乗ったバスの中で第2のスリ未遂事件が発生した。またもや若い女性二人組。母の背負っているリュックサックを狙ってスーッと近寄ってきた。やれやれ、と思いながら彼女たちをグッとにらみつけて被害はなし。

 スリのプロからしたら、アジア系の年配夫婦と乳児を連れた女という一行の組み合わせはカモがネギをしょって鍋の中を泳いでいるかのように見えるのだろう。まだまだこれからもスリに出くわすのかと思うだけで憂鬱になった。仕方ない、この旅の最中は、警戒信号を常時頭の中で点灯させておくしかないと自分に言い聞かせた。


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笑顔の男性に黄色い花を差し出され


 そんな神経をピリピリにとがらせながらの旅も終盤に入って、少し緊張感をゆるめて通りを歩いていたときのこと。前を見ると人だかりがしている。近寄って確かめようかと思ったが、大勢の人が集まっているところはスリにあう可能性が高いと考え直してやめることにした。

 そして遠巻きに通り過ぎようとすると、一人の男性が黄色い花を持ってこちらに近づいて来るではないか!顔には満面の笑み。イタリア語で何か話しかけてくるが、こちらは残念ながら全く理解できない。


 どうしよう、どうしようと迷いつつもその時、頭にふとなぜかオウム真理教が浮かんだ。そうなると花のやけに明るい黄色いがどうしてもうさん臭く見えて、男性を振り切るようにして早足で逃げたのだった。



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3月8日は女性の日

 そしてそんな出来事などとっくに忘れていた二年後のこと。同僚のイタリア人男性が温室で育った黄色いミモザの花束を手にしていた。植物であふれる職場だけにそれ自体は特段珍しいことでもなんでもない。

 妻のために、というので誕生日?と尋ねると「3月8日は国際女性デーだろう。イタリアでは女性にありがとうの感謝の気持ちをこめてミモザを贈るんだよ」という答えが返ってきた。


 あっ、これだったのか、あの小さな黄色い花は。2年前のローマでの出来事がフラッシュバックした。あれはきっと市民団体が女性の日にミモザを配っていたのだ。あの男性は、ベビーカーを押す母と私の女性二人連れを見て、お疲れさまという意味で花をくれようとしていたのに、新興宗教の勧誘と勘違いしてしまったとは・・。

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ミモザは女性への感謝とサポートの印


 3月8日はイタリアでは女性の日(Festa della Donna)とも、ミモザの日とも呼ばれる。戦後すぐの1946年、女性の権利拡大を求める2人の女性活動家が他の女性に連帯の印としてミモザを配ったのが発祥だ。今では女性への敬意と支援の意味を込めて、男性から身近な女性に贈る全国的な行事である。
 

 ミモザが選ばれたのは、この時期に花が咲いている数少ない植物であること。花のホワホワした優しい見かけとは反対に、厳しい条件下でも育つ強靭さに女性の強さを重ねたということだ。

 ちなみにオーストラリアが原産のミモザの本名はフサアカシア(Acacia dealbata)。葉と花の形が葉を触ると閉じるオジギソウに似ていることからフランスでオジギソウの学名Mimosa ミモザ、の名で呼ばれるようになったのが他の国にも広がっていったようだ。ドイツではニセミモザという名で呼ばれることもある。

 自己弁護するわけではないが、2019年から国際女性の日がベルリンの祝日になったものの、ドイツでは、それ以外の地域では平日なこともあって、この日を特別意識することはない。ミモザを通じて、国が違えばおのずと人と花との関りも違ってくるのだとつくづく実感した。


 それにしてもなんとも悔しかった。警戒するあまりに特別な花をもらいそこねてしまった。いやその習慣をしってさえいれば「グラーツィエ」と一言お礼を言って受け取ることができて、旅の良い思い出になったかもしれないのに・・・。

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スリの女性にも小さな幸せを


 でもあれから10年以上がたって、花をもらえなくても良かったのだと思っている自分がいる。警戒心を全開にして過ごしたおかげで安全に旅ができたし、不快な体験がないからローマはいいところだったときっぱりと言い切れる。そして今ならば旅の最終日も含めて、三回もスリに狙われたことさえも旅の一コマとして穏やかな気持ちで思い返す余裕がある。

  出くわしたスリはいずれもロマと呼ばれる移民の女性たちだった。迫害された歴史を持ち、今なお差別される彼女たちはお金も教育も社会的なチャンスにも恵まれない日陰者の存在だ。

 そういうことは分かっていても、スリ以外に何か地道な仕事を見つければいいのにと思うし、どうしてロマという自分たちの民族の評価をおとしめるようなことをするのだろうかと何ともやるせない、歯がゆい気持ちになる。

 でも何不自由なく、海外旅行を楽しめるような暮らしができる恵まれた立場の自分が持つ小さな尺度で、虐げられる立場にいる彼女たちをた安易にはかって、判断してはいけないのだろう。

 同じ女性の自分としては、せめて社会の底辺に押しやられる彼女たちに、盗んだお金で得られたのではない幸せな人生を歩んでいて欲しい。そして「女性の日」に春の光のようなミモザの花が彼女たちの手にも輝いていて欲しい、と願うことしかできない。


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