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冬と春をつなぐキバナセツブンソウ

冬から春への移り変わりは押しくらまんじゅうに似ている。厳しい、頑固おやじのような冬将軍はなかなかすぐには退いてはくれない。暖かい陽射しに春を感じたと思った次の瞬間には雪がちらついてグッと寒さを増したり、といった具合に行きつ戻りつが繰り返される。

でもどんなに踏ん張りとどまろうとしたって季節の動きをとめることは冬にだってできやしない。ドイツで移ろいのはじまりを告げてくれるのは地面のあちこちから顔をのぞかせるキバナセツブンソウ。

ハチも大喜び

和名のセツブンとドイツ語名のヴィンターリングのヴィンター(=冬の意味)、というからも分かるように咲く時期こそは1月下旬からと冬の真っただ中に片足をつっこんでいる。

でも輝くような黄色く輝くような花の色は間違いなく春のお告げ。ハチが蜜を求めてブンブンとパワー全開で花から花へと飛び回る様は待ちわびた季節がもうすぐそこまで迫っていることを暗示させてくれる。

初春の訪れが待ちきれなくなって、セツブンソウで覆われる谷に出かけることにした。

◎コスペダからナポレオンの戦いははじまった

目指したのはドイツ東部、イエナの西郊外に位置するクローゼヴィッツ。セイヨウセツブンソウが谷一面に咲くことで有名な場所なのだ。直接バスでいけるとふんでいたのが訪れたのはあいにく日曜日で手前で終点となるバスがほとんど。仕方なく、ミュールタールという場所から歩くことにした。

温かくなるのを待つキバナセツブンソウ

通り過ぎる民家の庭の柵の脇にもセツブンソウが咲いている。時刻は午前9時半。うっすらと霜をかぶった花は寒さでまだ堅く閉じられたまま。これから気温の上昇とともに徐々に花が開いていく。

延々と続く上り坂をなんとかあがりきると、クローゼヴィッツ手前の集落、コスペダに着いた。最初に見えた黄土色の家に『博物館1806 イエナーコスペダ』とある。郷土博物館しらんと思って案内板を読むと、この博物館にはナポレオン1世率いるフランス帝国軍とフリードリヒ・ヴィルヘルム3世率いるプロイセン王国軍が交戦した「イエナ・アウエルシュタットの戦い(1806年)」の記録やそれにゆかりの品々が展示されているという。


「イエナ・アウエルシュタットの戦い」はプロイセン軍が大敗を喫し、ナポレオンが欧州大陸を征覇することになった戦い。コスペダとクローゼウィッツの間に広がる一帯で夜を明かしたナポレオンは10月14日の午前6時にイエナの町とクローゼヴィッツの村に火を放ち、開戦の火蓋を切った。

*余談:勝利したナポレオンがイエナに凱旋する姿を目撃し「世界精神が馬に乗って通る」と手紙に書いたのはこの当時イエナ大学で教鞭をとっていた哲学者ヘーゲル。

◎ナポレオンの石碑に立ち寄る 

時間の関係で博物館はパスすることにしたものの、博物館の向かい側に「ナポレオンの石碑」はコチラという案内表示があったので舗装されていない小径に足を踏み入れると10分ほどで見晴らしのいい丘の先端にある石碑にたどり着いた。

ナポレオンの石碑

四角い石碑に刻まれているのはNというイニシャルと王冠のマーク。側面には皇帝の戴冠式があったパリ、激戦の末破れたヴォータールー、終焉の地、セントヘレナ島などナポレオンの人生の分岐点となった地が列挙され、石碑からそこまでの距離が記されていた。

説明によると現存するのは1992年に建てられたもの。1806年当時はイエナとコスペルダの境界線を示す石にナポレオンが勝利の印としてNを彫らせたそうで、石は19世紀の間に2回ほど取り替えられたれのだそう。

◎「英雄」の歴史の陰にある名もなき民の苦しみ

丘からはイエナの町や森が一望することができる。ナポレオンもこうやって眼下に見える風景を眺めて悦に入ったのだろうか。

付近を一望できる

でもそんなノスタルジーのような思いはほんの一瞬で消えた。ナポレオンから200年以上がたつこの瞬間にも一国の元首が決定した軍事侵攻で、数え切れないほどの人間の命が奪われる現実を目の前に突きつけられているのだ。頭の中を駆けめぐるのはナポレオンの功績とかではなく、彼のせいでどれだけの人々が苦しんだり、悲しい目にあったことだろうかということだけ。

イエナの戦いだけでもプロイセン側の兵士、約1万人が犠牲になり、1万人が捕虜となったという。フランス軍とて犠牲者がいなかったわけではあるまい。火をつけられた町や村の一般の人にとっても大きな苦難が待ち受けていたことだろう。歴史で大きく名を残す人物とその陰では名もなき民衆の苦しみや嘆き。その積み重ねで人類の歴史は成り立っている。

◎キバナセツブンソウの谷へ

よし、憂鬱な気分を可愛らしいセツブンソウに晴らしてもらおう。時刻はおおよそ11時半。セツブンソウのイラストが描かれた案内板にそっていくと、同じ目的で来たに違いない人の流れがあったのでついていくことにした。

キバナセツブンソウはドイツ自生の植物ではない。イタリアやギリシャといった地中海沿岸部が故郷で、16世紀にアルペンを越えクローゼウィッツには17世紀ごろにブドウとともにもたらされたらしい。

説明板によると、1960年には0.2haの面積に広がっていたのが、地元に住む人たちの積極的な保護活動のおかげで2015年には(どころどころ余白はあるものの)5haまで拡大したらしい。平方メートルあたり300株ほどが生育しており、全域だと160万株ほどが咲き誇る計算になっている。

谷に行くまでの道はぬかるんでいて何度もズルっと滑って足をとられそうになる。水たまりにはまってはいている靴も泥まみれになった。それでも負けじと5分ほど歩いて行くと最初の黄色いカーペットにぶつかった。

ほかの人たちが皆、地面に顔を近づけて写真撮影に忙しそうなのを見て私もシャッターを切って切りまくる。エリマキトカゲのように顎片がぐぐっと反り返っているのがなんとも愛嬌たっぷりでイイ。

エリマキトカゲっぽくありませんか?

◎黄色い花と青い空

ひとしきり撮った後、メイン会場へ足を踏みいれた。斜面一帯がキバナセツブンソウで覆われている。上を見ても下を見ても黄色、黄色、黄色が続く。ドイツ各地の公園や家庭の庭で植えられていて、もはや早春のトップを切る植物として珍しい存在ではないけれども、長い年月をかけてこぼれ種で増えていったことを思うとこの光景はやはり壮観というしかない。

キバナセツブンソウのカーペット

落葉樹の間に広がる黄色い波と上空に広がる薄く青い空。ここはこんなにも穏やかで平和だ。なのに同じカラーの国旗を持つ、彼の国は戦時下にある。心はどうしてもまた戦争のことに引き戻される。ザラザラした思いで揺れているのは私だけでない。周りにいる人たちの固い表情と会話からも戦争の幾末を案じる気配がひしひしと伝わってくる。

◎春よ来い!ひまわりの咲く豊穣の地に

セツブンソウを見終わって、再びナポレオンの戦場跡に戻った。現在自然保護区域に指定されているこの場所は東西冷戦下でイエナが東独に属していたころ、ソ連軍の軍事演習の場として使われていた。どれほどの砲撃が撃たれ、何台の戦車がここを通ったことか。戦車の轍によってところどころにできた穴には水がたまり、水生植物の格好の生育場所となっている。

戦車の轍でできた水たまり

2回の大戦と冷戦を乗り越えて築かれた欧州の平和は一撃で崩された。

人間は現代の歴史の中で戦争という手段が何ももたらさないことを学んだばかりなのに、なぜこんなことになってしまったのだろう。攻められた側はもちろん、攻め入った側からも多くの若い犠牲者が出ている。虚しさとやるせなさで気持ちが一杯になる。

春よこい。早く来い!一刻も早い停戦でウクライナに平和と春が訪れますように。そして故国を追われた人たちが一日も早く、ひまわり揺れる豊穣の地に戻れる日がきますように。ただひたすら祈ること、今はそれしかできない。



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