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イチジクを求めて楽園へ


おかしい、どうも腑に落ちないー。マンハイムから乗った電車から見上げる空はどよんと曇っていて、雨が降るのかも、と思った次の瞬間には青空が覗いて、それから小雨がぱらついたりと猫の目のように目まぐるしく変わる。「ドイツの楽園」という触れ込みの南プファルツにやってきたというのにこれはないだろう。

 ブドウ畑が電車の両側に広がる一帯はワイン街道の一部としても知られている。前日にドイツワインの女王と王女が交代して新ワインのシーズンが始まったというニュースを目にしたが、さては天気の神様も祝杯をあげたのか。この不安定な天気はきっと酩酊状態の結果に違いない。ちょっぴし恨めしく思いながらフラインズハイム駅で電車を降りた。

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プファルツには5万本のイチジクの木

南プファルツ一帯が「楽園」を自認するのにはれっきとした理由がある。ここは夏の気温がドイツ国内で最も高く、冬の気候も温暖なので、ドイツの他地域では家の中に取り込んでやらないといけないような果物も外で冬越しさせてやることができる。小アジアと東地中海の原産で、ローマ人によってブドウとともに中欧にもたらされたイチジクもその一つだ。

そしてイチジクは旧約聖書の中で、一番最初に名前が出てくる植物である。創世記3章にアダムとイブが知恵の木の実を食べた下りが出てくる。「すると、ふたりの目が開け、自分たちが裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた」。

知恵の木の実そのものもイチジクだったという説があるし、とにかくイチジクが楽園にあったことだけは間違いなかろう。それに抗酸化物質も沢山含む実は、洋の東西を問わず不老長寿の秘薬としてもてはやされており、楽園にふさわしい。

そしてそんな楽園の木がプファルツ全体でおよそ5万本もあるというのだから「ドイツの楽園」という看板にも偽りなしとみた。


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イチジクは楽園でしか味わえない

フラインズハイムの駅を出てすぐの緑地帯で、ワインのボトルを横において、グラスで乾杯するグループに行き当たった。時刻はまだ午前中だが顔はすでにほんのり赤く、なんとも楽し気な様子。今年のブドウは大豊作で、出来も上々と新聞に書いてあったし、レストランの前に出ている「新ワイン入荷」の文字もうれしさで踊っているようにさえ見える。

ビール文化圏のミュンヘンからやって来た身にとっては、同じドイツでも別世界のような感じがするのは、あちこちの家の壁や軒先にたわわにぶら下がるブドウのせいなのかもしれない。町全体が軽やかさをまとっているような気がした。

さて、この町で降りたのはK家に行くためだ。出発前にインターネットで見つけたプファルツの観光・マーケティング局のポータル内にある「イチジクを売ります・買います」の掲示板を通じてKさんと連絡を取り、購入する段取りをつけていた。

電話口で「大きなイチジクの木が目印なのですぐ分かりますよ」と言われたのを思い出しながら、教えてもらった住所を目指してゆっくり歩いて行った。


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実は掲示板の存在を知るまで、ドイツ産のイチジクがあることすら知らなかった。スーパーで見かけるのは大概トルコ産で、一個当たり約30セント(25円)くらい。ドイツで育たないから外国産しかないと信じこんでいた。

それに5万本も木があるならばドイツ産が市場に出回ってもおかしくないのに、と思うが、イチジクの特徴として、一斉に熟さない、追熟しないという性質の問題があるだけでなく、熟した果実は傷みやすくて保存、輸送が難しく採算が合わないのだそうだ。

掲示板で売りに出しているのもほとんどが個人で、「直接引き取りに来られる人」というのが条件になっていた。つまり出向かなければ楽園の味は楽しめませんよ、ということになっている。


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K家のイチジクは樹齢20年の巨大な木

旧市街を進んで、ほどなく人の背丈を優に超す高い塀の上からイチジクの葉と実がいっぱいなっているのが見えた。言われた通り、確かに大きい。

赤い扉の横のチャイムをならすとすぐさまドアが開き、若いお父さんと二歳くらいの女の子が出迎えてくれた。玄関の前にはもがれたイチジクが箱にきちんと並べられている。

塀の外からも見えてはいたが、中に入って木を見てその大きさに感嘆した。薄灰色の樹肌の幹は一人でようやく抱えきれるくらいの太さ、高さも優に5メートルはある。イチジクと言えば木というよりも、ひょろひょろと伸びた数本の細い幹と、そこからこれまたひょろっと長く延びた枝に等間隔に実がついた植物というイメージしかなかったのだが、見事にそれは打ち砕かれた。

そういえば前日の電話で、「夫が木に登って収穫しておきますから」という言葉を脚立に上ってとる、くらいに聞き流していたが、この大きさなら確かに木登りするしかない。

呆気にとられていると「前の所有者がイタリア旅行から持って帰って植えたみたいで、樹齢20年くらいだと思います。塀に守られているので冬の寒さにさらされないのがいいのかも」と自慢げにお父さんが説明してくれた。今年すでに三回目の収穫とのことだが、木にはそれでもまだ一杯実がなっている。イチジクが多産のシンボルというのもこれまた納得だ。


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イチジクとワインは鉄板の組み合わせ

イチジクを思う存分丸ごと食べてやれと鼻息荒く乗り込んできた自分だが、採っても採ってもまだなる木を抱えた人たちはどうやってこの大量の実を処理するのだろう。まさか全部売れるわけもないし、と思って食べ方を聞いてみた。

すると「ドレッシングに混ぜたり、ヤギのチーズと一緒にオードブルのように食べます」との答え。なるほど、料理に活用すればいいのか。ワインどころの人が言うと、不思議なことに食べ物までこじゃれて聞こえてくる。

そういえば、いちじくに含まれる消化酵素は、食べたり飲んだりしたものを素早く体内で消化させる働きがあり加えて、二日酔いを事前に防ぐ効果も期待できるのでワインと良い組み合わせだと書いてあった。

それでもお父さんが「娘も含めて家族全員イチジクが好きだけど、やっぱりずっと食べ続けるとさすがに厳しいです。良かったらもっと買っていって」といささかうんざりとした表情で続けられたので、少し笑ってしまった。外から見れば羨ましい限りだけれど、楽園の住人にもそれなりの苦労があるのだ。


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ダイデスハイムはイチジクの里

さて買った2キロのイチジクをビニール袋に詰めて、K家からおいとまして再び電車に乗った。まだまだ楽園を究めねば、との決意を秘めて次に向かった先は、約10キロ離れたダイデスハイム。ダイデスハイムは紀元770年まで記録がさかのぼれるほど、古くからワイン栽培で有名な土地でもある。そしてここにはイチジク小路(Feigengasse)なる場所があるのだ。言わば楽園中の楽園。

駅から続く立派なプラタナス並木に沿って町の中心部に向かうと、あちこちの家の前庭や脇にイチジクが植えられているのが目に付く。フラインズハイムにもたくさん植わっていたが、もっと多い。小路に行き着くまでもなく、町全体がイチジクの里と化しているような気さえしてくる。本数を数えてやろうという意気込みも、余りに多すぎてあきらめた。


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イチジク小路は正式にはダイヒェルガッセ(Deichelgasse)という。ダイヒェルとは木の幹をくり抜いて作った水道管のことで、かつてここに水道管が引かれていたことが由来だそうだ。

それがイチジク小路として親しまれるようになったのは、1908年に当時の市長が旅行先のイタリアのトスカーナから持ち帰って道沿いに植えたのがはじまりで、その後、通りの他の家も続いて植えるようになったらしい。約100メートルほどの長さの道沿いには大きいのから小さいのまで、太さも枝ぶりも様々なイチジクが路地植えされている。


植えられている場所はいずれもほんの30センチ四方くらいの区画で、コンクリートのカベに遮られたりしている木もある。よくもまあこんな狭い所で立派に育つものだとイチジクの我慢強さを褒めてやりたくなる。多少の寒さにやられても、切り戻せば根元から新しい枝が出てくるという生命力にも脱帽するしかない。

根元には完熟した紫色の実がぽろぽろ落ちている木もあった。なんともったいない。でも楽園の住人はそんなことに頓着していられないのだろう。周りを見渡せばイチジクだけでなくブドウやリンゴに梨、さらには柿、栗、レモンとおいしそうな木であふれている。全部食べていたらさすがに胃がもたなかろう。なんとも贅沢な悩みだ。


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楽園で禁断の甘さを堪能する

イチジク小路を歩いてから、町中にあるベンチに腰掛けてKさん家から買ったばかりのイチジクをつまんだ。気を付けて運んだつもりだったが、それでも少しつぶれてしまった。小ぶりの実の外皮は淡い緑色で中は少しピンクがかっている。

かじってみると自然の甘みががガツンと舌と胃にしみた。「罪な甘さ」―。そんな陳腐な表現しか浮かんでこないくらい新鮮なイチジクは美味しい。砂糖のない時代ならその濃厚な甘さは貴重で、禁断の実と呼ぶにふさわしかったろうなと思えてくる。
 

さて旅の最後は町外れにあるワイン畑でしめくくることにした。畑の中には楽園公園と名付けられた一角があって、 イブ(の銅像)が立っている。見渡す限りブドウの海の中、アダムを待つかのようにたたずむイブ。その下では持参したワインと食事でピクニックを楽しむ家族連れがいて、平和な時間が流れている。神様の二日酔いも治ったのか上空には青空ものぞいている。

追放されるまでもなく、楽園の住人でない自分はまた浮世に戻らねばならない。不安も心配事も悩むこともたんまりある世界を思うと、ふーっとため息が出そうになる。

いや、憂うのはやめよう。せっかく楽園に来ているのだ。過去も未来もなく、イチジクをほうばりながら今のこの瞬間だけを、目の前の美しい風景を楽しもうじゃないか。それが許されるのが楽園の醍醐味ってものだろう。



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