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連続性と日次性。まえがきに代えて。

今のところ、毎日の投稿を考えています。(20年10月下旬現在。)テーマは特になく、私の「頭の体操」的に、なるべく多岐にわたるトピックを脈絡なく唐突に取り上げたいと思います。「毎日」という連続投稿ですが、テーマについては連続性を排して、日々新たな視点・視座からの作文を考えたいと思います。

私の文章は決して簡潔ではなく、文章力の拙さを恥じるばかりですが、全体の文章量は控えめして、数分で読める短い文章(長くても800字以内)となるようにしています。(拙い文章を長く書いて、読まれる方の時間を浪費させるのは忍びなく思います。また、毎日続けるには、私自身の負担と時間も考慮する必要があります。)

目的は何か、ということを再定義すると、先述の通り私の「頭の体操」的な要素が強くなりますが、より具体的に言うなら、思考の文章化、思索・概念の明文化による、「考える」行為の精緻化となると思います。作文における言葉を選ぶという作業は、元来言葉によって切り分けられている世界を、丁寧に見つめ直すことと考えています。

一方で、いざという時のためには、長文も書くことのできる思考力、文章力も意識しておかなければとも思うところがあります。ただ、長文というのは短文を足していったもの、短文を再構成してつなぎ合わせたものともいえるため、短文による日々の鍛錬も無駄ではないと考えられます。正直なところ、長文をもって人に何かを訴えかける必要を感じているほど、強い確信的な意見なども無かったりしますが。それでも短文によるちょっとした示唆や発見、気づき、疑問、解釈の幅、多様な視点などについて、「参考程度」に共有することの価値は、それなりに存在するのではないかと信じたいと思います。(2020年10月25日 記。)

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