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果たせなかった約束《最強戦士》

こんにちは。らんぷです。

以下は小説とも言えますが、ノンフィクションです。


今日は、母の髪をカットしてもらう日だ。

何度も手術をして心身共に弱っているので、出張美容師さんに来てもらうことになっている。ネットで、やっと探しあてた美容師さんだ。 
男性だが、経験が豊富だと書かれていた。 電話をすると、物言いも柔らかく優しそうな人だった。
お湯を使うので、浴室だけは使わせて欲しいとの事だった。この人なら、わがままな母でも大丈夫だと思い、お願いした。

午後3時に予約で、料金も封筒に入れて母に渡しておいた。


母は一年前、胃癌が見つかり、胃の3分の2を摘出、その後、腸にねじれが見つかり、また開腹。

今、思えば、それって医療ミスなんじゃないの?😱

主治医のDr.は6年目で、まだ若い。信用していなかったわけではないが、部長がサブに入るとのことだったので、心配はしていなかった。

こちらもネットで、情報を得て説明に望んだからか、手術の説明もスムーズに終わった。

患部が大きいので、開腹手術で、残った胃と腸の一部をつなぐ、ルーワイ法でやるとの説明だった。

再建方法:噴門(ふんもん)側の残胃と小腸(空腸:くうちょう)をつなぎ合わせます(ルーワイ法)

朝9時から手術室に入り、出てきたのは、午後3時を過ぎていた。幸いにも胃の表面にまで浸潤はなく転移もないとのことだった。

さすがに、取り除かれた胃を見たときは、目が点になった。(私)

術後はICUに入り、30分程で母に会うことができた。

が、何度もお腹の辺りに手をやり、苦しそうにしている。

「頑張ったね。無事に終わったよ」と声をかけたが、何か言いたそうだ。

「痛いの?」と聞くと、微かに頭を縦に振る。モニターを見ると血圧も上がっていたので、看護士さんに鎮痛剤の追加をお願いした。

  ドラマのシーンとは大違いだ。

看護士さんに、お腹を触ったり、点滴を抜いたりしないように、手をベッドに固定しますねと言われ、承諾書を書かされた😥

そして、その3日後あたりから、電話攻撃が始まった。母は、かけてないというのだが、何度も何度もかけてきていて、着歴が山のようだ。

母はガラケーを使っていたので、開けない限り通話はできない。スマホのように、知らずに触れてしまって、かかってしまうというのはあり得ないのだ。

   そこで、ネット検索していたのが、役にたった。

というのは、高齢者は術後に、せん妾が出る可能性が高いと書いてあった。

術後せん妄とは
手術をきっかけにしておこる精神障害で、手術の後いったん平静になった患者さんが1~3日たってから、急激に錯乱、幻覚、妄想状態をおこし、1週間前後続いて次第に落ち着いていくという特異な経過をとる病態をいいます。高齢の方に起こりやすく、術後の回復期に起こるため、術後の看護、ケアーの妨げになります。一度発症すると、生命維持に重要な管を抜いてしまう、夜間大声を上げて暴れるなど、看護スタッフによるケアーが困難になり、周囲の患者さんにも迷惑がかかります。さらに転倒・転落の危険も増大し、術後の大きな問題となってきます。高齢の方の術後合併症の中では最も多く、75歳以上の胃癌(胃がん)、大腸癌(大腸がん)の手術例の検討では27%の方に術後せん妄が起こっていました

その後、ナースセンターに電話を入れ「お電話頂いて良かったです。直ぐに対応します」と、事なきを得た。

術後、10日程がたち、普通食になった時だった。

それまでもお粥を食べていたが、どんどん食欲がなくなり、食べるとずっと吐いてばかりいた。レントゲンを撮って貰うと、腸が胃のように膨らんでいた。私は自分の眼を疑った。

すぐにDr,は、もう一度開腹させてほしいと頭を下げてこられた。

再手術には、主人が待機してくれ、さすがに手術室には入れないので、
モノクロの写真を見せられたと言っていた。

写真の感想を聞くと

言われれば、確かに少し腸が捻っている😲

術後の写真も確認、縫合をやり直した痕あり、真っ直ぐ繋がっている😊

縫合部分を外し、腸のひねりを戻してから縫合。それでも3時間かかった。なんといっても、腸は5m~7mあるのだから大変だ。

  一旦退院し、1週間後、また入院。  

病院の都合?で、継続入院で、違う手術はできないらしい。

最初に胃癌と一緒に見つかっていた小さな肺癌も切除。こちらは、腹腔鏡下手術で、左肺下葉切除。1週間で退院。


80歳を目前に、良く戦ってくれたものだ。

  【勲章ものだな】と、思う。

看護士さんも言っていた。手術室に入るのに、バイバイと手を振って入っていった人も珍しいと😅

こんな最強戦士から、なぜ、私のような、怖がりが産まれたのかが、不思議でならない。


母とは親子なのにソリが合わず、よくケンカをした。                同居していたこともあったが、今は別々に暮らしている。

   反対したが、聞く耳持たずだ

母は、自分はまだ高齢ではないと言い張っていたが、何かあった時、誰かが直ぐに駆けつけてくれるように、
トイレ、浴室、キッチン、居間、全てにブザーか付いている部屋を借りた。

それを押せば、鍵がかかっていても、解錠となり、外から入って来れる。
偶然だったが、隣の部屋には以前職場で一緒だった方が夫婦で住んでいた。

挨拶に伺って、驚いた。こんな偶然って、あるんだなと。

幸いにも、ご主人がいつも部屋に居るとのこと、なんとなく安心した。


美容師さんから電話が入った。

「お婆ちゃんが居ないんですけど…」

「えっ?」と私

散歩に出て居るかもしれないと、少し待ってもらう。

帰ってこない😢

ベランダから中をのぞいてもらったが、洗濯物も取り込んであるよとのこと

この時点で午後4時

携帯を鳴らすも「部屋の中で鳴ってます」と、美容師さん。

あまり待たすのも悪いので、一旦帰ってもらうことにした。
時間を取らせたので、料金をお支払いしたいと言ったが、何もしていないので受け取れません。またご依頼お願いしますと、電話の声(なんていい人なんだ!)

    何かしらの胸騒ぎ

5時半に仕事を終え、転がるように母の部屋へ直行!!

鍵を開けると異臭と共に目に入ったのは・・・

     母が倒れている姿

とっさに駆け寄り、鼻の下に人差し指をあてると、息はある。

「母さん、母さん」と声かけと共に揺り動かすが反応は薄い

主人に電話したが、直ぐには行けないと😭

   多分、この時点で私は、腹をくくっている。

携帯を取り出し、救急車を呼ぶ。

救急車がきて、処置をしている間に、隣の部屋へ母が倒れていたと報告し、救急車でいくので、自分の車を置いていくことに承諾をもらう。

一日おきに一緒に買い物に行っていたのに、2日間、部屋に来れなかったので、最終で母を見たのはいつか?と隣のおじさんに確認すると「昨日の朝は洗濯を干してたと思う」との返事が返ってきた。

   そのまま、母と救急車へ

シートベルトが止められない私😖 救急隊の女性がベルトを留めてくれた。

10分くらいだろうか、病院に到着、母は処置室へ、幸いにも当直のDr.は脳外科医だった

上半身を少し上げてもらっていたため、ずっとこちらを見ている気がした。

    がんばれ最強戦士!!!

看護士さんから、CT撮りますから、サインを下さいと、そして少し待ってて下さいねと指示がある。

待っている間に、息子たちに電話する。

長男は他県の為、様子を見て明日行くと、長女はお母さん車置いて来てるやろうから病院に直行すると言ってくれた。

次男は試合を控えていたので、仕事が終わったら、食事して帰るように指示。

お世話になった美容師さんにも電話する。

再度支払いを願い出たが「そうですかぁ、また良くなられたら髪を綺麗にさせて下さいね」と言ってくれた。


暫くして、Dr.から、話があるのできてくれと呼ばれ、個室へ。

そこには、母のCT写真が▪ ▪ ▪


脳の半分が真っ白に写っていた😞

Dr,から「脳出血です。太い血管が切れていて丸1日たっているので、開頭して出血を抜いても意識が戻る確率は殆んどありません」

「どうしますか?」

返事できずにいると

「私はアメリカにおりましたが、このような状態の患者さんが回復されたのをみたことは、ありません」「日本では、命があるなら開頭して、このまま生かして欲しいと仰いますが、この状態だと治療をしても意識が戻ることはありません」「あなたがどんな選択をされても、誰も責めることはできませんよ」と仰った。

「即答しないといけませんか?」

「はい」とDr.


「このままだと、どれくらい生きていられますか?」

「3日かもしれないし、1ヵ月かも1年かもしれない、それは患者さんの心臓次第です」

「苦しいとか、痛いとかは、ありませんか」

「ありません」

どれくらいたっただろうか


「このまま、手術せずに、栄養点滴だけで」

と、お願いした。

この時点で、まだ誰も病院には来ていなかった。

脳ICUで、お世話になることとなった。

呼び掛けても、揺すっても反応はなく、昏睡状態だ。

ICUには泊まれないので、長女が来て一旦、母の部屋へ

その夜は帰り、朝一番で換気と清掃

お隣にも、「もう、ココに帰って来ることはない」と病状を伝えた。

この時点でも、まだ私に涙はない

2日目朝、出勤前、病院から電話があり、心臓が跳ねた。ICUがいっぱいになってきたので、状態の落ち着いている◯◯さんを一般病棟に移しても良いかとの確認だった。

   驚かせないで欲しい😖

その2日後、早朝、出勤前に病院より

心拍数が落ちてきているので、直ぐきて下さいとの電話が入り、病室へ直行したが、最強戦士は、遠い世界へ旅立ってしまっていた。

  綺麗にお化粧して貰っていた。ホントに綺麗だった。

今思えば、癌手術の後、定期的に通院していたのだが、頭痛が頻繁にあるようだった。鎮痛剤が机の上に置かれていたが、元来、頭痛持ちだったため、直ぐには対処していなかった。                 
「年が開けたら、違う病院に行ってみようね」と相談していたのに。

母さん、ごめんね。約束守れなかった

髪をカットしてオシャレもしたかったね

ごめんね

母が亡くなった朝、虹がでていた。        
私の最強戦士は、虹を渡って向こうの世界へ逝ってしまった。

その後、葬儀やら役所の手続きやらで、泣いている余裕はなかった。  

置き去りにした涙は、3年たった今でも思い出にはできていません。  

文字にして、残しておきたかった自分勝手な文章です。
文字にしている間も、何度か涙が溢れ中断しました。

母の借りていた部屋の方向には、今も行くことができません。

いつになったら、思い出にできるか自分にもわかりません。

 最後まで、お付き合い下さり、ありがとうございました。


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#小説 #ノンフィクション    










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