【若林源三解体新書】#5 ~さん付け『のみ』の理由~
はじめに、誤解のないようにご説明申し上げます。
冷淡で辛辣な文章に見えるかもしれませんが、私は森崎君を嫌いなわけではありません。
石崎君とともに、才能ある者のみでなく頑張る者が夢や活躍の舞台を手にいれることができる、その代表格として描かれているキャラクターであることは充分知っています。
当初は「怪我をした若林くんの代わりのGK」として登場した森崎君ですが、その後は南葛中学、南葛高校サッカー部の正GKとして全国大会を戦い、ジュニアユース、ワールドユース、ついにはオリンピックの日本代表選手として選出されるほどに成長してゆきます。
そんながんばりキーパー森崎君について批判をしたいわけではありません。
ただ、愛するからこそ自分の心に偽らずに『 キャプテン翼 』を読み、キャプテン翼マガジンの感想を記しているだけなのです。子供の頃からとてつもなく愛する世界だからこそ、色々なことに引っ掛かったりモヤモヤしてしまうのです。
ごめんなさい、怒らないでください(_ _)。
でも、怒られても嫌われても、書きます。
☆森崎君の出身小学校が謎
そんな森崎君、出身小学校は当初は不明でした。
若林くんの出身小学校である修哲小だと明確になっている描写も、浦辺君や岸田君のように他の小学校という描写もなかった。
ファンの方々の意見をみる限り「不明だけどもしかしたら水越小あたりでは?」という雰囲気でした。
水越小とは修哲小と練習試合をしたチームの小学校です。
一方で、森崎君はどこの学校か設定がないけど修哲だったら嬉しいな、というような意見もネットで見られました。
これは、原作の描写などは一切考慮せず、単に出身のはっきりしない森崎君も修哲小の仲間だったらいいな、という優しい願望の類いではないかと個人的には思いました。
そして、
このたびキャプテン翼マガジンです。
vol.1及び2です。
この中のスピンオフのストーリーで。
……なんと、
なんとなんと……………!!
森崎君は小学5年時点で修哲FC(修哲小学校のサッカークラブ)の一軍・トップチームであるAチームメンバーであった。
しかも、若林くんたちが優勝した第5回全国少年サッカー大会。出場こそしていないが同行していて、全国優勝の場面にも立ち会っていた。
………という、驚いても驚ききれず夜も眠れなくなる驚愕の事実が判明しました。
原作を連載当初から真剣に読んでいる方であれば、今さら修哲だとされたことだけでも違和感を覚えたのではないでしょうか。
さらに、名門修哲FCのトップチームであるAチームの一員だったとは……。
SGGKスピンオフストーリーが描かれる以前、若林くん達修哲小の小学5年全国制覇の場面を想像した方はそこそこいらっしゃると思います。
しかし、まさかそこに、ベンチメンバーとはいえ森崎君の姿があることまで想像した方は皆無ではないでしょうか。
ちなみにですが、この修哲FCの一軍はAチームとBチームに分かれています。二軍からC~Eチーム。部員の数は全部で約100人。
そこまで分けられるほど人数が多い中、トップチームであるAチーム入りは困難。Aチームは選りすぐりのエリート集団です。
何年生からクラブに加入できるのか不明ですが、通常の小学校の課外クラブ活動は早くて3年生といったところ。
なお、日向小次郎が所属していた明和FCは4年生にならないと入団テストが受けられませんでした。
森崎君は、実は名門修哲FCのメンバーだった。
……… それならば、
こう思うのは私だけではないと信じたい。
名門修哲FC・Aチームのサブキーパー?なのに、全国少年サッカー大会静岡県予選の島田小戦でのあの様子、あのプレイは………!?
そして、全国大会予選での「ボールが怖い」とは…………!???
☆どうしてこうなるの?
森崎君の初出場となる全国少年サッカー大会・静岡県大会の準決勝の一場面。
GKがするべき守備の指示、森崎君はまったく出来ていません。
↑ ↑ ↑ 守備の指示が出せず若林くんに叱られる森崎君
そして、全国大会での初戦である対明和戦では、日向君の弾丸シュートを顔に受けその恐怖心からシュートに反応できなくなるという、GKとして致命的な一場面も見せます。
これは日向君の「キーパーに恐怖心を与え、その後のシュートは誰が打っても決まるようにする」という作戦ではあるのですが……
↑ ↑ ↑ ボールが怖くなってしまい、どんなシュートでも反応できない森崎君
確かに日向君のシュートを顔面にくらったら恐怖ですが、その後の小学4年生タケシの遠方からのシュートすら震えて反応できないとは………。
これが、森崎君が修哲でなく別の小学校で、しかもキーパー経験も浅い子であれば、何の疑問も違和感もないし、むしろ同情、応援します。
リアルによくある話ですが、チーム内でGKをやりたがる子がいないため仕方なく引き受けることに。そんな成り行きで森崎君が所属チームでGKを務めて時期もまだ間もなかった、としたら、島田小戦でも明和戦でもすべてが自然な状況だと思います。
それでも選抜メンバーに選ばれたのは、それなりにキーパーの素質があった事と、がんばりやさんである事を南葛SCの城山監督が見抜いてくれたという理由付けも一応できます。
しかし、森崎君は遅くとも小学5年時に修哲FCにいました。
そして、若林くんから多大なる感銘を受け、「こんなにすごいGKのお手本がいるんですもの、自分は日本で2番目のGKを目指します」と、目をキラキラ輝かせながら若林くんに告げていたのです。
辛辣な言い方かもしれませんが……
だったら森崎君、キミは、そんなことを言いながら若林くんの傍で一体何を見て何を学んでいたの?若林くんからもうちょっと何か学んで身に付いていれば、島田小戦みたいなことにはならないでしょう?
なお、ボールを怖がっていた森崎君は主人公により助けられます。
↑ ↑ ↑ 立ち直るきっかけは翼君のプレイ。
そう、「ボールは友達」の翼君のファイト溢れるプレイと翼君の笑顔で、森崎君はボールが怖い症候群から見事立ち直りました。
これはこれで素敵なエピソードではありますが。
……ちょっとまってくれ。小5の時からお手本となるあの強気なSGGKを崇拝して身近で見ていれば、仮に日向君のシュートでボールが怖くなっても、「いや、憧れの若林さんならこれくらいのことで負けたりしない!俺も負けるもんか!」と少しでも思うのが当然であろうに、この時の森崎君は、若林くんのわの字も考えてなさそうだよねぇ??
と、SGGKスピンオフを読んだ結果、森崎君という子のスキルとメンタルと存在が謎に満ちてモヤモヤするという結果になったわけなのです。
一応、聖母のような広く優しい心を持って、この状況を解説してみます。
……きっと森崎君は優しくてデリケートだから、島田小戦でも若林さんの代わりを急に務めることになって緊張してしまったのよね……明和戦は、あの日向君に顔面を狙われてしまったんですもの、よほどメンタルが強いキーパーでなければ森崎君のようになりますよね……………ドンマイ、森崎君。
まあ、ある本に『GKに向いている子とは、例え顔面にシュートをくらっても、負けずに絶対止めてやるという強いメンタリティを持っているものだ』と書いてありましたが。
☆一貫した「さん付け」の謎
連載当初の小学6年時から、井沢君、滝君、来生君、高杉君の4人の修哲カルテット(以下「修カル」といいます。)は、若林くんを『 キャプテン 』呼びしていました。彼らは、修哲FCのAチームキャプテンとなった若林くんを肩書きで呼んでいたわけです。
これは特段珍しくもなく、他のチームのキャプテンである三杉君だって日向君だって松山君だって、チームメイトからキャプテン呼びをされています。
若林くんは南葛SCが結成されると、そのチームでもキャプテンとなりました。そう、南葛SCというチームの本来のキャプテンは若林くんです。もともと翼君ではないのです。
修カルは若林くんに対し、修哲FCと同じキャプテン呼びを継続。ただし、若林くんの怪我によりキャプテンが翼君に変更されると、キャプテン翼君に遠慮してなのか、小学5年時からの『 若林さん 』呼びに戻りました。
↑ ↑ ↑ キャプテン呼び。全国大会出場決定後、怪我をしている若林さんのお見舞いシーン・森崎君はここにはいない。
↑ ↑ ↑ 『 若林さん 』呼び。キャプテンが翼君になった後の、全国大会へ出発するシーン
なお、スピンオフシリーズの第1話とされている修哲小対南葛小対抗戦の当日のお話の中で、修カルは『 若林さん 』呼びをしていました。逆にジュニアユース編となりドイツに留学した若林くんと3年ぶりに修カルが再会した際は、『 キャプテン 』とつい口にした子がいました。この混在ぶりも実に微笑ましいものです。
この4人に対し、森崎君は一貫して『 若林さん 』と呼んでいます。南葛SCというチームが発足してキャプテン若林くんの時ですら。
↑ ↑ ↑ 『若林さん』
↑ ↑ ↑ 『若林さん』
さらに、画像の掲載はできませんが連載時の週刊少年ジャンプにおいて、『おれたち修哲クインテッドだ!』と名乗る若林くん+修哲カルテットの扉絵がありました。クインテッド、とは「5」という意味です。
こうして見れば、本来は修哲という存在から森崎君の陰も形も欠片もないのです。
だからこそ、森崎君が修哲小だというのはあまりにも納得できない設定となってしまうのです。
森崎君を仲間外れにしたいのではありません。
他校生とした方がストーリーに一貫性が出て自然と受け入れられるし、森崎君のGK経験値にもメンタルに関しても何も突っ込む必要はなく、「がんばれ森崎君!」と心から応援する気持ちが持てるというものです。
ただし、設定変更ではありません。もともと設定がないので後から造った。それが、こうして逐一モヤモヤする結果としかならなかったのです。
そもそも論ですが。本来の森崎君という存在の美徳は、石崎君と同様「まったくの無名の選手だったのに、努力に努力を重ねて夢の舞台に立つことができた」こと。それならば、最初から修哲FCにいるという高いステイタスなど、森崎君には不要だったはずです。
しかしながら、一方で、森崎君を修哲小学校の子にしたところで、今までに描かれた原作の描写と完全に矛盾する点は確かにありません。これが、作者の高橋先生のものすごいところです。
森崎君がどうしても修哲小学校の子だというなら仕方ありません。
そこで、このモヤモヤを完璧に払拭すべく自分で腑に落ちる理由・設定を考えました。それは以下のとおりです。
☆森崎君は小5の夏以降にAチームからBチーム以下に落ちた
修哲カルテットと違い森崎君は、遅くとも小学6年の対抗戦時には修哲FCのBチーム以下にいたのではないでしょうか?それなら全部スッキリ解決するのです。
Aチームでは若林くんがいるので、永遠にベンチのままで実践経験ができないかもしれません。せいぜい、若林くが試合をサボっ……見上さんとの練習を優先して出場しなかった練習試合に出られる程度でしょう。
それならば、少しでも実践経験をつけるために正GKとして活躍できそうなBチーム以下にあえて移ったのかもしれません。
そして、修哲の自分のチームのキャプテンをキャプテン呼びし、Aチームキャプテンの若林さんは『 若林さん 』のままだとしたら、森崎君が若林くんを『 キャプテン 』と呼ぶ描写が今のところ一切無いことも納得できます。
そして、名門修哲FCとはいっても大きな試合や大会にはAチームが出場するため、Bチーム以下の方にはそういう場は縁遠いでしょう。
従って、選抜テストで南葛SCに選抜されたものの、県大会準決勝という大舞台での突然の先発にビビってしまった。
しかも、この試合当日に若林くんの怪我がみんなに公表された様子。
森崎君は心の底で、「若林さんがいれば自分が試合に出ることはないだろう」と油断していたのかもしれません。
森崎君はAチームではないから、Aチームの修カル達と練習予定が異なり、一緒に若林さんのお見舞いに行くことも、最後の翼君対若林くんの対決を修カル達と一緒に見守ることもできなかった。自然と一緒に行動する機会が減ったので、SGGKスピンオフ時のように『 修カル+森崎君 』という場面は減り、原作のコマのように修カル4人が一緒にいて森崎君はそこにいない、という状況が起こっても不思議ではない、ということなのでしょう。
うんうん、そうか、それなら森崎君が修哲小でも、小学5年時Aチームでも、もう謎も違和感もない、OK!
そもそもどうして、Aチームになれたのか!?どうしてでしょうね、もうやめます。
こうして『 森崎君修哲問題 』は、私の中で綺麗にオチをつけたのでした。
(2021.11.17一部書き換え)
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最後までお付き合いくださり、
本当にありがとうございました。
よかったら また遊びにきてください!
…気になって最後まで見ていただけたら私は充分です……ありがとう(*^^*)💙💚💜