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最近の記事

茨城百景一覧表(1966年修正版)

この一覧表は百景についての問い合わせが意外に多いため、昭和41年に茨城県観光課が作成したものである。 ー『茨城百景巡礼』 著:室伏勇 より 茨城百景の選定は1950年ですが恐らくそれらを掲載した一覧表の表記が誤字脱字、説明不足・不明瞭な名称、等問題が多かったために問い合わせが多数あり1966年に茨城県観光課が一部修正を行った一覧表を作成していた事が資料『茨城百景巡礼』で判明。 ネット上で閲覧できる一覧表は1950年版しか見当たらないので(Wikipediaや茨城県HPの物も

    • 茨城百景の資料買うた②

      Web上で調べ物をしていたら茨城百景巡りに続いて新しい茨城百景の資料を発見したので購入しました。 こちらは1980年発売で茨城百景巡りは1956年発行なのであの茨城百景巡りから24年後の巡礼記という事になります。アチィ~ 巡礼に5年費やしたと書いているので正確にはこの本に書かれている情報は70年代後半あたりのモノという事になります。 茨城百景の主催は茨城県と茨城新聞なのですが著者の室伏勇さんは同新聞の記者でありググったらなんと社長まで登り詰めていて丁度自分が百景巡りを始め

      • 茨城百景 水郷牛堀

        茨城百景については→茨城百景Wikipedia 茨城・・・それは魅力度ランキング全国最下位、田んぼしかない、特産品はヤンキー・・・というイメージが一般的ですが(失礼) 湖として全国2位の面積を誇る霞ヶ浦がありモータリゼーション前には霞ヶ浦沿岸や利根川流域は『水郷』の名で観光地として栄えました。 今回の百景は↑の動画の11:10あたりから写る水郷牛堀です。 まず資料を見ると 包含風景は無し!今回はボーナスステージ。しかし見に行くだけではつまらないのでちゃんと牛堀について調

        • 茨城百景 水郷麻生

          茨城百景については→茨城百景Wikipedia これも水郷シリーズです。1億回くらい擦り倒した↓の動画の9:34~9:57&11:40~12:01に出てくるのが麻生です。 この水郷という記録映画で言及されていますがかつて茨城の霞ヶ浦や利根川周辺は各地に名所がありレジャースポットとして栄え水郷と呼ばれていました。大正頃からモータリゼーション前までが全盛期で京浜圏の人達が泊りがけで行くような場所だったようです。しかしインフラの整備と自家用車の普及、所得向上が進み大勢の人が安価に

        茨城百景一覧表(1966年修正版)

          茨城百景の資料を買うた

          現地の人や郷土資料館等で色々質問をしているとたまに県が選定したのなら公式のガイド的な資料はないのかと逆に聞かれる事があります。 あったらこっちが知りてえよ(泣) それで公式ではないのですがガイド的な資料を一つだけ発見しました。ある百景巡りの先人の方の記事で存在を知ったのですが・・・ これ 1956年発行。日立製作所多賀工場内の工場新聞「多賀」で1年5か月かけて連載された百景めぐりの記事を本にまとめた物。百景選定は1950年なので景色が変わったり色々と失われる前の当時の貴

          茨城百景の資料を買うた

          茨城百景 桃浦

          ゾス(ツーブロゴリラ) 今回は茨城百景の桃浦です。 茨城百景については→茨城百景Wikipedia いやぁ~正直資料を見た時、今回は楽勝だな~と思いました。 包含風景2つだけだし今までのは沢山ある上、所在も不明なのばかりでしたからねぇ~。いや楽勝だわちゃっちゃと行ってコンプしたるかと思ってたら結構な曲者でした。 まず最初に石碑の場所がGoogleマップに載っていないパターンでした。理由は後述しますが下調べし始めたのが半年前でその時点では載っておらず百景巡りの先人方の情

          茨城百景 桃浦

          茨城百景 夢の浮島(夢の浮橋?)

          霞ヶ浦は日本で2番目に大きい湖。それだけデカければ琵琶湖のように島とかねーの?と思いますがかつては存在しました。それが浮島。 現在は干拓で地続きになっており島ではありません。 茨城百景に選定された頃は既に南側は干拓され地続きになっておりもう島ではなかった訳ですがまだモータリゼーション前だった事もありここに来訪する観光客は観光地化され始めた大正頃から変わらず主に遊覧船で来ていたようです。 更に背景を言えば今でこそ茨城は魅力度ランキング最下位、何があるの?田んぼしかねーだろ。

          茨城百景 夢の浮島(夢の浮橋?)

          茨城百景 水の里安中

          オッス 茨城百景については茨城百景Wikipedia 水郷については↓ で安中ってどこだよという話ですが美浦村の霞ヶ浦に突き出た半島部分です。今は美浦村ですが百景選定当時(1950年)は安中村という村が存在してました(55年に合併で廃止) 現在はこういう地形ですが 昔はこう!干拓で入江が埋め立てられる前はより霞ヶ浦に突き出た半島でまさに水の里という趣。 で今回も石碑の場所はGoogleマップに載ってるのでさっそく包含風景を下調べしていく。 ①丈六薬師 ↑のワードでグ

          茨城百景 水の里安中

          茨城百景 鹿島砂丘と神之池

          今日ついに数日かけて包含風景までコンプリートしたので記憶が新鮮なうちに。 神栖市ってあるんスよ。サッカーとか鹿島神宮とか工業地帯で有名なアレの南にあります。まぁ自治体は違えどほぼ同じ文化圏ですわ。で昔ですね神栖や鹿嶋にデカい砂丘があったらしいです。 今と全く違います。神之池は鹿島港の開発で約7分の1の大きさに、砂丘も市街地や畑になりほぼ消滅。そうこの百景は石碑しか残ってないパターンです。 しかし聞くところによると石碑すらない場合もあるそうなのでマシかもしれない(何が?)

          茨城百景 鹿島砂丘と神之池

          茨城百景巡り始めました

          趣味のドライブやB級スポット探索や穴場探しをしてると一番行く頻度の高い地元チバラギ周辺で茨城百景の石碑をそこかしこで見かけるんですね。茨城百景とはなんぞやと調べてみると1950年に茨城県と茨城新聞が投票等を通じて選定した100の県内の景勝地や観光名所です。(詳しくはこの記事) で、この茨城百景厄介なのが1950年に選定されたモノなので情報量が圧倒的に少ない上、景色が変化していたり消滅していたりするモノが多々あります。まさにB級スポットあるあるですがフィールドワークや調べ物、

          茨城百景巡り始めました