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茨城百景 桃浦

ゾス(ツーブロゴリラ)

今回は茨城百景の桃浦です。
茨城百景については→茨城百景Wikipedia

いやぁ~正直資料を見た時、今回は楽勝だな~と思いました。

包含風景2つだけだし今までのは沢山ある上、所在も不明なのばかりでしたからねぇ~。いや楽勝だわちゃっちゃと行ってコンプしたるかと思ってたら結構な曲者でした。
まず最初に石碑の場所がGoogleマップに載っていないパターンでした。理由は後述しますが下調べし始めたのが半年前でその時点では載っておらず百景巡りの先人方の情報を参照しました。

で、場所はここ。霞ヶ浦の東岸で茨城空港の南西あたりです。
石碑にピンは立ってませんが一応ストビューがあり存在を確認できます。

そして一つ目の包含風景、桃浦遊園地についてはあっさり、しかもそこそこ情報が出てきました。何故かと言うとこの遊園地、かつてここにあった鹿島鉄道鹿島鉄道線の桃浦駅にほぼ直結の駅近施設だったようです。なので鉄っちゃん達がアップしてる情報が豊富にあり下調べが簡単でした。

そもそも鹿島鉄道鹿島鉄道線とはなんぞやというわけですが、ネット上の早口解説を端的にまとめると1924年~2007年まで存在し常磐線の石岡駅から鎌田までを結んだ鉄道です。

引用元

で、最初は石岡~常陸小川間で開業。1926年に浜駅まで開業。丁度その頃に桃浦駅前に桃浦淡水浴場が完成します。(同じく湖水浴場があった浮島の観光地化も大正頃から)
2007年まで存在した路線なのでYoutube等に鉄っちゃん達がアップした動画がありますが桃浦駅前後は湖畔を走るエモエモ風景でした。現代ならインスタで見ました来ましたのオーバーツーリズムイナゴがジブリジブリエモエモ鳴き声を発しながら殺到してそうです。

引用元
引用元

なので駅前すぐに水泳場があったらしく

現代
1960年頃

こういう位置関係ですね(雑)
でなぜ遊園地と呼ばれていたかは推測ですがこの湖水浴場はプール、貸しボート、出店、その他イベントが開催され、近くの天神山にはバンガローやキャンプ場があったらしいのでこういった湖水浴場に付随する施設全般を指して遊園地と呼称してたのかな?
そしてこの桃浦淡水浴場にはあの与謝野晶子も家族で訪れ歌を残している。現代の女インフルエンサーと同じように最新鋭の観光地に来てエモエモ言ってたわけです。

茨城百景巡礼 著:室伏勇 より ギリギリ選定時と同じ有人駅の頃
絵葉巻 おそらく大正頃

そして他の霞ヶ浦沿岸の湖水浴場と同じく70年前後で水質悪化により閉鎖。湖岸は全て堤防化で景色は消滅!
あとこの桃浦の湖岸から見れる湖畔と筑波山、また夕日の景色が美しかったそうでそれが選定理由っぽいですね。

まぁこれはいいんですヨ。桃浦淡水浴場か桃浦水泳場でググれば沢山Web上に情報があるし関連資料の名前も出てきます。
問題は2つ目の箱根の見晴です。1個目の楽勝だったな笑とか思って下調べを開始したら

マジで何も出てきませんwwwwwww


しいて言えば百景巡りの先人達の記事しか出てきません。
それらの情報を総合して箇条書きにすると
・遊園地の近くにある箱根地先から筑波山を望む見晴である事
・絶好の『見晴台』として箱根見晴の名がある
・箱根は行方市浜の字(あざ)単位の地名らしい(これは安中の馬掛一斗落と同じパターン)
で、先人の皆様方は大体、浜(地名)周辺の湖岸からの景色だろと適当に締めてるパターンが殆どなわけですが見晴なのにそんなわけあるか・・・?(通常見晴とは高台からの眺めを指すし関連資料にも見晴台とある)と思いつつ自分も答えが分からず面倒くさくなりとりあえず箱根は放置して石碑まで夕日を見に行きました。

桃浦の石碑と夕日

石碑のあたりは湖水浴場の砂浜だったワケですが完全に岸壁になってます。そして石碑の横には結構広い駐車スペース。

桃浦からの筑波山+霞ヶ浦+夕日

おぉ~これが桃浦名物の夕日ですかと感心した所で

そこから箱根の見晴は半年放置します


~終NHK~


しかし半年後、唐突にやる気を出し再び調べ始めます。
とりあえず一番核心に近いと思われる情報を出していた先人の方の記事を見返します。
ん?箱根氏・・・?見晴・・・まさか・・・

引用元

こ、これだぁ~~~。行方市には昔、箱根氏という小領主が居て浜(地名)の高台に館を構えてたらしい。箱根の見晴って絶対この高台やんけ~~~
しかし先ほどのブログに載っている資料(茨城百景めぐり)によると『遊園地の近く』と書かれています。遊園地からここは約5キロもある・・・が、桃浦の箱根問題を放置して半年の間に学んだことなのですが茨城百景全般、包含風景間の距離はかなりあるモノばかりです。
百景選定当時(1950年)はモータリゼーション前で公共交通機関か徒歩・チャリンコで移動するのが普通だった筈なんですよ?現代人の感覚からすると5キロ徒歩は結構常軌を逸している距離だと思いますが多分当時の人からすると5キロは近かったんでしょう。
まぁ昔の日本人は関東から歩いて伊勢神宮とか行ってますからね。50m先のコンビニまで車で移動する現代日本人とは気合が違います。

そしてGoogleマップを見てみると丁度この高台で見晴らせそうな場所にはROYAL INというドライブインがあります。ここが目印ですねー。左下の集落が浜でROYAL INの右上あたりが箱根の館だった。

んで安中の記事でも言及してますが70年代に入るまで日本の山や丘は結構人の手が入っていて今より草木がスッキリしていました。なので当時なら見晴らせたはず。

1960年頃

やっぱりハゲとるやんけ!国道から畑で木もありません。
これは現地調査するしかない!というわけで行きました。

結論から言うと地方の衰退を感じました。
まず目に入ったのがレストランの廃墟です。自販機だけは動いてますがほかは全部廃墟状態です。↑の写真はどうやら展望台跡っぽいが草木ボーボーで前が見えねえよ状態の場所。木々の隙間からわずかに湖畔が見えます!これぜってー展望台だ。
しかしこのドライブインの敷地、最早まともに管理されてないらしくどこ行っても草木ボーボーで中々見晴らせる所が見つからない・・・
あと現地に行って分かったのがGoogleマップにもうっすら写っている小道の正体です。

黄色線で強調した線に細い道があって高台の麓の集落に繋がっています。多分古い道だなと思い後で調べたら

明治頃の地図にも載ってるようなかなり古い道でした。旧道から繋がっているので新道が出来る前、百景選定前もこの道から高台の上にアクセスできた筈。
ともかくこの時は天気も悪く筑波山もガスって見えないので帰りました。
そして帰宅後、ストビューの履歴を見てみると

2012年

あぁやっぱり展望台だ。真正面に霞ヶ浦に浮かぶような筑波山がドンと見えたようです。

2012年

更に今は廃墟になったレストラン(麺s,はうす玉造店)からも霞ヶ浦と筑波山を見れたっぽい。
2018年あたりにはレストランは閉業し隣のほっともっとも潰れてコロナ後はもうほぼ管理されてない状態になったのか急速に廃墟化している・・・
地方あるあるですが管理者が高齢化して放置だとか東日本大震災やコロナ渦をきっかけにまともに管理されなくなって廃墟化みたいなパターンは今まで何度も見てきました。これもそういうパターンなんかな・・・

ハァ~(クソデカため息)


俺も箱根の見晴堪能しながらラーメン食いたかったんだが?
DRIVE INして缶コーヒー飲みながら見晴してChill(苦笑)(失笑)したかったんだが?(涙)
一応Googleマップのレビューで当時の景色の写真を見れます。

引用元

茨城百景 桃浦 ~完~


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