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茨城百景の資料を買うた

現地の人や郷土資料館等で色々質問をしているとたまに県が選定したのなら公式のガイド的な資料はないのかと逆に聞かれる事があります。

あったらこっちが知りてえよ(泣)


それで公式ではないのですがガイド的な資料を一つだけ発見しました。ある百景巡りの先人の方の記事で存在を知ったのですが・・・

茨城百景めぐり 著:鈴木彰

これ
1956年発行。日立製作所多賀工場内の工場新聞「多賀」で1年5か月かけて連載された百景めぐりの記事を本にまとめた物。百景選定は1950年なので景色が変わったり色々と失われる前の当時の貴重な情報が書いてあります。
本の末尾には非売品と書いてあり恐らく当時は工場の人向けの物だったんでしょうけど長い年月が経ち古本として売られていたので普通に買えました。
しかも注文する時、状態の良い物が在庫切れになってボロかったり書き込みがあって状態の悪い物ならありますよーというやり取りがあったのですがちょっと驚いた。当たり前だけど百景を巡った先人が案外いたんだなーと。茨城百景自体かなりドマイナーな物ですからね。

状態

自分が買ったのも何度も読み古されている感じ。ちなみに背表紙には恐らく前の持ち主の方のと思われる氏名と住所が書かれていた・・・
内容としては活字が基本。所々少しだけ地図や写真(白黒)があるという感じ。活字情報も場所によっては多かったり少なかったりといった所。

前書きからしてもう面白いです。

第三式の所とか昔も今と変わらない観光客がいたんだな~とか準備不足で再訪してしまう所とか俺もやっちゃうな~とか思いました。昔のほうが再訪のコストと時間が桁違いでしょうけど・・・

前書きを要約すると著者の鈴木彰さんは日立が地元の水戸学派の郷土史家であり、この本は百景を網羅した初めての本らしい。日立の工場の新聞で連載したのは地元繋がりだったのかな?

そして更にテキトーにパラパラ見ていくと色々と今まで疑問に思っていた事がちょっとわかってきます。特にこれ。

鹿島砂丘の項。当たり前のように「40分歩く」とか書いてある。

桃浦の箱根見晴の時にテキトーな考察をしてますが当たっていたようです。やっぱ昔の日本人って滅茶苦茶健脚ですね。
2キロ半で砂丘に到着~神之池まで5キロとか当たり前の様に書いてあるんで桃浦の遊園地(水泳場)から箱根見晴間が5キロもあるのに『遊園地の近く』と表記する理由が分かりました(白目)
モータリゼーション前で自家用車なんてあまり普及してない時代にしては包含風景間の距離がおかしいだろと思ってたんですがこのくらいの距離を歩くのは普通だったんでしょうね。あと百景の中にはハイキングコースも入っているので風光明媚な場所を歩くのはある意味レジャーだったという事情もあるのかな?

そして今まで巡った百景で不明だったモノに水の里安中の不動浦があるのですがそれを調べてみようとしたら

嘘だよな?

ここだけ包含風景の説明とか一切ないwwwwwwwwwwwwww
なんでちゃんと書かなかった?困っちゃうんだが?と筆者を問い詰めたいですが多分天寿を全うしてそう。

あと漢字の誤字が結構ある。浮島の館跡の時もそうでしたがやはり当時の資料というのはそういうモノなのかもしれない。

ともかく百景巡りをする上では必須の資料と思われるのでこれでワオがNote上で勝手にカラー写真付き令和最新版茨城百景めぐり作っていきます。

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