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透明選挙

令和の日本では科学技術は瞬く間に進歩し、インターネットを利用する人は国内でおよそ80%を占めるという。(総務省 第2節 ICTサービスの利用動向)現代の日本人にとってインターネットは必要不可欠な存在となった。

ここでよく議論になるのは、インターネット投票の実現である。このインターネット投票は簡単に言えば、「いつどこにいても投票することができる」という夢のような制度である。読者の皆様の中にも考えたことがある人がいると思う。早くインターネット投票を実現して、誰でも簡単に投票に行けるようにする制度が必要だ!と聞くと確かに至極まっとうな意見に聞こえるかもしれない。だがちょっと待ってほしい。

今年(令和二年)、米国で大統領選挙が行われた。米国大統領は世界で一番の権利力者ともいわれるほど大きな権力を持っていて、その影響は全世界に及ぶことは言うまでもない。その米国大統領選挙では、現状の選挙制度に加え、「郵便投票」という自身の票をポストに入れて投票をすることができる制度が存在した。この一見便利なこの制度が仇となり、選挙戦ではトランプ大統領陣営が不正選挙の名のもとにいくつかの州で訴訟を起こした。その内容は、郵便投票でトランプ大統領に投票した票が廃棄されていた。あるいは票を読み込む機械が不正に使用され、バイデン氏にカウントされている。というものであった。

私がこの選挙を見て感じたのはまさにインターネット投票の卒爾さである。これとつなげるのは論理の飛躍だと思うかもしれないが、内容は非常に酷似している。

考えても見てほしい。このインターネット投票は仮に私たちがある候補者、あるいは政党に投票したとしてもその票が本当に投票通りにカウントされているか可視化することができないのである。こう言うと、普段の選挙だって投票した後どうなるかは見えないじゃないか!という意見が散見される。こういう人間は本当に日本の現状の選挙制度を理解しているのか甚だ疑問である。

日本の選挙制度はまさにアナログそのもの。開票作業の際は役所の人間はその部屋から出ることすら許されず、全て手作業で1票ずつ開票していくのである。その間も第三者による監査が行われており、不正はまず不可能である。さらに言えば、一部を除いて不正選挙を疑う人間がおらず、99%の国民はその選挙結果に少なからず納得している。
(とある政党の応援団は毎選挙で不正選挙を訴えているがそれは国民の1%にも及ばない。)
この99%が納得しているという状況こそが民主主義的な手続きの上に成り立つ政治その物である。今回の米大統領選挙では不正の有無を除いても、約半数の国民がその選挙結果に納得しておらず、国民の分断はもはや必至である。

インターネット投票が実現すればいくら完璧なセキュリティの上に徹底された実施であっても、本当に99%以上の国民が納得する結果となるかと言えば違う。つまり、国民の信任を得られていない政府が成立し、国民主権の原則は破られる。それはこれまで人間が何千年もの歴史を踏まえて築き上げた国民国家を否定、崩壊させる一端となるだろう。何でもかんでも便利になれば良い訳では無い。そもそも特に政治に興味もない人間が、ある意味候補者の人気投票的な票を投じることは意味をなさない。選挙はこの日本の形が最も優れておりこれ以上ないものである。