ちゃいろの話
12歳でちゃいろがいなくなって今日で3年。
調子が悪くなってあっという間にあっちへ行ってしまったちゃいろは、
本当に本当にかわいいねこだった。
ふわふわの毛並みにぽよぽよでふにゃふにゃの身体で、あとから来た弟分が正反対のマッチョだったせいで通称「ちゃいろの小鳥」と呼ばれるほどエアリーだった。
あんなに大好きで大切にしていたはずなのに、たった1週間の闘病生活で向こうへ行かせてしまって、あの時こうしていたらとかもっとこうしていたらとか今もそんなことばかり考えてしまう。
考えたところでちゃいろは戻ってこないのだけれど。
かわいかったなあ。
いい子だったなあ。
緑のビニール袋をかぶってニヤニヤしたりして。
ほんとに天使みたいにかわいかった。
いなくなってからもたまに、いいこだったよねえ、と家族とちゃいろの話をする。
その時はいつも、ほんとにかわいかったねえ、と思い出の中のちゃいろをふたりで愛でていた。
先日。
わたしの部屋にある壁一面の本棚の一段を整理して、なんちゃってキャットタワーにすることにした。
リビングにあった可動式キャットタワーをこっちに持ってきて本棚へ無理なく渡れるようにして、可動式キャットタワーがあったところにわたしの部屋から違う棚を持っていってリビングのケージの屋上にも上がれるようにして、と、ドタドタと大模様替えとなった。
最初に気がついたのは、本棚の本を整理した時だった。
ぎゅうぎゅうに詰め込んであった本をどかしてみたら壁にしっかりと跡が残っていた。
思わず、うははははと笑ってしまった。
生前、ちゃいろは弟分が苦手で、10年一緒に過ごしたのにねこ団子は一度もなかった。それでもそれなりになんとか2ひきで過ごしてきて喧嘩などは一切なかったけど、やっぱりストレスは大きく、それがシッコとなってほとばしり出ていた。
粗相、ではなく、完全にわざとやっている「マーキング」タイプのシッコ。
マーキングというのは猫が自分の縄張りを示すためにシッコで匂いづけをすることだ。未去勢の男子猫がやることは知られているが、去勢済みのねこもストレスでたまにすることがある。
マーキングなので通常のシッコスタイルとは違い(通常、ねこは男子でも座った状態でシッコをしますよ)立った状態でする。立った状態で真後ろにビシュッと飛ばすのだ。
最初は悩んだ。
まさかこんなところでシッコするなんて、とびっくりした。
トイレを増やしたり(2ぴきなのに結局10コまで増殖した)もしたけど無駄なことだった。
そこまでストレスだなんてほんとにごめんね、と申し訳なく思った。それは亡くなった今もずっと思っているけども。
でもねこにとってシッコが出ないことは即生命に関わる重大事項だ。
出ないより出るにこしたこたぁない。
シッコなんて拭きゃいいんだし、されそうな壁には前もってトイレシートを貼ればいい。叱ったところでねこなんて聞きゃしない。
やれやれ。やりたきゃどんどんやれ。飛ばせ飛ばせ。
シッコあってのちゃいろだ。
……そうだった。
ちゃいろといえばシッコだった。
いなくなってしまって、なんだかとにかく、いいこだったかわいかった天使だった、なんてイメージになってしまっていたが、そうだったあいつはシッコ太郎だった。
ここまで垂れてたか〜…。
ちなみにうちは自ら壁をペンキ塗りしたので、丁寧に拭いたところでどうせ跡は残る。
とは言え、だな。
ブシャッと壁に当たったところは拭いたものの、棚をどかしてまでは拭かなかったし、まさかそんな下まで垂れているとは思いもしなかった。
くっそ、あんにゃろ。
シッコ垂れめ。
あっちにもこっちにも、シッコの跡がある。
ったくも〜〜〜!!!
わたしは俗に言う「虹の橋」のお話がきらいだ。
虹の橋なんかで待ってないで、さっさと戻ってくればいい。
でも戻ってくるまで時間がかかるなら、
それまではこうして思い出話で笑うことにする。
シッコ跡も残してくれたことだし、ネタには不自由しないから。
どんだけシッコをされてても、わたしはちゃいろが大好きだった。
シッコなんてどんだけしてもいいから戻ってきてほしい。
そんなの無理なのもわかってる。
でも、たまにシッコ跡見て泣くくらいはいいよね。
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