それでもバスを運転したくなる
転職活動を始めて、今の職以外に何が出来るか、何をしたいかを悩みに悩んだ。
そしたら、何をしたいかだけ、明確になってしまった。
路線バス運転士になりたい。
困った。
どのように楽でないか、よく見て知っているから。
不規則勤務、最大13日連勤、勤務から次の勤務までの間の時間は最短8時間。
人の命を預かっているのに給料は安い。
客から文句を言われ、会社から圧をかけられ。
会社にもよるが、こんな感じ。
(……じゃないところもあると思うが、実態やいかに)
それでもいつも眠気と闘いながら、プロ意識で安全運転、乗客へのおもてなしをしてくれる運転士さん達の姿を見ているから。
たまに乗客からもらう「ありがとう」に支えられて、やりがいで頑張っている運転士さん達の姿を見ているから。
体験したことがないからどれほど大変かなんて体感的には知る由もないけれど、非常に大変だということはわかる。
だからずっと、職業にはしないぞと念じながら生きてきた。けれど。
いざ転職活動という段になって「自分は何にでもなれる!」という状況を就活以来に感じてしまうと……
バス運転士になりたい。
(こんなこと言う人間、絶滅危惧種に違いない。バス業界、利益が上がっている路線すら人手不足で減便してしまうくらいには人手不足だから)
ただ、適性としてなれるかどうか以前に、問題がある。
自分が普通にバス運転士になっても、憧れの人達と同じ制服は着れないこと。
実は就活の時にバス運転士を断念したというのは、そういう理由もある。
生物学的に女性に分類される自分は、ただその分類にあるという理由だけで別の制服を着せられてしまうのだ。
どれだけ頑張って夢を勝ち取ったとしても。
子ども向けのバスのイベントで子どもたちが子ども用につくられた制服を着て楽しんでいるのを見て、体感1時間くらい棒立ちで絶望を噛み締めていたこともある。
「子ども達は何の造作もなく着れているこの服を、自分は仮にこの職に就いたとしても着れないのか」と。
それでも、やりたい。
あの時は断念したけれど、今はそう思う。
いろんな親しい友人や知人が、なぜかこちらから話を振らなくても言ってくれる。
「ずんばは普通にバス乗ってるイメージができる」
「夢を見たのか妄想だったのか、たまたま乗ったバスがずんばのバスで、降りる時にいつも通りお礼を言ったら気づくっていうことがあって、普通に自然にやってるなと思った」
そんなこといわないでよ、やりたくなるから。
と以前なら思っていたところだが、今や「そんなこと言われなくてもやりたくなる」のである。
どうしようもないことだ。
出来れば、自分の望み通り、その友人知人の全員が見ているイメージの通り、男性用制服で。などということまで考えが及んでしまう。
路線バスに限定するのにも理由がある。
車両、運転士さんが醸す空気、運転士さんの運転の仕方で、車両の中の雰囲気が変わる。
違うバックボーンを持った人間が、たまたまその場に居合わせて、起こるドラマがある。
それが、好きだから。
自分だったらどうする?と思いをめぐらせながら乗客として路線バスに乗っていることもままあるのだ。
どんな空気をつくれるか、どんな境地を目指せるか。気づくと考え始めている。
一度自分に素直になってしまえば、気持ちはもう止められないらしい。
結果的に夢になってもいい。
だからこの場でくらい、語らせてくれ。
自分は、路線バス運転士になりたい。
現状、自分の生き様や思考を晒しているだけなので全記事無料です。生き様や思考に自ら価値はつけないという意志の表れ。 でも、もし記事に価値を感じていただけたなら、スキかサポートをいただけるとモチベーションがめちゃくちゃアップします。体か心か頭の栄養にしますヾ(*´∀`*)ノ