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サンドバッグにされる属性、女性

自分のことを女性と思いたくはないけれど、名前は女性だし生まれ持った体も女性である。

不特定多数の人と関わる接客を伴う仕事をしていると、そういうことを嫌というほど自覚せざるを得ない。
客から「強面の男性なら言われそうもないことを自分が言われる場面」が多すぎるのである。

後乗り前降りの路線バスを運転するバス運転士の俺。
元々は優しい接客をして車内を温かなほんわかとした空気にできる運転士になることを夢みて路線バス運転士になった。バス好きになってから知り合った何人かの素敵な路線バス運転士の方々の仕事を見て憧れたことがきっかけだ。

しかし現実は思い描く通りにはいかなかった。運転士として独り立ちをし半年ほどで思い描いた車内空間を再現できるようになった時、事件は起こった。
始発バス停を発車して40mほど進んだところだろうか。前からおじいさんが駆けてきて、バスを止めた。そして外からバスを叩き「開けろ乗せろ」と連呼している。
外マイクで、バス停でお待ちいただき次のバスをご利用くださいとご案内した。そのおじいさんのことを、バス停と呼ぶにはあまりにもバス停からかけ離れた場所で乗せる訳にはいかないと判断した。まして激高されている状態。迂闊に扉を開けて乗ってもらう訳にはいかない。
やむなく警察のお世話になることになったが、これは自分の見た目のせいだと思った。例えば大柄でサングラスをかけたおっさん運転士だったらどうだろう。おじいさんは俺にするのと同じことをしただろうか?

この出来事があってから、接客は必ずしも優しくあれば良いものではないことを学んだ。

この後も「やさしい運転士」である局面でそれにつけ込まれて大声で理不尽なことを怒鳴るような乗客が何度か現れ、そのせいでバス停から数分ほど動けなくなりバスが遅れていくという出来事を経験した。
逆に「やさしい運転士」であることを褒められたことは無い。男性運転士にはお褒めが来ている内容と同じことをしていても“女性の運転士”だから“女性らしく優しい”のは当然と認識されているのだろう。
しかもその優しさがかえって車内のお客様の時間を奪ってしまうことがままあると認識した自分は、ある程度の冷たさをはらんだ接客を心がけるようになった。

乗客と一定の距離を取る“やや冷たいアナウンス”を研究し、ここでなら大丈夫と判断できる場面でしかやさしさは出さない。常に冷たさと温かさの混ぜ具合を意識し、車内の空気感をチューニングするようになった。
また、注意すべきことは注意するようになった。言わないとナメられる。言うことは言うタイプの人間だと乗客に認識してもらうことで、大人しい運転士を狙う乗客から理不尽に絡まれるトラブルを減らそうとした。
なるべく男性と思われるようにアナウンスの声や立居振舞も身につけた。これは自分の性自認によるものが大きいが、運転士を女性とみなすだけで高圧的な態度をとる人から身を守り運行を守るためのものでもある。その点、車内名札が法でフルネームを記載せねばならないため、中扉からバスに乗った乗客がまずフルネームを見てしまった場合にほぼ100%若い女性だと認識されてしまうのは痛い。いろいろな意味で不快で怖い。
もはや、男らしさに縋らないと男でないとみなされるにとどまらず女性とみなされる構図にも疲れた。この話はまた稿を改めて書くかもしれないし書かないかもしれない。

しかし、当然ここまでやると乗客によって好みの分かれるバスになる。ルールやマナー・モラルを守って乗ってくれる乗客にはとても好いてもらえることもあるが、嫌われる乗客にはとことん嫌われて、面と向かってでも電話でも問い合わせフォームでも、いくらでも苦情・ご意見といった類のものが入ってしまう。

しかしこの苦情・ご意見というものも中身が多様で、一部は危険なことを乗客がした時に言い過ぎるなど自分の非を自覚したものもある。
しかし、理不尽なものが多いと感じる。平たく言えば「自分がイカついおじさん運転士だったら言われてないよね?」と思うものが多い。つまり、見下され、サンドバッグにできる相手だと思われて、イライラをぶつける格好の相手にされているということだ。
見下されるというのは、バス運転士という職業柄もあるが、そこに女性属性が加わるとダブルで見下される。さらに若さという要素が加わるとトリプルで見下される。安全上注意したことでも「感情的」「ヒステリック」と言われ、そう言ってくる人の中には走行が速め(もちろん規定の範囲内)であるだけで「荒くて怖い」「身の危険を感じた」と言うのである。なお俺の運転は、何人もの有識者から、危険を感じる運転と言われたことは無いどころか快適だったと言ってもらえている。(一時期だけ、クセの強い担当車を貰い操り方に慣れるまでは荒い走行になっていたことは否めないし、自分ではそう上手くはないとは思っているのだが。)

もちろん反省すべき点は反省するが、その上で、社会にジェンダーフリーの感覚が浸透してくれなければにっちもさっちも行きようがないという結論しか出ない事案もいくらかあった。

まずもって、苦情・ご意見がやたらに入ることについて、自分が“女性らしからぬ女性”とみなされるからということは考慮に入れた方がいい気がしている。先のトリプルの見下し要素をコンプリートしていても、仮に“女性らしい女性”であり人々が思い描く“女性運転士”像を体現していれば、乗客の神経が逆なでされることはないはずだ。
しかし“女性らしからぬ女性”運転士の存在は、第一に人を見る時にまず性別を知りたがる層に対して、性別が明瞭でない不安感を与える。男性ボイスっぽいアナウンスに男性制服、なのに名前は女性名な俺の存在は、一部の層には存在だけである種の脅威なのだろう。様々な乗客の反応を見ていてそう思う。そんな俺に何としてでも“女性らしい女性”像を見出したくて、弱い存在と決め込むべく、高圧的な態度で弱らせようとか弱点を探し誇張した内容のご意見フォームを会社に送り貶めようとかするのではないか。
穿った仮説に聞こえるかもしれないが、まるで的外れでもないだろう。

会社はこれを考慮に入れず、乗客の神経を逆撫でする行き過ぎたアナウンスや注意喚起が悪いと言う。でも存在だけで既に神経を逆撫でしているのだとしたら、これ以上どうしろと言うのだろう。
それに、初めから信号待ちなどで穏やかにお願いのアナウンスをしているにも関わらず聞き入れてもらえなかった場合、聞こえる声量で言えば自ずと強めに言うことになる。突然怒鳴ればもちろん問題だが、段階を踏んでいるのに行き過ぎているとはどういうことなのか。この段階を踏んでアナウンスをする運転士が他にもいることは様々なバスに乗っていれば分かる。でも自分だけが大きく取り沙汰される様子なのは、存在で神経を逆撫でしておいて、その上でこの段階を踏むからだろうか。

少し前、俺のバスについて良くない電話を入れてきたおじさんがいた。
おじさんは本題に関係ないのに「あの運転士、男かと思ってたけど女か」と聞き、電話対応をした人は「はい、女性の運転士です」と答えてしまった。
人を見る時に性別を知りたがる層に、運転士の業務に何ら関係の無い性別という情報を渡してしまったことには大きな問題がある。なぜか。まず、おじさんに運転士が女性であると教えることの危険性を考慮していないから。これが後に性暴力を振るわれることなどに繋がったら会社はどうしてくれるのだろう。そして、性別はプライバシーという認識がないから。この認識自体はまだ世間に浸透しているとは言い難いが、必要のない場面で体の性とか戸籍の性とか性自認とかを教えていると考えれば、なんでそんなプライベートなことを教えるんだ!とならないだろうか。まして俺、女性じゃないし。性別をオープンにはしてるから、百歩譲って、言うなら正確に「生物学上は女性です」などと言ってもらわないと困る。

所長に、今後どの運転士についての性別を聞かれたとしてもこのようなことがないように所内に周知してほしいとお願いしたが、まるで手応えがなかった。なんなら「お客さんの怒りを収めるために頑張ったことだから認めたって」と言われ「じゃあ電話番号教えろと言われたら怒りを収めるために教えるんですか?」と聞いたらそれは無いと言い切った。電話番号も性別も立派な個人情報だろうに。
おそらく所内の意識改革が必要という話には一切捉えられず、一個人の怒りと捉えられ、消火活動をすべく俺をたしなめるのみで終わったのだろう。運転士を最大限守ってくれる大変良い所長なのだが、マイノリティ(ここでは女性・性的少数者)の人間から見えている世界が自分が見ている世界とは違うという事実には思いもよらない様子だ。

会社がこの調子であり、まして女性運転士を「女性らしさを生かせる」と募集してしまうくらいであるから、俺が仕事中に置かれている世界への理解など到底無理なのだろう。何度それとなく少しずつ言ってみても駄目だった。(だから理解ある社員がこれを読んでくれることを願っている。)

会社も今後本当の意味での味方にはなってくれることはないだろう。女性社員なら味方についてくれるのかもしれず副所長が頼れる女性なのはとてつもなく心強いのだが、もっと上の重役は男性ばかりである。
車内では優しくしても厳しくしてもサンドバッグにされるだけ。優しさと厳しさ、温かさと冷たさの塩梅をずっと大きな部分も変えつつその場ごとの空気も見つつチューニングし続けてきたが、わりと穏やかに進められていた運行にさえも苦情が入ったことを知った昨日、自分の性別を変えない限りチューニングが合う点などどこにもないのではないかという考えがついに脳裏をかすめてしまった。

もう、わりと限界である。


現状、自分の生き様や思考を晒しているだけなので全記事無料です。生き様や思考に自ら価値はつけないという意志の表れ。 でも、もし記事に価値を感じていただけたなら、スキかサポートをいただけるとモチベーションがめちゃくちゃアップします。体か心か頭の栄養にしますヾ(*´∀`*)ノ