さて、今日でフリーランスになって丸4年経ちました。
僕はフリーランスWeb広告ライターとして活動しています。
2022年10月29日で、フリーランス丸4年になりました。5年も頑張ります。
僕がnoteやってること絶対知らないと思いますが、いつも僕に仕事をくれる皆さん本当にありがとうございます。おかげさまで生きてます。
さて、なんかあっという間に4年すぎていました。そのほとんどがコロナ。
フリーランスという今の働き方ってどうなんだろう?
と、改めて考えてみました。
終身雇用が崩壊したりと、ハチャメチャが押し寄せてくる日本でこれからもフリーランスって増えていきそうですね。
今回は僕のリアルを綴ってみたいと思います。
✍️4年で色々あった
まだ4年か、もう4年か。なんか複雑な気持ちです。僕は転職歴がめっちゃ多いんですが、最長で続いた会社で3年でした。
この4年だけでも振り返ってみれば色々ありました。
初ZOOM営業
独立して自分で営業。いろんなところに自分のポートフォリオを送りました。
その中の一社が「ZOOMでお話しを聞かせてください」とのこと。嬉しいと同時に、めちゃくちゃ緊張しました。
うまくやれるかな〜なんて不安の中、横浜のヨットハーバーに行ったことを覚えてます。
そこにはたくさんの船が並んでます。小さい漁船から、めっちゃでかい船まで。
と思ったときに、数万円の仕事をとれるかどうかで悩んでる自分がアホらしく思えたんですよね。
横浜だけでこんだけ金持ちがいるのに、小銭を狙ってるアリが緊張したってしょうがない!!
そんな気持ちでZOOMに臨みました。
その中で、仕事の話になり…
もちろん、結果は撃沈。
数日後にきた解答は「その値段では高い、というか記事のレベルも低い」
いや…あんためっちゃ褒めてくれてたやん!!!
これが僕のフリーランスの洗礼でした。今覚えば全てがアホすぎる…相場も知らないのでボリすぎましたね。
というか、打ち合わせのとき褒めてくれたのにあとから罵倒してくるのやめて?とは思いました。
でも、この経験が話が盛り上がったから気にいられてるわけではないことを学ばせてくれました。
今ではあの担当者に感謝してます!2度と関わりたくないけど。
💣全仕事を失い旅行へ
割と順調に見えていましたが、2020年に全ての仕事がポーンと吹き飛びました。コロナの影響を受けた頃ですね。
もちろん、生活するほど収益は得られませんでした。今考えれば、頑張るベクトル違うやんって思えるんですけど当時は本気で頑張ってましたね。
しかも、この2020年は結婚10年目の年。
北海道旅行を嫁とずっと前から計画してたんです。
僕の仕事が全部吹き飛んでることを嫁は知りません。とても言えませんでした。
言ったら北海道旅行までなくなってしまう気がして。
でも、函館についたときに思いました。
「今だったら誰からも連絡こないじゃねえか!!ラッキー!!!」
仕事がないことは不幸ではない、旅行中に仕事の連絡こないなんて最高じゃねえかと。仕事のことは帰って考えればいい、今考えても何も変わらん。
そう切り替えて北海道旅行はめちゃくちゃ楽しみました。本当に楽しかったです。
僕を救ってくれた日本を好きになる年でもありました。
この経験のおかげで学んだこと「なんとかなる」です。
ほんと、これに尽きる。
不安でメニエル疑いに
時期は忘れてしまったんですが、仕事の不安でメニエル病疑いと診断されたことがありました。
電車のブレーキ音がうるさすぎて乗ってられなかったり、歩いてるだけで酔ってしまうくらいの状態でした。
僕はよく薬を飲み忘れるタイプなので、当時もらった薬も大量に余ってるんですが今は元気です。
当時、どうやって治したのか全く覚えてないですが多分「どうにかなる!もうどうでもいいわ!」と思ってゆっくり休んでたんだと思います。
僕の人生でこういうシーンって割とあるんですよね。人生投げ出すと、なぜ元に戻る現象。
なので、どうでもいいわ!って思ったら目の前のPCとかスマホとか全部ぶっ壊してみるのもいいかもしれないですね。人は殴らないようにね。
自己肯定感を削り削られまくる
フリーランスになって、過去最高に自己肯定感を失いました。
正直、これは生涯の課題だと思っています。お客さんや相手がいる以上、しょうがないことかもしれないですけどね。
自分が良かれと思ってやったことを、自分より決裁権がある人が否定する。
自分の仕事の領域に人が口出してくる
でも、昔は本当に苦しみました。今では少しは耐性がついたかも。
はじめて月50万円の収入を超える
ここまで悪いことしか書いてないので、いいことも書かないと!
初めて50万円の月収を超えたのもフリーランスになってからでした。その月はめっちゃ忙しかったですが、金は全てを癒す。金最高。
会社員ではこういった経験は1回もありませんでした。
九州を何日も走り回って、手当もなく、月13万の手取り。そんな人生を送ってきた僕には50万という金額はすごく嬉しかったです。
もちろん、このときはラッキーパンチで他の月は全然低かったです。
✍️フリーランスの僕の収入と日常
フリーランスとして生きた来た僕。
今年はなんとかかんとか、月60万を超える月もちょいちょい出てきました。ものすごくありがたいことです。
会社員時代は手取り13万も経験してますし、1日100本売れる記事を書いても20万程度しかもらえませんでした。
さらに、イヤなお局様に付き合わされてストレスマックスでしたが、フリーランスになってそれもなくなり快適です。
家族との時間も増えました。
朝起きて抱っこして、昼間抱っこして、夕方ご飯あげて、夜に遊ぶ。
クソみたいな上司と過ごすより、大事な家族とすごす。
会社員時代に僕ができなかったことです。
本当に上司との時間無駄だった。
「あのクソやろう、今何やってんだ」くらいしか思わないんですよね。
(あくまでも僕が良い上司に巡り合わなかったという話)
✍️今年ほどフリーランスという生き方に感謝した年はない
2022年。この最悪な年を僕は一生忘れないでしょう。
壮絶な闘病の末に、癌で父が亡くなりました。本当に地獄でした。というか、今が地獄の中。
でも、フリーランスという働き方だったからこそ親父の闘病に僕も寄り添うことができました。
癌ってめちゃくちゃ怖いし、家族を失う苦しみがここまで重いものだとは思いませんでした。
父を失った今の世界は僕にとって地獄で、母ちゃんにとってはもっと地獄。
そんな話はこちらに詳しくまとめているので、興味がある方見ていただけると嬉しいです。
✍️今後の展望
さぁ、5年目がはじまるぞ!!
今後どうしていくか、この選択はすごく重要です。僕が選ぶのは苦しい道です。
ここまでフリーランスして生きて来た僕の結論は、自分という商品を持ってない人間は死ぬということです。
一見それでもいいじゃないかって思うかもしれません。
でも、僕はお客さんに聞いたことがあります。
「たとえば僕が60歳のおっさんだったら仕事依頼してくれましたか?」
年齢が上がるほどに仕事を受けるハードルは確実に高くなる。雑用をさせるには申し訳ない、でも大きい仕事は任せられない、こんな状態になるからです。
だからこそ、自分自身を商品することが重要だと感じました。YouTubeを見れば一番わかりやすいですね。
僕がnoteを続けている理由もこれです。なので、なんか仕事くださいね。
好きなことを追求する
最近感じることは、”好きなこと”を持つべきだということ。
情熱を持って取り組める何かってとても重要ですよね。これは仕事以外でもいいと思ってます。
僕は広く浅く興味を持つタイプで、めちゃくちゃ飽き性です。
釣り
ギター
家庭菜園
競馬
多趣味ではあるんですが、簡単にいうと中途半端。
今年は引っ越しするので、その機会に新たな趣味をはじめてみようと思っています。
これが好きです!と言えるようなものを見つけたいですね。
✍️フリーランスは最高だ
結論、フリーランスは最高だ。4年過ごしてはっきり言えるのはこれです。
もちろん、心底苦しい瞬間もあります。
それでもやはり自分に合った働き方ができているし、家族を優先することができています。
関東に住んでいると仕事に全力な人が多くて麻痺してしまうんですが、もっと家族を大事にすべき。
そして、不安定な収入。
不安定は美しい。
収入の波は必ずあります。
僕が肝に命じているのは、自分の実力を最高ではなく最低にあるということ。
だから、僕はたくさん稼げる月があってもそれは全部他人のおかげでラッキーパンチということにしています。
今、全てを失っても20万稼ぐ自信はあります。だから、僕の実力はこのラインだろうなって思ってます。
いかに人生というドブ川の荒波を生き抜くか。
5年目も大いに悩み苦しみながら、フリーランスで死ぬほど生きていきます。
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