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【英語記事から学ぶ】ホームスクーリングについて考える

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ぼくには今、幼稚園の年長組に通っている長男がいます。
このまま日本の教育システムに沿えば、来年度には小学校に入学することになります。が、ぼくたち夫婦はずっと前から日本の公教育に違和感を抱いているので、このまま公立の小学校に通わせて良いものか、今でもずっと悩んでいます。

日本でもホームスクーリングをしている家庭が増えてきているようなので、それも選択肢のひとつとして検討しているところです。

そんななか目にとまったのが今回の記事。

タイトルは、「ホームスクーリングが"選択肢のひとつ"ではなく"必然"である理由」です。
この記事の著者はアメリカ在住で、2008年から自分の子どもたちをホームスクーリングで教育してきたそうです。その経験から、ホームスクーリングはもはや選択肢のひとつではなく、絶対に必要だと主張しています。

記事では、アメリカの公教育について結構辛辣な口調で批判しています。
アメリカの公教育は、日本の教育に比べると子どもたちの個性を大事にして教育を行っていると思っていましたが、記事によると…

If you really look at them, schools are a sterile, unnatural place for any age child. Looking more like prisons than inspiring places of learning, it’s all about how we can move the most children as quietly and efficiently as possible throughout a system that cares NOTHING for them.

Homegrown Learners

【試訳】
学校は、どの年齢の子どもにとっても、不毛で不自然な場所です。刺激的な学習の場というよりもむしろ、刑務所のよう。子どもたちのことが何も考えられていないシステムのなかで、いかに多くの子どもたちをできるだけ静かに、効率的に移動させることができるかということが重要視されているかのようです。

少し極端な表現なのかもしれませんが、個人的には上記は日本の教育にも当てはまるのではないかと思います。

もう一箇所、ぼくが共感した部分を紹介させていただきます。

Because of our reliance on public education, we are now seeing a society of people who are unable to think for themselves. We see people who can repost others’ opinions and who can support the latest causes without knowing how to articulate their OWN thoughts about them.

When I witnessed my daughter being “standardized” in the third grade I asked myself if that was all I wanted for her. Would my husband and I accept standards for her that were below her level of capability? Would it be best for her to go along with the masses through high school?

Or, did we want to educate her ourselves and nurture things like compassion, generosity, and selflessness - things that all run COUNTER to what traditional schools are about.

As we’ve watched both of our children move through their education at home, I can see young people that don’t care what others think of them, and young people who are willing to think FAR outside the box. They aren’t perfect, but at the end of the day, I can say that my husband and I did our level best to equip them for life.

Homegrown Learners

【試訳】
公教育に依存するがあまり、私たちは今、自分の頭で考えることができない人間であふれた社会を目の当たりにしています。現代の多くの人は、ほかの人の意見をシェアすることはできるし、新しい主義主張やそれに基づく運動を支持することはできるものの、自分自身の考えを明確に表現する方法を知りません。
公立の小学校に通っていた私の娘が小学3年のとき、"標準化"されているのを目の当たりにしたとき、それが私が娘のために望んでいることなのか、と自問しました。娘の能力を下回るような"標準化"を、私たち夫婦は受け入れられるのか?高校に進学するまで"ほかの大勢"に合わせるのが娘のためになるのか?
それとも、自分たちで彼女を教育し、思いやりや寛大さ、無私の精神といった、従来の学校で教えるものとは正反対のものを育みたいのか。
家庭で教育を受けている私たちの子どもたちを見ていると、他人が自分たちをどう思うか気にしないし、枠にとらわれない考え方ができる若者に成長しているのがうかがえます。彼らは決して完璧な人間とは言えませんが、子どもたちに自分の人生を歩んでもらうために、私たち夫婦は全力を尽くしたと胸を張って言えます。

実際にホームスクーリングでお子さんたちを育ててきた方の言葉は胸に刺さります。

公立の学校にも良い先生はたくさんいるだろうし、良い学びができることもあるかもしれません。でもやっぱりそれは運でしかなくて、そのときどきの担任であったり、校長先生であったり、周りの先生方の違いで子どもの学びの環境が変わってしまう可能性は高いと思っています。

ホームスクーリングをする場合は、親の負担が大きくなるのは分かっているのですが、それでもやる価値はあるんじゃないか。

経験者の方々から情報を得ながら、妻と一緒にもっと検討していきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。
この記事が少しでも参考になれば幸いです。

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