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「ギタリストだった僕」第3話 高校後編

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音楽性を決定づける出会い

高校も2年生くらいになってくると、X JAPANのファンというだけでは世間を渡り歩けなくなってくる。

相変わらずハードロック・ヘビーメタルを聞いていたものの、友人たちの影響で普通の日本のバンドも聞くようになっていた。そうでもしないとカラオケに行った時、冷めた目で見られるだけの人間になってしまうのだ。

この頃、その後の音楽性を決定的なものにするバンドと出会う。
深夜のスノーボードの番組のオープニング曲になっていたHi-STANDARDのTHE KIDS ARE ALLRIGHTというTHE WHOのカバー曲を聞いてかつてない衝撃を受けたのだ。

テンポは早いものの特にテクニックを必要としない曲なのにとにかくかっこよかった。
次の日の学校帰り、イトーヨーカドーの中にあるCDショップで即購入した。

それから高校を卒業するまでは、所謂メロコアというジャンルにどっぷり浸かり、X JAPANがおろそかになっていた。

高校も3年生になると、同じ学年で実はドラムを叩ける人を発見したり、ベースが妙に上手い人を発見したりとバンドが現実的となってきた。

そんな時、TEENSという若者限定のバンドのコンテスト的なものの予選が地元で行われることを知る。僕はTEENSに出場し、北海道大会、そして全国大会に進みデビューするのだと確信した。

TEENSに出場するにはオリジナル曲を作らなければならない。なんとなく勢いで書いた曲を、当時ベースを弾いていた陽介と一緒に見様見真似でアレンジした。ボーカルは同じクラスのイケメンで歌が上手い典利にお願いした。ドラムはちょっと下手くそだったが宮下に叩いてもらうことになった。

TEENS予選〜そして進学へ

TEENS予選当日、友人たちが応援してくれる中、市民会館のステージで初のオリジナル曲を披露した。僕はこのステージから全国に羽ばたくのだ。

結果、北海道大会に進出したのは、見たことも聞いたこともない胡散臭いダサい3人組だった。

ただ、このステージを見ていた他校の生徒などからちょくちょく話しかけられるようになった。印象はそこそこ強かったらしい。なるほど、やはり僕は有名人になるべきなのかもしれない。

高校卒業後の進路を考える頃になると、友人たちは何処の大学だなんだと話していたが、僕はギターを学ぶ以外の進路は一切考えていなかった。

願書を送ってお金さえ払えば誰でも入れる音楽専門学校への進学が決まった。

とにかくすぐに東京に行きたい。
卒業式が終わってすぐに僕は東京へと旅立った。
あの日、飛行機の窓から見た、友人たちが空港の屋上で手を振り続けていた光景を僕は忘れない。

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