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あなたを認めるのはあなた「いつも認められたい(承認中毒)」『いやな気分よ、さようなら』第十一章

 十一章は承認中毒を扱います。

 人間はどうしてこうも、人の承認を求めたがるのでしょうか。賛同者の多い意見は正論であり、その逆は間違っているという変な多数決主義には辟易しますが、今回はその承認を求めるために精神を病んでしまわないようにしようという話です。

なぜ承認をもとめるのか?

 人に反対されるのがこわいですか?それはいったいなぜなのでしょう。それはもしかしたら、

その人に反対されること=みんなに反対される=私は間違っている

 こういう図式が成り立っているからではないでしょうか。

 自分の気分を高めるのは自分自身の考え方です。だからその考え方を他人に任せてしまっては、気分が高まるわけがありません。褒められるのも反対されるのも結局は自分の考え方が気分をきめているのです。

 他人はあなたについてどんなことでも言ったり思ったりできますが、あなたの感情に影響を与えられるのはあなただけです。何度も言っていることですね。

 褒められることばかり求めると、他人の意見ばかりに左右されるようになります。耳の痛い話ですが、前職での僕がこれでした。人の求めることを優先する、感情的恐喝を受けている状態なのです。

 わかりましたか?他人からの承認は何の役にも立ちません。役に立つのは唯一自分を自分で承認することでしかないのです。非難されたときのことを思い出してみてください。それは批判した人の問題だったことが今までにありませんか?

 たとえ、その批判があたっていても、それはあなたの特定の行為や言動にむいているものであり、それがそのままあなたの価値にむいているのではないのです。

 賞賛=価値という図式は捨てましょう。

 賞賛が人をいい気分にさせることは事実です。しかし、逆にあなたも誰かに反対したことがあると思います。その時にあなたはその相手を完全に無価値で役立たずの人間だという風に道徳的に判断しましたか?

 そうした人もいるかもしれません。しかし考えてみてください。そのような決定的な判断を下す力をあなたは持っていますか?

 相手の人生の意味や価値を破壊してしまう権利はないのではないですか?そうだとするなら、自分の人生の意味や価値を壊してしまうような力もないはずです。

問題の源について

 そもそもどこでこの承認中毒に陥ったのでしょうか。

 それはどうやら子供のころまでにさかのぼるようです。あなたが誤ったことをしたときに、過度に批判的であったり、何も悪いことをしていないときでも神経質な親だったりしたのかもしれません。人の気持ちを考えなさいといっていたのかもしれません。

 子供のころの環境は変えられませんし、その結果あなたが承認中毒になったとしても仕方がありません。しかしあなたが成人しているならば、それを克服することはあなたの責任なのです。

 僕の話をしましょう。僕の家庭は小さいころから崩壊の一途をたどっていました。両親の仲は悪く、喧嘩が絶えませんでした。ちょうど僕が高校に進学するころにはいよいよひどくなっており、結局離婚しました。

 罵声が響き渡る夕食はつらかった。おかげでご飯を食べるのが早くなって、前前職では重宝しましたが。両親は喧嘩をするたびに、離婚のことをほのめかし、僕をどちらが預かるのか言い合いました。すごくプレッシャーだった。次第に両親の顔色をうかがうようになっていきましたが、結局それはどっちつかずで両親の怒りをあおるだけでした。

 それからはずっと僕は人の顔色をうかがいながら生きてきました。顔色を窺わないと、人は僕に人の気持ちを考えろと押さえつけてくるのです。だから余計に僕は顔色をうかがうのです。でもそれは間違いだった。結果的に自分はなくなり、人からも好かれなくなります。

 他人の承認が大切だと思っていましたがそんなことは全く現実的ではないのです。あなたを幸せにするのは承認ではない。あなたを幸せにできるのは唯一あなただけなのです。

 ただ、当たり前のことですが、人の顔色を窺わなくなったからといって、幸せになれるわけではないのですが・・・今の僕は人の顔色は一切気にしなくなりました。僕はその人から好かれるために生きているわけではないからです。

 こういう原理を実践にもっていく簡単な段階を学ぶことで、これからあなたの望む自己評価と自尊心を感情的に現実のものに変えることができるようになるはずです。

独立と自己信頼への道

さて前回で態度の歪みスケール(DAS)と矢印法をやりました。

 自分を傷つけるような考えを克服する最初のステップは次のような分析です。

 まず人に反対されることにより、自身がなくなってしまうのはどんな場合か自問してその利点と問題点を挙げてみてください。

こ れと、DASと矢印法を用いて自分の中にある暗黙の仮定を明らかにするのです。例えば

「人から期待されたことをいつもやらなければならない。」

こう思うことの長所と短所を思いつくだけあげてみてください。

「暗黙の仮定」を書き直す

 暗黙の仮定の長所と短所は、思いつく限りあげましたか?きっと長所より短所の方が多かったのでは?それなら、仮定を書き換えてしまいましょう。例えばこんな風に。

「誰かが賛成してくれるのはうれしいけれど、立派な人物になるためや自尊心のために承認が必要なわけではない。反対されることは不愉快だが、それは私が劣っていたり価値がないこととは関係がない。」と。

自尊心の青写真

 第三段階として「なぜ反対や批判を恐れて生きることが不合理で不必要なことか」と題した短いメモを書くことが役に立ちます。その理由をすべて挙げてみましょう。「反対されても友達でもないし気にする必要はない」というような歪んだ言い訳はだめです。信頼でき、あなたの役に立つ助けになりそうなことだけを書いてください。

新しい考えが浮かんだら自分のリストに加えましょう。これを数週間毎日読むのです。これが批判を打ち負かす最初のステップになります。

以下の考え方で多くの人が救われています。この中のいくつかをメモしておいてもよいでしょう。

・反対されたら、その中心にあるのは、その人の不合理な考え方だということを忘れないこと。

・もし批判が正しくても、傷つくことはない。それによって自分の誤りを見つけて、正すことができるから。自分の失敗から学んで、失敗を恥じないこと。人間なのだから、時々間違いを犯すのは当たり前だ。

・もし馬鹿にされたとしても「生まれながらの敗者」というものはない。いつも間違っているなんてことはありえない。人生で今までしてきた数多くの正しいことを思えば、これからでも自分を変え、成長させていける。

・他人には人間としての価値を端にある特定の行為や口にしたことの正当さや長所だけで判定することはできない。

・誰もがあなたのしたことのでき具合や行いの良しあしにかかわらず、皆異なった判断をするものである。他人の反対が野火のように広がっていくわけでも、一回の拒絶が果てしない拒絶に続くわけでもない。だから、もし悪いことに悪いことが重なって、酷い反対を受けても全くの一人になってしまうことはない。

・批判と非難はたいてい不快なものだが、不快感は通り過ぎていくものだ。今までの楽しんだ活動を無意味と思わずに始めよう。

・批判と非難は、よほど巻き込まれることを願わない限りあなたを混乱させることはない。

・非難はいつか消えるものだ。あなたを批判する人との関係は、代替長続きするものではないから批判は長続きしない。論争は生活の一部であり、ほとんどの場合、後でお互いにわかるようになる。

・もしあなたが誰かを批判していても、その人が完全に悪いということはないはずだ。同様になぜ他人にあなたを批判する力と権利を与える必要があろう。私たちは至高の法廷の裁判官ではなく、単なる人間なのだから。他人が自分の人生より、大事でなければ、拡大解釈してはいけない。

 数日間はこの方法を試してみるといいでしょう。非難に対する自分の考えを持つようにしてください。

 僕は自分のしていることが、間違っているか正しいかということをあまり気にしなくなりました。心にとめていることは、私がしていることは基本的に正しくも間違ってもいない。私が自分の意志を通してやることは他人にとってはたいていが間違っていると判断されることだということだけです。

 人間は集団に属すれば属するほど、その規模が大きくなれば大きくなるほど、本当のことが言えなくなる病気にかかります。僕はそんなの嫌なので人に何と思われようと本当のことを言うことにします。僕はその人に好かれるために生きているわけではないからです。

言葉による技術

自分への攻撃にいかに対処するかはわかりましたが、批判する人にはどう行動すればいいでしょうか。そこで第六章に示した武装解除法が役に立ちます。

拒絶は決してあなたの落ち度ではない

 精神的に人から受ける最大の痛みは拒絶です。その拒絶をどうやって克服するのでしょうか。今まで学んできたことからわかりますが、やはり感情にダメージを与える自分の考えを、いままでのいずれかの方法で正す必要があるというのもありますが、もうひとつ「嘆きの方法」というのがあります。

 毎日一回くらい、悲しく腹が立ち絶望的なことを考えたいだけ考えられる時間を五分か十分くらい決めるのです。悲しければ泣く、怒りがわいてくればものに当たればいいです。この時間を全部使って悲痛な思いに身を任せるのです。時間が過ぎたらそれ以上はやめます。これによってマイナスの感情を感じる時期が早く過ぎるといわれています。

「内面の光」をともすこと

 もし、あなたが他社からの承認にだけ依存していたら、ほかの人が先にあなたに光を当てた時に「だけ」、自分の内のスイッチをつけるという悪い習慣をもっているということです。そして他人の承認と自己礼賛とが同様におこるために、両者を混同してしまいます。あなたの気分を良くさせるのは他人だと勘違いをしているのです。

 あなたの心に光をともすのはあなたです。他人じゃない。↑のような悪い習慣は五章で扱ったカウンターを使った方法で打ち破ることができるでしょう。

 毎日自分の良い点を外から報酬を受けたか受けないかにかかわらず、相手が好意的に見ようが否定的に見ようが、その数をカウントするのです。そうすることであなたの内に光がともってくることを実感できるでしょう。二三週間もたてば、じぶんをたとぶこころをまなび自分のことももっとよく思うようになれるでしょう。

以上十一章でした。

承認に続く次回は愛情への依存です。

チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')