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【1人の人として】


 ここのところは、自分自身や集団と向き合う時間を確保している。

 
 もう語ることも、価値も、かなり伝えてきた1学期っと2学期だ。

 やってきたことも、語ってきたこともきっと間違っていない。だから、目の前の子どもたちの成長は確かにある。

 
 だから、3学期は、こうして伸びている自分を見つめ、自分をどうさらに伸ばしていくか。

 集団としても、集団をどう見つめ、どうさらに伸ばしていくのか。

 そんなことを心がけている。

 

 個人の成長にスポットライトを強めに当てるときもあれば、集団として当てるときもある。

 この辺のバランスはすごく意識している。

 もう一つは直接的か、間接的か。

 目的は「相手が行動を起こしたくなる気にさせること」だ。

 
 いかにしてその気にさせるか。

 
 きっとここが苦しいところでもあり、おもしろいところでもあるのだと思う。

 だから、自分自身に当てられるようにしたり、集団に語ったり、直接的に届けたり、間接的に届けたり。

 多分、こうしたらこう、っていう仕事だったらここまでやれている気がしない。

 でも、その分苦しいこともいっぱいある。

 うまくいっていてもしんどいこともある。

 うまくいっても明日はどうかわからない。

 これは、こういう理由でこうなったんだなって偉そうに言語化しても、翌日は全くちがかったりする。

 思いもよらぬところで、うまくいくこともある。

 不確実。

 でも、その不確実性があるから、やれているんだと思う。この仕事。

 きっと、その不確実性にこそ、最高のおもしろさがあって、毎日わくわくして、この仕事の魅力の一つなのだと思う。

 すぐ成果が出ることの方が少ないし、言ってすぐ変わるわけでもない。

 
 だから、想像して、できるだけその相手のことを考えて、挑戦する毎日なんだと。

 これがおもしろい。

 この不確実性をもっともっと楽しんでいきたい。きっと自分が好きなところってそこだと思う。

 
 明日どうなるか分からない。

 その中で、どうするか必死に考えてやってみる。

 毎日悩み、毎日しんどい。

 毎朝、ジョギングしながら、こんなにしんどい仕事が65歳まで続くのかよっと思っている。

 うまくいっててもしどい。

 些細な変化で心がぐらつく。指導を振り返る。関わりを振り返る。内容や活動を振り返る。語りを振り返る。自分自身の人としての在り方を
振り返る。

 そして、なんとか紡ぎ出したことに挑戦する。

 それもどうか分からない。

 それをやらなくても変化することも余裕である。

 でも「何だよ何でもなかったんかい!こっちがこんなに頭悩ませたのに」と思う暇もなく、またより良いものを探している。

 こうやって頭を悩ませて、考え続け、問い続けるこの時間に最も価値があるとも思っている。

 いつかきっと芽を出すときに、こうやって本気で考えながら関わったことがちゃんと残っていると、届いていると思うのか。

 

 ものすごく抽象的になってしまったんだけれど、人としてどうか。これに尽きる。

 表出される行動に囚われすぎていないか。

 ちゃんとその子、その「人」をみているのか。

 再度問い直したい。

 やっぱり最後は、どこまでいっても「人」と「人」だ。

 「人」として、この出会いとあっという間に過ぎていく毎日を大切に、明日も過ごします。

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