洋館の中で見つけた日記 83 【龍馬のように 生涯の師】
20☓☓年。
研究所にて自分らしさを忘れてしまうP-ウイルスが流出した。
瞬く間にウイルスは蔓延。世界はポカンハザードに陥る。
ポカンから逃れるため、
古い洋館に駆け込んだ。
そこである日記を見つけた。
◆龍馬のように 生涯の師
今の私があるのは先生のおかげです。
先生はいつもチョークまみれのトレーナーを着て、ベートーベンのような髪型でした。
塾は私の家から歩いて500歩ほどのところにあります。
二階建の古い一軒家です。
砂利道を進むと、ひび割れた茶色いタイルと剥がれたコンクリートの外壁。
インターホンを押すと、二階で授業をしている先生が大きな声で「どうぞー。」と返事がドア越しに聞こえます。
入ってすぐに急な階段。
教室は8畳ほどで、一度に授業を受けられるのは4人が限界の大きさです。
先生の後ろにある黒板。
半分に切った紙パイプには、チョークの粉が半分ほど溜まっています。
教室の奥にある1畳半ほどのスペースには、
問題集とそのコピーが背丈まで積まれていて足の踏み場がありません。
塾の表にはさくらんぼの木があります。
屋根よりも高い木で夏になると立派な実が生りました。
教室の窓から手を伸ばすと取ることができます。
冬は灯油ストーブを使いました。
昭和に製造された大振りなもので、たまに不完全燃焼します。
焚付にするのはねじったA3サイズの雑紙。
換気のため30分に一度窓を全開にします。
窓が開くと葉が落ちたさくらんぼの木と月が見えました。
先生は東大の文学部を卒業し官僚になりましたが、
坂本龍馬のように型にはまらない人間を輩出するため、塾を開いたそうです。
費用は相場の五分の一よりも安価で、決して儲かっていなかったでしょう。
先生は一日中生徒を抱えていましたので、休む暇がなかったと思います。
授業の合間はわずかで「少し待ってて」と言い、下で歯磨きをして戻ってきます。
口の端にはわずかに歯磨き粉が付いていました。
問題を解いていると、座った先生の頭がスイングします。
「ふんぬあ」
何度かの往復の後、言葉にならない言葉を発して、夢から覚めました。
とても体に負担のかかる生活だったと思います。
1日のほとんどは授業か睡眠だったのではないかと推察します。
運動不足の解消のためもあるかと思いますが、毎日授業で使う教材を印刷しに行きました。
向かうのは歩いて10分ほどのところにあるスパーというコンビニ。
毎回A3サイズで100枚ほど印刷します。
台風で大荒れの日はカッパを被って、大雪の日は長靴を履いて毎日歩いて通いました。
また、たまに眠気と体を動かすため猛烈に腕立て伏せをしました。
正しいフォームで50回ほどされて、運動神経も良いのが分かりました。
小学校6年生で友達と通った1年間。
墨書きで「塾生求む。」と書かれた果たし状のような案内がポストに入っていました。
私たちは勉強に不真面目で生意気で、先生の怒りの我慢の限界を超えさせてしまう唯一の生徒でした。
先生の唇が震えます。
これが先生の怒りの限界が超えたサインでした。
次の瞬間、恐竜の咆哮のような声量で私たちを怒鳴りつけました。
ガラスが震え、空気が凍りつきます。
物質が一瞬で沸点に達したように豹変し、恐れを感じるよりも圧倒されました。
しばらく怒号が続くと、先生の奥さんが階段から顔を出して「あんたやめなさい。」と声をかけました。
先生は正気に戻り、頭をポリポリ掻きながら「はい。はい。はい。」と気まずそうな顔をされました。
自作のカルタには「デカン高原」や「モンスーン」など地理や歴史の用語が書かれていました。
私たちは戦績をノートに付け、先生は賞品としてCampusのノートをくれました。
先生を語る上で欠かせないものが地球温暖化です。
下記は恐らく塾の先輩が作成したTシャツです。
メルカリで出品されていました。
先生は30年以上前から熱心に地球温暖化を探求されていました。
本も作成しています。
古い紙質のA5判、カバーはなく表紙は暗いオレンジ。
自費で出版したこの本は参考書の中に埋まっています。
地球温暖化を説明する際は授業が30分ほど中断し、何よりも熱心に語ります。
「産業革命以降、二酸化炭素の排出量が増えた。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の研究によると、
二酸化炭素、フロンガスはオゾン層を破壊し、地球の平均気温が今後指数関数的に上昇する。
南極の氷が溶けて海水面が上昇。
離島は海に沈む。
平均気温が1度上昇すると何種類もの生物が絶滅する。
水と食べ物がなくなる地域が増え、人類の大移動が始まる。」
Tシャツに書かれた「被害はJカーブで拡大する!」。
黒板とコピー用紙の裏を使って書いたグラフを説明する際のキーワードです。
グラフのy軸が気温、x軸が時間。
グラフが50年後になると気温が跳ね上がりJの字になっています。
そして遠く見つめるような眼差しで
「今のままでは50年後温暖化で人類はほとんど絶滅してしまうでしょう。」
先生には未来のディストピアが見えているようでした。
先生が繰り返し言っていたのは今すぐに行動しないと手遅れになるといことです。
この内容の話を小学校のときから何度も何度も聞きました。
授業をサボりたいときも質問で温暖化の話に水を向けました。
当時は先生の強烈な話し方を面白がっていましたし、内容も夢物語のように思っていました。
しかし現在の世界的な潮流は概ね先生の言った通りになっています。
世界はCO2の排出量を0にしないと温暖化により自然災害が増えるなどの危機感を共有し始めました。
その危機感ゆえ、車はEV、電力は再生可能エネルギーがスタンダードになっていきそうです。
中学校2年生、1人で通った半年。
私は中学校に入って2学期を過ぎたたあたりで不登校になりました。
友達とのトラブルはなかったのですが、サッカーのクラブチームを辞めたことがきっかけとなり無気力になったためです。
それからは気まぐれで給食だけ食べに行ったりしていました。
この時期に学力を補ってくれたのが龍馬塾でした。
先生は私のペースを尊重してくれました。
将棋は基本的に授業の始めと終わりに一局ずつしました。
将棋だけやって帰宅した日も何度もあります。
先生は飛車角落ち。
私は何度も待ったをしますが、ほとんど勝てませんでした。
将棋に割く時間は全体の半分ほどありましたが、学校に通っていなかった時期の勉強は一通り教えていただきました。
中学校3年生、友人と通った半年。
この頃は毎日学校に通っていました。
サッカー部の最後の大会が終わり、高校受験の勉強のため塾に通いました。
授業は19:00から21:00で、帰宅の際は外が真っ暗になります。
塾から私の家までは500歩ほどの距離です。
その途中に外飼いの犬がいます。
柴犬と何かの雑種で毛並の白いシロという犬です。
近寄ると牙を見せて吠えます。
ある日塾終わりに友人と歩いているとシロは鎖がついておらず、道の真ん中にいました。
私は驚いて友人を置いて自宅に駆け込みました。
友人も遅れて私の家にたどり着きました。
危険があったときに自らを犠牲にできないことを自覚した出来事です。
一時期同年代の女の子が2人見学にきました。
とてもきれいな子で、私たちは普段より静かに授業を受けました。
その子は隣の隣の区に住んでいるとのこと。
例の墨書きの「塾生求む。」と書かれた果たし状がなぜか家に届いたそうです。
何度か車に乗って授業に来た後いなくなりました。
私たちは清清したと、強がりました。
夏期講習には将棋大会がありました。
一回り年上の塾生も将棋が出来たため、6人ほどの指し手が参加しました。
賞品は袋いっぱいのきびだんご。
定規のように平べったい白い包み紙に「日本一きびだんご」と書かれています。
開けると、きなこ味の練り菓子がオブラートに包まれています。
ときに地球温暖化の話で緩急をつけて熱心に指導していただき、無事に高校に入学できました。
高校3年、1人で通った3ヶ月。
英語学部の大学を志望しましたが、学力が足りなかったため先生を頼りました。
先生は英語が専門ではないですが、事前に準備して授業していただきました。
私はこの頃から先生を尊敬しています。
そして正直に言うと先生と友情のようなものを感じています。
先生は官僚という組織で働くことが苦痛だったようです。
そんな器用ではないところも、勉強が得意で何より好きだといところも先生の個性だと思っています。
体を壊さないのは先生のお父様が相撲取りで、丈夫な体を継承されたためと仰っていました。
お互いに家庭の悩みなどをそれとなく話すこともありました。
就職が決まった年。
4年ぶりに菓子折りを持って先生のところに挨拶に伺いました。
思い返すと、不登校だったときは私に問題文を朗読させました。
部屋にこもった私のコミュニケーション能力を慮ってのことだったと思います。
将棋を指しながら「良いところに就職したね。」と安心した表情で言っていただけました。
もちろん地球温暖化の話も聞きました。
私は先日7年目になる会社を退職しました。
今は稼いでいくための勉強が楽しくて充実しています。
龍馬のようなことはできませんが、自分の個性を大切にできるようになりました。
先生がいたから今の自分があると思います。
どんな状況の私も受け入れ、勉強の楽しさを教えてくれた先生は生涯の師です。
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