![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/42413388/rectangle_large_type_2_e62118ab70c60047e4af3f303950195c.jpg?width=800)
エッセイ:大ちゃんは○○である44
何をもってして、窓ガラスが割れたのか?はたまた割れなかったのか?
その時の僕には理解ができなかった。
物理的にはもちろん割れてはいない。
でも、僕は割るつもりで表現をしたし、結果割れたと思ったからだ。
「割れてない」と言われたって
「割れてんだよ」と言い返したくなる気持ちもあった。
ただ、今にして思う。
伝わらない表現なんて、ただの自己満足でしかないんだ。
自分がどれだけ本気でやろうが、一生懸命やろうが、死ぬ気でやろうが、裏での努力や熱量なんてものは
観てくれているお客様には全くもって関係がない。
それが、その時の僕には分からなかった。
どんなに時間をかけて材料を買い集めて、
どんなに時間をかけて料理して、
どんなに時間をかけて盛りつけたって
お客様が「美味しくない」と思えば、それまで。
その店に再び足を運ぼうとは思わないだろう。
『その時間』を提供した対価としてお金をいただくということはどういうことなのか?
これはどの仕事にも共通して言えることだと思うが、
それぞれがしっかりと考えなくてはいけないことだと思う。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?