好き嫌い。そのままで大丈夫ですか?
僕の嫌いな食べ物の一つに茄子があります。先日定食を食べていた時に、茄子がおかずに入っていました。「うわっ。。」と正直思いました。茄子が嫌いことは事実なのですが、ただ食べる前に味を思い出そうと思うと全く想像できませんでした。これは、幼い頃に僕が茄子に対して嫌いと認識してしまったため、茄子が出てきたら拒否反応が出てしまい、結果として長い期間食べていなかったからでしょう。
似たような経験が何個かあります。
初対面の時からとにかく攻撃的に相手をいじるにも関わらず、自分がいじられたら場の空気を乱すくらい態度悪くなる人。自分勝手やなって思います。
ほんまに嫌やなって思っていて、実際に出会ってしまった時に、もうこいつとは話したくないやって気持ちになる。
結果そのような人とは自然と距離を取ってしまい、苦手だとは認識していたけれど、この人ってどういう人だっけ状態。
僕たちって、苦手とか嫌いというバイアスがかかると、その対象に触れないように自然と避けて生活するようになってしまう。
ただ、このことについて広い意味で捉えた場合、良くないのかなと思うようになりました。
というのも、今は自分が知りたいと思うものに関しては何でもインターネットを通じて情報収集できる時代。このバイアスが常にかかった状態だと、自分の都合のいい情報しか調べなくなる。
「なんとなく、嫌だ。」
「良くわからないけれど、自分とは違う。」
この曖昧な状態での判断の先には、視野の狭いちっぽけな人間になってしまう気がします。
22歳の僕がこれから様々な影響を受けて、人間的な成長を見せていかなければと思っているのに、影響を与えてくれるものを自分で決めてしまうことは、どう考えても良くない。
ましてや、自分では気づかぬうちに都合の良い自分勝手な人になってしまう。本末転倒じゃないか。
様々な情報を収集している気になっていても、実は自分の中でこのような答えであって欲しいとすでに答えが出ているものから探していて、その答えと一致したもの以外は脳が勝手に記憶から消してしまうものです。
意識的に変えていかないと、自分が思っている以上にバイアスは解けないんですよね。
便利な世の中だからこそ、苦手なものや自分とは関わって来なかったものを拒まず、あえて探る実行力は必要だと感じています。
若くて吸収力がある時には、食わず嫌いをしていては勿体無い。
食べてみて、本当に不味いものだけ選択肢から捨てていけばいいのかと。
余談ですが、定食で茄子を食べ、「絶対にこの先も食べたくない。」と確信しました。
最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。
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