見出し画像

个中滋味ーー努力が足りているかどうかは、私が決める

(1216字・この記事を読む所要時間:約3分 ※1分あたり400字で計算)

【个中滋味】

ピンイン:gè zhōng zī wèi
意味:身に染みる程しっかり経験してきた苦しみや喜び。

『努力が足りているかどうかは、私が決める』

 私は、子供の頃から成長が遅かった。

 周りの子が1年でやれることも、私には3年必要だった。
 コミュニケーション能力や心の発達も、皆と比べかなり遅れていた。

 飽きるほど言われてきた言葉は「幼稚」

 「何でその年になってもこんなことが出来ないの」とか、
 「もう大きくなったのだから年齢相応の行動をしなさい」とか。

 そして、良くこのように叱られてきたーー

 「全然努力しようとしないんだね」
 「人の意見に耳を傾けなさい。たとえそれが聞きたくない言葉であっても」


 正直、「幼稚だ」と言われることに対してはもうそれ程気にしていない。

 確かに私は他人と比べ、どこか抜けている。
 それは自覚しているし、事実でもあるので反論のしようが無い。

 ただ、「努力していない」、「聞きたくない意見を受け入れない」という指摘は本当に我慢ならない。

 「わがままで言い訳ばかりして逃げている」?
 はぁ。

 本当にそうであれば、今の私なんていなかっただろうに。

 幾度も幾度も向き合いたくない現実と逃げずに戦ってきたからこそ、こうして生き延びてこられたというのに。
 数え切れない程の皮肉と悪口に耐えて。

 「普通に見える」のは、無数の訓練を積み重ね、あたかもそうであるかのように見せているだけなのだ。

 それを、ほとんどの人は知らない。


 ただ、私も「努力していない」と言われてしまうと妙に焦ってしまう。
 「ひょっとしたらその通りで、頑張りが足りないのかも」思い込む。

 その結果、自分にプレッシャーをかけ過ぎて心も身体もボロボロ。

 更に、どんなにどんなに努力しても満足出来ず、自分を愛せなくなってしまった。


 ところがどっこい。


 最近になって、これと真逆に
 「頑張り過ぎだよ」
と言われ始めている。

 はて。
 果たして私は頑張っているのか、頑張っていないのか。

 なんだかこんがらがってしまう。


 でも一つだけ分かってきたことがある。

 「成長結果」を重視する人程「努力していない」と言ってくるのに対し、
 「成長過程」を長い目で見てくれる人達は「十分頑張っている」と言ってくれている。

 ふむ。

 基準をどこかに置くかによって、これ程にも評価が異なるのだ。


 つまりそれだけのことで、結局自分の頑張りを他人がどう見るかなんてどうでも良い。


 「努力が足りない」ーーそうですか。でももう結構、十分です。
 「頑張り過ぎだよ」ーー意外とそうでもないよ?


 足りないと思ったところは時間をかけてじっくりと補い、得意分野はより精進するよう心がける。
 目標を明確にし、上を向いて一日一日をしっかり積み重ねていく。
 モチベーションが上がった時はちょっぴり力んで、限界を超えてみたりもして。

 私がしたいこと、現にしていることは、それだけ。
 自分のペースで着々と進んでいるだけ。


 後は、そう、ご勝手に言わせておけば良いのさ。

 努力が足りているかどうかは、私自身が決めることなのだから。

📚誰もが誰ものことを、本当に理解することはない


記事は気に入っていただけましたでしょうか? もしよろしかったら、サポートお願いします!(◡‿◡✿) 不求多,真心便知足~!(量より真心!) よろしくお願いします~请多指教!✿