力所能及ーー無原則な「人助け」は、かえって人を亡ぼす
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【力所能及】
ピンイン:lì suǒ néng jí
意味:出来る限り、力の及ぶ限りの事をすること。
『無原則な「人助け」は、かえって人を亡ぼす』
「困った人には手を差し伸べなさい」
「誰にでも親切に接しなさい」
「人の痛みが分かる人になりなさい」
幼い頃から、私はこういった暖かい言葉が大好きだ。
それは大人になった今でも同じで、聞く度にひどく心を打たれては感動している。
「優しくて強い人になりたい」
これは、子供の時から変わらない願いだ。
家族であろうが友達であろうが、たとえ全く知らない人に対しても、自分に出来ることがあればいつでも最善を尽くすよう努めてきた。
ただ現実は思った以上に厳しく、このような冷たい世の中で優しい心を維持すること自体、どんなに大変なことかを思い知らされた。
一生懸命相手の為にしたつもりがかえって非難されることもあった。
誤解されては、裏であれこれ悪口言われることもあった。
私の親切を利用し、都合のいいようにこき使ってくる人もいた。
「あいつは所詮お世話係だ」と、粗末に扱われることもあった。
私は、何故自分が傷つかなければならないのか分からなかった。
辛くて悲しくて、あまりの悔しさにもう二度と誰かに親切なんてするものかと心に決めたことでさえあった。
そんなある日、教会の先生がこう教えてくれた。
「人助けも、正しく行わなければなりません」と。
あれは確か、主日のメッセージの時間だった。
先生は私達に、「お金に困っている人がいたら、救済するべきでしょうか?」と聞いてきた。
ほとんどの人が大きく頷く。
これを見て、先生はそっと笑みを浮かべ、続けてこう言った。
「では、その人がアルコール中毒やギャンブルの故に貧乏になったとしても、助けるべきでしょうか?」
「もちろん!」と迷わずに答える人もいたが、私は考え込んでしまった。
理論上はそうするべきかもしれない。
けど、そんな堕落している人を助けてしまったら、その優しさを逆利用してくるに決まってる。
私だったら、申し訳ないけど放っておくかも……きっと、周りから冷たくて自己中心だと思われるだろうーーと、ごちゃごちゃ考えていたその時。
「皆さん、こういう人は助けてはいけません!」
先生の大きな声が聖殿に響いた。
「助けては、ならないのです」
聞き間違えたのではないと強調しているかのように、先生はもう一度言った。
「こういった人達にお金をあげることは助けではありませんよ!それは彼らにとって本当に必要なものではありません。
良かれと思って救済してしまうと、彼らはよりお酒を買ってはギャンブルに没頭するでしょう。破滅に導くのと同じです。
私達はもっと賢く人助けをしなければなりません。
無原則にただ手を差し伸べてしまうと、かえって人を亡ぼしてしまいますよ!」
そうか。
そうだったのか。
「人助けも、正しく行わなければなりません!」
私はずっと、間違った「人助け」をしてきたのかもしれない。
あれから、私は自分なりの「人助けルール」を設けた。
・相手の悪い習慣を助長してはならない
・自分の体力と精神が破綻しない程度に留めること
・課題を分離し、過度に干渉しないこと
・余計な考えを捨て、ただ与えることに喜びを感じること
……
お互いの線引きを明確にし、且つ自分自身に負担がかからないように気を付ける。
うわべの「助け」ではなく、本当に相手にとって大切なものを見極める。
そして、(これが中々難しいのだが)決して見返りを求めようと期待してはならない。
これらの原則のうちどれか一つでも守れないような「人助け」なら、いっそのことやらない。その方がマシ。
つまり、「力所能及」な範囲でするのだ。
「お人好し」は、優しさなんかじゃない。
度を越えた自己犠牲はとても危険だ。
相手にとっても、自分にとっても。
📚厳しく突き飛ばす。そんな優しさもある
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