饱经霜雪ーー反抗期を経てからが、本当の人生
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【饱经霜雪】
ピンイン:bǎo jīng shuāng xuě
意味:たくさんの苦しみを経てきた、困難な生活を長くしてきたこと。
『反抗期を経てからが、本当の人生』
大人になると、ほとんどの人が無邪気でのびのびと過ごせていた幼少期のことを懐かしむのだそう。
駄菓子屋の前でアイスキャンデーを舐めながら、ただただぼーっと遠くを眺めていた昼下がり。
カラスが鳴くまで駆け回った野原。
母の「おかえり」の声と共に台所から漂ってくる、美味しそうな夕食の香り。
おとぎ話を聞きながらいつの間にか寝落ちてしまった、あの静かな縁側の夜。
毎日が輝いていた。
こういう日々は、ずっとずっと続くものだと思っていた。
ただ、大人になってからは、あのような生活はある一種の幻なのではないかと思うようになった。
つまりあれはある意味「異常」な状態なのだ。
人生に無邪気なんて、あり得ない。
私が大好きな本『鹿と少年』に、このようなセリフがある。
「......人生はいいものだ。すごくいいものだ。だが、楽ではない。人生は人間をぶちのめす。立ち上がると、またぶちのめす」
実に適切な一言だと思う。
なぜなら、人生というのは打ちのめされることの連続。
常に苦しみが伴うのが正常なのだ。
本来、私達は生まれた時から自分で自分の人生を生きなければならなかったはずだ。
それは即ち自分自身の課題にしっかり向き合うべきでありーー
自らミルク代を稼ぎ、離乳食を調理し、
自らおしめを替え、身体を洗い、
自ら寝返りをうつ練習をし、話すことを学ばなければならない。
どれ一つ楽なことはない。
けれども、現実的にそれは無理だ。
人間の子供は一部野生動物の赤ちゃんのように、生まれた時から既に立ち上がって歩ける程、丈夫に出来てはいない。
よって、幼い頃私達にとって自分の課題を代わりに背負ってくれる存在、周りの大人達や両親は不可欠だった。
だがこれはあくまでも一時的なものでなければならない。
ある一定の段階まで成長してもこのような心地よさに浸っているのは、冒頭でも話したようにすごく「異常」なのだ。
このまま大人になってしまうと、心が過剰に弱く些細なプレッシャーにも耐えられなかったり、決断力が弱く優柔不断になったり、判断が鈍くだまされやすくなったりする。
だから私は、誰でも一度はしっかり「反抗期」を経た方が良いと思っている。
自分を守り、包んでくれた全てに背向け、実物大の現実を肌で感じるのだ。
そうすることでしか、自分の歩むべき道と生き方を見つけられない。
「反抗期」は、人間の自分を守ろうとする本能を突き破る。
未知の世界に飛び出るのに怯え、安全な環境に留めようとする、そんな怖い気持ちを無くしてくれる。
危なっかしいこともあるが、この時期は不安も恐れも感じない、心が無茶で無謀な状態だ。
如何にリスクを回避しようなんてあれこれ考えない。とにかく「独立したい」、「一人前になりたい」、「子供から抜け出したい」とエネルギッシュにどんどん突き進んで行く。
「何とかなる」、「自分なら出来る」とただただ自信感に満ち溢れていられるのもこの時期の特徴だ。
ただしその後、必ず情緒不安定な期間はやってくる。
無理もない、身体も心も実際はまだ幼いままなのだ。
壁にぶつかり、躓き、過酷な事実に打ちのめされそうになる。
そこで、まるで見捨てられたかのように寂しさでいっぱいになり、「自分はどう生きていけば良いのか」と考える時がくる。
涙が枯れるまで泣く夜。
蝕むような心の痛み。
広い世界をひとりぼっちで漂っているかのような寒さ。
それでも、めげずに、後ろを振り向かずに歩いていく。
辛い日々の1分1秒に青春を染み込ませる。
そしてある日を境に、生きることに不慣れだった心からムクムクと、不思議な安心感が湧き出る。
その安心感こそが、大人の印だ。
自分の両足で立てるようになった証。
本当の人生は、ここから始まる。
📚先が見えない日々を、怖がらないで
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